私は介護の現場で、老後について色々考えさせられた。
楽しくなさそうな雰囲気の人が多かったので
何をしたら楽しいんだろうと、在職中はそんなことばかり考えていた。
しかし職場を去って、俯瞰して介護の世界を見ながら
自分自身の日々と照らし合わせ、今いい気分でいるために
自分なら、どうしたいのかと考えてみた。
その初めとして、まず読書をしている。
実は、本を読むなんて、ずーーーーーっとやっていなかった。
ネット時代になったから、余計に本というものを見なくなったのもあるが
仕事をしていると、本を読む時間などない。
前職をやめて自分と向かい合って、
もっとカウンセリングの知識を増やしていきたいと思った時
まず思ったのが、本を読みたいということだった。
そして今は、すぐにそれが叶う(笑)
その感覚がとても嬉しかった。
今までならそう思っても、あ~次の休みの日にやろう~~。。。
そう思って、やりたい気持ちを延期して、
結局次の休みにはやらないで終わっていた。
こうやって、やりたいな~と思うことをやれなかった場合、
その後もずっとできないでいる事の方が多いと思う。
年齢は関係なくそう思うけれど、今の高齢者は戦争経験が多いだけに、
たくさんの我慢を強いられてきているから、
今の世代よりもずっとできなかっただろうと思う。
それは驚くことに、お金持ちだろうが貧乏だろうが、関係ないのだ。
今よりも親のしつけも厳しかっただろうから、ダメダメ攻撃にあい、
自分の思いなど口にしてはいけない、
やりたいことはできないことくらい思っていたかもしれない。
高齢者の人と話して出る、幼少期の自分の経験談には、
そういう我慢の話が多かった。
じゃあ今は自由なのだから、時間もたくさんあるし、
色々なことをやって楽しい気分になってもらおうと思ったのだ。
でも色々レクレーションを考えても、
本当に楽しそうに見える時は、
実はわずかしかない。
私達に気を使ってくれて楽しそうにしてくれるけど、
心からじゃないのは見ていればわかる。
じゃあ、一体何をしたら楽しいのか?
いつも疑問だった。
年代が違うから、難しいよな~
そういう風に思っていた。
でも灯台元暗しだったのだ。
私が読書をしているのは、今やりたいことでもあるけれど、
どちらかと言えば、やれなかったことという感覚の方が強い。
だから今それがいつでも自由にできて、とても嬉しいし、楽しい。
やりたくてもできなかったことを
やれているから楽しいのだ。
読書は楽しいけれど、ただ楽しいから読んでるのではない。
「やりたいこと」・・・・・・・・・・をやる
「やりたくても、できなかったこと」・・・・・・・・・・・・をやる
これは似ているけれど、微妙にニュアンスが違うことなのだ。
そしてやりたくてもできなかったという思いは、
心の傷になっていることが多い。
だからこそ、できなかったという思いが、今やることで上書きされる気がするのだ。
「大人買い」という言葉があるが(笑)
幼い頃はできなかった、まとめ買いや高額の商品を買うこと。
大好きな漫画を1冊しか買えなかった幼少期
そして今は、全巻一気に買える大人となった(笑)
我慢をして買えなかったという思いに、
今は買えるんだという思いが上書きされると
出来なかったという不足感が消え、満足感という達成感になり、
心が少し満たされる気がするのだ。
もちろんお金のあるなしで、できなかったことだけじゃなくて
お金以外の理由でやれなかったことも同じだ。
今の年で、今体験することにも意義があるような気がする。
山登りをしても、満足なお弁当を食べられなかったけど
今なら、手作りのおいしいお弁当が食べられる。
山登りしても食べられなかった思い出が、
山登りして食べられる思い出に変わる。
心の奥底にある「マイナスの信念」でできている固定観念が
書き換わる瞬間だ。
それは何よりも、心の豊かさにつながると思うのだ。
心の豊かさが増えていくと、
今度は新しい内容の心の豊かさになるものが
引き寄せられる。
そういう風に、心満たしていくと、
老後病気になっても、人格が変わったりすることなく
起こる出来事を受け入れられて
穏やかに過ごせると思うのだ。
心に穴をあけたまま、宇宙に還ってはいけないのだ。
この世界であけた穴は、この世界で埋める。
だから年齢に関係なく、あえて時間を作り
やりたくてもできなかったことを、やってみる。
本当に心が満たされるので、ぜひやってみてほしい(笑)
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