子供の頃から知っている人のお見舞いに行きました。その人の外見は衰えていたけれど、不思議とその外側を見ていない自分がいました。
その人の過去と今を比較して見ていませんでした。
帰りの新幹線の中、私は相手のスピリットを見ていたのかもしれない、見ようとしていたのかもしれないと思いいたりました。
意識していたわけではないけれど、相手の身体は見えていたけれど、相手の変わらないものを見ていたような気がしました。その人と接していると、顔つきが明るく変わってきていました。安らぎを感じました。
分離したエゴ(自我)の目で見ると、身体、外側が見えてしまう。でも、本当のその人はスピリット、光。光は病気になれない。
聖霊(ホーリースピリット)には、スピリットが見える。相手のスピリットを見る(聖霊と共にでないとエゴで見てしまうので見えない)と、それだけでヒーリングが起きる、そう感じました。
1人の人でいいから、その人のスピリットを見る。それだけで癒しは起こる。
スピリットであるその人は何も変わっていない。
魂の輝きは何も変わっていない。
光は何も変わっていない。光は病気になれない。
お見舞いに行ったのは私だけれど、とても貴重なものをいただいたと思いました。
お互いのスピリットを見るということは分離を見ないということ。そこにある神を、愛を見るということ。
スピリットを見ると判断は消える。
写真は、お見舞いに描いていったシーツの一部です。不思議な図形で、その人だけでなく、もっと広い範囲に影響するように感じました。
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