東京国立博物館に『縄文』特別展を観に行きました。
会場に入ってすぐの所にある縄文時代の説明などを読んでいると、なぜだか泣きたくなってきました。最初の方に展示されている縄文土器を見ても同じ。懐かしさなのか、はっきりとはわからないのですが、泣きたくなりました。
展示作品を見ていると、縄文の人々が宇宙と、宇宙意識と繋がっていたのを感じました。個人であるけれど個人でない。大いなるものと繋がっている、そう感じました。私達現代人よりも幸せだったのではないかと。
縄文時代と同じ時代の他の国々で作られていた土器が展示されていて、とても興味深かったです。
土器から受けるエネルギーの感じが全く違っていて、縄文土器は柔らかく、他の国のものよりも振動している感じがして、宇宙と繋がっているように感じました。他の国の土器だけでなく、弥生時代の土器も展示されていましたが、見た目も違うけれどエネルギーが全然違う。混沌とした宇宙意識から離れて、どんどん人間だけの意識になっていく、それを感じました。
宇宙意識と繋がっている縄文人を感じていると、私達現代人は科学技術は進歩していて昔の人にはできないことができているけれど、ただの一人の人間として考えたら、縄文人の方が優れていたというか、現代人は退化しているのではないかと思ってしまいました。
映画『ルーシー』で、モーガン・フリーマン演じる博士が講演するシーンで、人間は道具を使うことを発達させたけれど、脳の持つ能力を発達させてないみたいなことを言っていました。脳を20%、40%、60%とどんどん使えるようになるルーシーができることのすごいこと!(フィクションですけどね)
人間として持っている能力を開発、進化させていない。知識を学び、得ていくことは大切だけど、でも、人間そのものの能力を上げていく、もう一度宇宙意識と繋がる、そういう部分に焦点をあてていくことが必要なのではないかと思いました。
縄文の頃にはスイッチがONにだったのに今はOFFになっているDNAの情報が、縄文展でONになったというか、うまく言えないけれど何かが起きたような気がします。
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