自分が外に見ていることで反応してしまうこと、それを赦して取り消すということは心がけていたけれど、意識して記憶をクリーニングするようになると、ボロボロ取りこぼして赦していなかったことが見えてきました。
奇跡のコースでは、私達は過去しか見ていないと言われます。
記憶をクリーニングしない限り、私は記憶しか見ていない、記憶しか聞いていない、記憶しか話していない。
つまり過去しか見ていない、聞いていない、話していない。
常に常にこのことを意識していられるわけではないけれど、記憶のクリーニングをしていると愕然とします、何ひとつ先入観なしに見ていなかったということに。あらゆるものを自分の見たいように見て、瞬間的に判断、ジャッジしている。
あまりの記憶まみれの状態に、わーって叫びたくなるぐらい。
それぞれの人が記憶だけを見て、聞いて、話しているのだから、当然ズレまくってくるわけで。その記憶も自分だけの記憶ではなく何億年もの様々な記憶。これで問題が生じないわけがない。(笑)
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ほんとうの原因は、もう何億年も前からスタートしている物語の始まりに起きたことであって、私が知っているはずもない。それなのに、途中から見始めたストーリーをわたしはいつもわかったつもりになって、手当たり次第、問題解決に取り組む。そしてたいていは自分自身を傷つけるやり方をとってしまうのだ。
あなたの中に刻み込まれた『原因と結果の法則』も日々クリーニングすることができるよ。こうすれば、こうなるはずだ、というあなたの思考は物事が本来持っているはずの完璧な働きをせきとめてしまうこともあるんだよ。
クリーニングすることがあるから、こういうことが起きている。
『アロハ ヒューレン博士とホ・オポノポノの言葉』より
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赦すこと、記憶をクリーニングすること。一見とてもシンプルだけれど、これって最も効果的で合理的、そして関わるすべての存在にとって良いものをもたらす問題解決の方法なのだと実感します。記憶まみれの中で考えた解決方法って、結局本当の原因に対しては何もしていない、ある意味対症療法なのかなと思いました。
毎日いろんなことをクリーニングして、どの記憶がクリーニングされているのかわからないけれど、何かが確実に変わってきているのを感じます。以前なら無意識に習慣的にジャッジしていたものに対して、踏みとどまれるようになってきました。
ネガティブなこともポジティブなことも、同じクリーニングの対象。クリーニングした先にあるゼロにこそ、無限に広がる愛、平和がある。そんな気がしています。
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