セレスティアル・アート SOPHIA

本当の自分に繋がる、戻っていくために、チャネリングで下ろした高次元の図形達。
天界のアートです。

哀駘它(あいたいだ)~荘子より

2016-12-30 13:24:08 | 気づき・つぶやき

Tシャツに描いた図形とシーツの図形の相互作用なのか、いろいろ変容が起きています。
Tシャツを着て寝ていると、すごく背中が熱くなりました。

NHKの番組『100分で名著』で見た「荘子」の中に出てくる、哀駘它(あいたいだ)という醜い男の話を思い出しました。

私は「荘子」を読んではいないので、番組で話されていた内容しか知りませんが、昔、哀駘它(あいたいだ)という醜い顔の男がいたそうです。
その醜い彼と一緒にいると、男も女も彼にメロメロになって離れられなくなる。
若い女は、誰かの嫁にならなくてもいいから、哀駘它(あいたいだ)の妾になりたいと親にねだる。妾希望の女が数十人もいる。
果ては、ある国から宰相になってほしいと言われる。
哀駘它(あいたいだ)は、醜いし、決して賢いわけでもない。愚鈍といっていいほどの男。
何が人々を引き付けるのか?
彼は、「和して唱えず」、人々の話をただ受け身で聞くだけ。彼と接した人は、春を感じる。

なぜ人々が哀駘它(あいたいだ)にメロメロになるのか。
それは彼から決してジャッジされないからなのだと思いました。
醜い姿も、愚鈍な部分もすべて天命として受けいれて、そして誰のこともジャッジしない。
彼と接する時は、着こんだ鎧も持っている武器(名声、学歴、財力、美貌など)も役に立たない。いや、使わなくていい。
そのことがどれほど安心できることか。そして、鎧を着て武器を持っていつも防衛していることが、どんなにしんどいことかわかる。
だから、哀駘它(あいたいだ)から離れられなくなるのかなと思いました。
普通に人と接していて、ジャッジされないでいられる時なんて、考えてみたら無いですよね。
家族からもジャッジされるし、自分自身でも自分をジャッジしている。

哀駘它(あいたいだ)って、自然と同じなのかもと思いました。
人が自然の中にいたくなるのは、自然が人をジャッジしないからだと思いました。
厳しさも優しさも、その人がどういう人であるかとか、何を持っているかとか、そんなことに一切関係なく、どの人にも同じように注がれる。
だから、生きることに疲れると自然の中で休みたくなる。1人で自然な中に浸りたくなる。
それはジャッジされないから。

本当の強さって、防衛しなくても大丈夫ってことを知っていることなのかもと思いました。
最高性能の鎧を着たり、最高性能の武器をたくさん持っていることではない。

防衛を止めて(つまりジャッジもやめる)、接した人が防衛を解きたくなる、哀駘它(あいたいだ)みたいに春を感じさせる人になりたいですね。



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