これは、奇跡のコースのワークブックのレッスン153の文言です。
奇跡のコースを学び、日々の中で赦し(自分の間違った見方の取り消し)を実践していく中で、自分を守りたくなる時は、自分の中に必ず何かしら後ろめたさや罪悪感があるというのを自覚するようになりました。
罪悪感が自分の中にあると、その罪悪感に触れそうな人と接している時、防衛したくなります。
以前なら何も考えず条件反射的に防衛していましたが、自分が何をやっているのか見えてきて、今は防衛が安全にはつながらないというのがわかってきました。
(物理的に襲われそうになったら、もちろん逃げるか応戦するなど対応は必要です)
自分の中に少しでも動揺することがある時は、たいてい守りに入ってます。
黙っていられればまだいいですが、そこで相手に防衛からでた反応を返してしまうと、相手はたいていそれを攻撃ととらえます。
ペインボディが手ぐすね引いて待ってる感じで、戦争がはじまります。
同じ相手でよくこの戦争をするわけですが、自分の中の罪悪感が赦しによって減っていくと、同じことを言われても痛むことがなくなってくるので、守ろうという感じが無くなってきます。
結果争いが起きないので、自分は安全でいられます。
相手が悪いのではなく、自分の中の罪悪感が痛みを引き起こし、そして防衛という攻撃を起こしてしまう。
まあお互いを鏡としているので、じつは罪悪感を映し出しやすい相手をお互いが選んでドラマをやっている。
防衛は自分を弱いと自覚していることになるので、それをすればするほど自分の弱さの自覚が強化されて、恐れも強くなっていきます。
だから、守りたくなったらそこに踏みとどまって、自分の中にある反応しているものを赦して、聖霊に預けています。取り消してもらいます。
グスタボさんも防衛は戦争の始まりと言ってましたが、本当にそうだと思います。
私達の心の中から罪悪感が消えないと、防衛は消えないわけで、現実に映し出される戦争も終わらないのでしょう。
「守らなければ安全でいられます」
人間関係で反応しそうになった時はこの言葉を思い出して、踏みとどまって自分が投影しているものを赦しています。
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