毎日が遺言

叔父を送る

 昨日、にわかになくなった叔父の葬儀があった。
 叔父は、一昨日の夜中に、心筋梗塞を起こし、そのまま亡くなり、朝に訪ねた娘夫婦によって発見された。自ら心臓などの調子が悪く、腰は曲がり、歩くのも杖を突く状態だった叔父だが、寝たきりでリウマチと軽い認知症のある連れ合い(叔母)を世話しながら、二人で過ごしていた。二人の娘は、代わる代わるその世話をしに帰っていた。しかしその日、夜中に倒れていた叔父は、一人でもがき苦しみ、その果てに息絶えたらしい。発見されてから、5時間もの検死があって、それが明らかになった(一応不審死になるので、家族を締め出して検死されるのです)。叔父は相当苦しんでいたらしく、恐ろしい表情で、あちこち掻きむしった跡があり、顔も全体に鬱血していたそうです。それはそれは無念の死であったことでしょう。
 ただ、叔父は、自らの命の短いことを悟っていたのか、長女の夫(娘婿)に遺言を残していたようで、県立医科大学への献体と、葬儀は行わないこと、残す叔母など、すべてのことを頼む、と書き残していたそうです。
 叔父は、頑固で気ままな言動が目立ち、周囲からはかなりの“変わり者”と見られていました。甥の私は、頼りになる姉の子供としてかわいがってくれましたが、喧嘩っ早いことや、何かとすぐに茶化したり場をわきまえないような言動があったりして、親族からは遠ざけられていました。私も、だんだん叔父を避けるようになった母に倣って、間遠になっていました。最後に叔父の家でゆっくり話したのは、4年ほど前の、別の叔父の葬儀の日でした。それ以降、家の前を通っていく墓参りは毎年欠かしていませんが、家には立ち寄らないままでした。
 そんなことを叔父もよく分かっていたようで、「オレも最後には人の役に立つことができる」と、医大への献体を申し込んでいたようです。
 仕事を午前中に詰め込んで、昼飯も食べずに葬儀場に駆けつけると、十数人の血縁の濃い親族が集まっていました。葬儀は、お経もなく、焼香をして献花をするだけの、いわば「お別れ会」でした。40分ほどの会を終えると、医大の霊柩車で運ばれていきました。叔父にかわいがってもらっていた私のいとこの娘(今は小学校の先生をしています)が、ずっと泣いて棺にしがみついていました。医大の方も式の終わりに挨拶をしてくださり、「尊いご遺体を必ず医療に役立てるよう、学生にも指導いたします」と涙ぐみながら言ってくださいました。
 母を連れて家に戻って、遅いお昼ご飯のタコ焼きを食べ、ビールを飲みながら、母と思い出話をしました。母は、自分が小学校のころ(戦時中)に、国旗を掲揚する係であったとき、甘えん坊の叔父がクラスの列にいるのを嫌がって、母の服の裾をつかんで泣きながら立っていた叔父のことを何度も話していました。「あの甘えた(甘えん坊のことです)が憎まれるようなことばかりして疎遠になったけど、今もあいつが服をつかんでいた感触を思い出す」と言っていました。
 普段のような葬式ではなく、あっけない形で叔父を送りました。しかし叔父が、これから多くの命を助ける糧となってくれることを思うと、それはステキなことだと思うのです。

コメント一覧

mirapapa
http://yaplog.jp/mirapapa/
> <色:#cc0000>みなっちさん</色>
叔父へのお言葉、ありがとうございます{キラリ}
みなっちさんは叔父に似ていらっしゃるんですか?
私、この叔父には、親族の中で一番似ていると言われてます。
ということは、私とみなっちさんは、似ているということか…{笑}{汗}
突然以外で、しかもあまりうれしくない反応や行動をするこの叔父には、けっこうハラハラドキドキさせられましたが(笑)、でもとても気を使っているのもよく分かりました{YES}
気の使い方が下手だったんでしょうね。使いどころも表現も、何となく周囲とずれていたということでしょう。
そういうところって、ウチの母にはピンと来なくて、私には来るっていうところは確かにあります。
そういう形で、叔父から私には伝承されていることがありそうです。
体の中に残ることで記憶に残る、そういう形ですかね{ハッピー}
みなっち
http://yaplog.jp/calorie-talk/
お悔やみ申し上げます


幼き頃のことを 思い浮かべる時は必ずと言っていいほど 個性的な人が私の脳裏に焼きついています。
叔父様の記憶は mirapapaさんに伝えられてますよね。
なんて素敵な伝承方法でしょう。

何となくですが...

この記事を 何度も熟読しました。
変わり者の叔父様は 自分に似てると思ったからです。

記憶に残る。
それだけで 心を豊かにしてくれてるような気がします。
mirapapa
http://yaplog.jp/mirapapa/
> <色:#ff0066>WANTA-Kunさん</色>
お心遣いのお言葉、ありがとうございます{キラリ}
叔父も喜んでくれていると思います。
叔父は享年79でしたが、70代~80代後半の叔父叔母が何人もいますから、これからもこういうことがあるかもしれません。
常々心積もりをしておく必要がありますし、そのたびに人の無常を肌にしみるように感じる覚悟も必要ですね。
やがて送られる番が来るまでは、しっかりと送る心の準備をしておかないといけませんね。
WANTA-Kun
http://yaplog.jp/wanta110/
遅れて読みました。お悔やみ申し上げます。
私も年齢が上がって来て、親族やお世話になった方等を見送る日が来ることがだんだん身近な出来事になってきました。
地上での最後の日が必ず来ることを思うと、生きている間のいざこざも何か現実味のないもののように感じたりもします。」
変わり者?の叔父様、mirapapaさんが温かい目線で回想されてらっしゃるのを読むとなにかホッとします。
天国の叔父様にも伝わっているかと思います。
今、叔父様が心穏やかでいらっしゃるように願います。
mirapapa
http://yaplog.jp/mirapapa/
> <色:#ff0000>愛子さん</色>
叔父はおそらく愛子さんがおっしゃるような心情であったかと思います。
もっと変わりたい自分があっても、その場その場になると、なぜかついつい嫌な態度をとってしまう。
私は親戚の中で一番この叔父に似ていると言われますので、その心もちはとてもよくわかる気がするのです。
叔父は、きっと苦しい気持ちだったと思いますが、それを曲げることもまた苦しかったのでしょう。
最後は苦しみましたが、周囲からも自分からも、やっと解き放たれたんだろうな、と思っています。
冷たいと思われるかもしれませんが、あまり同情はししないようにします。
そんなことをすると、怒り出す叔父でしたので。
ホンマに楽になってよかったなぁ、と思うことにしています。
愛子
http://yaplog.jp/penjikai/
叔父様は、「変わり者」とみられ周囲と折り合いがつかないことを、内心とても気にして、もしかすると自分自身を責めておられたのかしら?。。。私が献体を希望するのも、自分なんてなんの役にもたたない人間だから、せめて医学のお役にたてたら嬉しい・・・という気持ちからなので、叔父様の苦しかったかもしれない心情をお察しします。と同時に、周囲の方も大変だったこともお察しします。苦しまれたそうで心が痛みますが、今は肉体からも世間のしがらみもろもろからも解放されて、平安を得ておられることを祈ります。
mirapapa
http://yaplog.jp/mirapapa/
> <色:#ff0000>akoakoさん</色>
ありがとうございます。
そのようにおっしゃっていただいて、叔父も喜んでいると思います{YES}
震災からは、もう20年が経つんですね。
ボランティアをなさってたんですね。
私も職場を通して申し込もうとしましたが、すでにボランティア飽和状態だと言われました。
これが日本のボランティア元年と言われていますね。
多くの尊い命を失い、その後もつらいことが続きましたが、今こうして復興を遂げたことで、人のすごさを思います。
我が家に被害はありませんでしたが、あの状況だけは、忘れようがありません。
亡くなった人を悼むとともに、生きている者すべてがしっかりと人生を生きたいものですね。
akoako
http://yaplog.jp/kyoutonosakura/
mirapapaさん

寒い中をお疲れ様でした。叔父様は最後に今生きている人たちの為に役立とうとして下さったのですね。感謝です。
人は誰もが理想通りには生きられないし、最後を迎える時もその時期も最後の迎え方も選択することは出来ませんね。
今私もそんな想いの中でココロ揺れる時がありますが。
もうすぐあの未曾有の阪神大震災の起こった時間を迎えようとしていますね。あれから20年の時が経過したことが信じられません。
昨日のことのようにあの瞬間を思い出しますし、震災直後に
ボランティアとしてまだ焼け焦げた臭いの残る瓦礫となった
街の焼け跡の中を歩き回った日々を思い出します。
残されたものは日々を一生懸命生きなければと思います。
あの時間には黙祷を捧げたいと思います。
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