出口の見えないうつ病との闘い

うつ病と闘って約5年、闘病生活を綴ります

家族の絆

2019-10-05 22:20:14 | 日記
今日は1日完全に休息日に充てました。

転職サイトも見ず、履歴書や職務経歴書を書いたりもせず、ジムにも行かず、家族と1日一緒にいました。

退職勧告を受けていながらも、怪我の功名と言っていいのかはわかりませんが、私が家にいるおかげで、生まれたての次男、学童保育を辞めて平日は夕方3時までには帰ってくる長男と過ごす時間が持てることは本当に嬉しい限りです。生活費に頭を悩ますことなく、愛する家族と水入らずの時間をずっと持ちたい、甘えなのはよくよく自覚している上での本心です。

私の腕の中ですやすや眠る次男、愛しくてたまりません。

パパのことだ~い好きと言って小学生になったのにもかかわらず、私に抱っこをせがむ長男、愛しくてたまりません。

そして、なんだかんだ言いながらも無給生活の私を支えてくれている妻、愛しくてたまりません。


今日の夕飯は私がカレーを作りました。長男のリクエストに応え、少しだけ贅沢をして、お肉屋さんでコロッケを買って、コロッケカレーです。

長男の分はルゥを入れる直前に少しだけ取り分けて、甘口カレーをつくります。私と妻は辛口と中辛の2種類のルゥをブレンドです。

ともに隠し味はハチミツとおろししょうがです。

妻も長男も美味しい美味しいと言って食べてくれました。

長男は「学校の給食のカレーなんかよりパパが作ってくれるカレーの方が100倍美味しい」と言ってくれました。


無給生活は、当然ですが生活費を削らないといけません。自尊心なんてものはズタズタです。それでも、こんな私のことを父親そして夫と認めてくれる子どもと妻には心の底から感謝の念しかありません。

守りたいものがあるから頑張れる。私にとって守りたいものは家族しかありません。

転職活動は正直、しんどいです。

しんどいというのは、履歴書書きや面接のことを言っているのではなく、新しい職場で新しい上司と同僚、当然新人として新しく仕事を学ぶ、うつ病の天敵である大きな環境の変化を伴います。

いまの私にそれに耐えられるか、やってみないとわかりません。わからないけど、やってみます。

きっと大丈夫。

私には、私の家族がついているから。守るべき家族がいるから。

家族の絆を信じて、転職活動、頑張ります!!


退職勧告と転職の決意

2019-10-05 00:09:32 | 日記
パワハラ上司とのやりとりの詳細は先の記事に書きました。

私は現在無給状態で会社に籍だけ置いている状態です。

人事課からは「会社に籍を置いていられるのもあと僅かだから」と、実質上の退職勧告を受けています。

我が社において、いくら定年の歳だとはいえ、「課長職」に就くのは並大抵のことではありません。

その課長職からの今回の一件。

どうしても許せないのが、私に対してだけなら100歩譲って耐えられます。しかし、妊娠後期で体調の悪い妻にも聞こえる大声で、馬鹿者、熱がでてようが這ってでも来い、と繰り返し罵倒したことは許せたものではありません。

39度3分の熱があった私は「それ以上馬鹿者、馬鹿者と言わないでください、体調の悪い妻が横にいるので、、、」出ない声を振り絞って伝えました。

しかし、頭に血が昇っていた課長はお構い無く「なんやて、聞こえへんぞ、このバカモンがっ!!ワシは今日は昼から休みたいんや!!はよ会社来んかい」と罵り続けました。

一気にメンタルを崩した私は、3ヵ月の時を経て、いまようやくメンタルが回復してきました。

しかし、妻は私が復職するのに大反対。「高熱が出てうなされている部下をそんなに罵倒するような人が上司になれるような会社に復職なんかしなくていい!!給与が安くても二人で働けば大丈夫、転職して!!」

そう言って私を支えてくれています。

思えば、私が今の会社に就職が決まったときは妻も両親も義理の両親も親戚総出で揃って喜んでくれました。特に義理の両親は「mistくんは安定して給与も良くて安泰だ、就活本当によく頑張った、娘のことをよろしく頼むよ」と。

さらには94歳で健在の私の祖母も大喜びでした。「良い会社に入れたのだから、おばあちゃんは嬉しい、細くてもいいから長く勤めなさい」と手を叩いて喜んでくれました。

それが、このザマです。

度重なるパワハラにセクハラ、お酒の席では上司から部下への暴力もありました。さすがに格闘技をやっていて、筋肉質でゴツい体格をした私のことは殴ってきませんでしたが。

ノー残業デーの日は決まって「タイムカードを押してから仕事しろよ、押し忘れてる奴はいないだろうな」と命令してから「ほな、お先に、会議の資料出来上がったらワシの机上に置いとくように、あとプレゼンの資料で次にミスがあったら承知しないからな」と言って帰る上司。日付が変わるまでは当たり前のように仕事をする私を含めた部下たち。

45時間以上の残業は規制がかけられるので、45時間以下に収めていました。

ある日、上司に呼び出され「お前、毎月毎月決まって45時間の残業、おまけに45時間を2週間でタイムカード押して、後は定時で毎日帰ってるっておかしいやろ!!ワシが上席に注意されるし、労基に目をつけられでもしたらどないすんねん!!」とのお叱りを受けました。

誰もが羨むと思われる、当然東証一部上場企業の内情はそんなもんです。


話が大分と逸れましたが、私も定年まで働くつもりでした。妻がいて、子どもがいて、駅チカに子どもが成長したときにと、私と妻の分も合わせた車を計4台止められて、趣味の園芸を楽しめるようにと庭と畑付きの一戸建て住宅を建てました。銀行は、私の会社を知って、どこで住宅ローンを組むかとなったときに、こぞって「うちで借りてください」と押し掛けてきたものです。

愛する家族のため、企業マンとしてそれはそれは死に物狂いで働きました。また、健康には自信があり、入社当時はバタバタと倒れていく先輩を見て、自分だけはあぁはならない、と確信していました。

それがまさかの立派なうつ病と診断され休職する羽目に。おまけに休職期間満了寸前となっての退職勧告です。

復職しても企業体質はそうは簡単には変わりません。

復職してもパワハラ課長が待ち構えています。

近いうちに、パワハラ課長とは、必ず決着をつけます。退職勧告を受けている私に、もう怖いものはありません。絶対に守るべき家族を傷つけた代償は必ず取ってもらいます。これは上司と部下という関係ではなしに、男と男のケジメをつけます。私は今もパワハラ課長に怯えている妻のため、パワハラ課長と刺し違えても構わない覚悟です。

就職を喜んでくれた私や妻の両親には本当に申し訳ないのですが、私はもう今の会社に残ることは考えていません。

これも前の記事に書きましたが、たとえ小さくてお給料が少なくても、私のことを必要としてくれて、私が本当にやりたい仕事をしたいと考えています。

矛盾しているかもしれませんが、私が少しでも気になると思った会社には面接に行くようにしています。会社の雰囲気を肌で感じて、面接で正直に私のことを話し、その上で私を必要としてくれる会社に勤めたい、そう思っています。

35歳になってからの転職活動はそれはそれは大変です。面接までたどり着ければ御の字です。大概はまずは電話で、継ぎに書類選考で落とされます。

でも大丈夫、根拠なんてありません。でもいいんです。大丈夫と信じて愛するの家族を守るために精一杯頑張ります。