今日は長崎に原爆が投下された日、そして多くの無辜の民が命を奪われ、また長い苦しみが始まった日ですね。
75年の間、これだけ多くの人が核の残酷さを訴えてきたにもかかわらず、いまだに満たされない思いを続けていなければならないことを、本当に残念で悔しく思います。
そういう思いは三日前に書きましたので、今日は若いころに長崎の地で思ったことを書こうと思います。
20年以上前のことになりますが、私は初めて8月9日に長崎の地を訪れました。原水爆に反対する世界大会に、労働組合の動員で参加するためでした。そこではまず、当日の朝に市内各地で催される追悼集会に各都道府県別で参加し、花を手向けさせてもらいました。私が行ったのは、たしか、坂を上ったところにある見晴らしの良い小学校の跡地でした。組合からの参加なので、てっきり地元の方の訴えを聴いて「がんばろー!」とこぶしをあげるようなことをするのかと思っていたんですが、そこは実に厳かな祈りの場でした。数十人が集まる前で代表の方が思いを語り、一人一人花を手向け、静かに手を合わせて、亡き人を思い、魂の安寧を祈りました。私は長崎にも原爆にも、何の縁もゆかりもない土地で育ちましたので、そういう場所で花を手向けて手を合わせることにとても恥ずかしい思いがしました。しかし、人々の祈りは、私が、写真でしか知らない、戦死した伯父を思い、母が兄(その伯父です)を思って手を合わせることと、同じ思いがあることに気づきました。その場所には、次々と人々が汗をかきながら訪れ、静かに手を合わせて祈って行かれました。わたしはそこで、地縁や血縁を越えて、非人道的な仕打ちによって無念の死を遂げた人を、自分が持つ思いを重ねて、思い、祈ることを気づかせてもらいました。
平和への思いや戦争反対の思い、核廃絶への思いを、あの長崎の地の暑い朝を思い出しながら、もう一度自分の心で反芻しています。
もちろん長崎では、美味しい食べ物も、美しい景色も楽しみました♪ 母の状況が許せば、また8月9日に、今度は妻と長崎を訪れたいと思っています。