とある日経の記事にて、SIerの奴隷根性を何とかせよとアブラギッシュな顔で語られている。あまり好きじゃないつもりであったが、いつもついつい目に止まり、読んでしまう。結局のところファンになってしまっているのかもしれない。
さて、その方の好きな単語である奴隷根性について思うところがある。
それはIT産業の格子にSEの奴隷化を求める仕組みが作り込まれているのではないかと言うこと。ここでは分かりやすく、ユーザー、SIer、メーカー(ベンダー)の3階層で整理する。IT業界の場合メーカーはほとんどアメリカ企業と考えて良い。メーカーは圧倒的な開発力と、コンセプト力でIT市場の動向をコントロールし、自社の製品を導入しないと、時代遅れのITシステムのになると言う不安をあおる。日本のユーザーやSIerにはことコンセプトを覆すだけの青写真を描く力はないため、この流れにただ身を預けるしかない。確かに新しい製品をコンセプト通りに使い、今まで新しい使い方へと変化することによって、効率や価値が産み出せると言うことはあるだろう。しかし、日本の多くのユーザーは業界に遅れないように新しい製品を導入したい。にもかかわらず、今までの使い方はなるべく変えたくない。そんな流れから、自身の現行システムを分析し、期待するメーカーの製品を示唆する形でRFPを作り、複数のSIerからの提案をもらう。提案と言っても、RFPにはざっくり言うと現行踏襲と書かれているだけなので、おなじ使い勝手で最も安いSIerを採用することになる。さて、SIerは過酷の入札を勝ち抜くために限界までダイエットした見積で契約が成立する。契約した時点ですでに赤字と隣り合わせのギリギリの見積となる。そうなるとあとは生き残る術はやる内容をいかに最小限におさえるか。つまり書いていないこと、言われていないことにいかに手をつけないかが生き残る術となる。当然ながら、SE工数の赤字はSIerにとって死を意味する。こうして無事にひとつの奴隷根性のSIerができあが上がった。
他にも
「見積の妥当性を確認するために工数の明細を出せ」→当然ながら、言われた作業だけすれば良いと言う意識付けの効果がある。
「製品不良な相性問に対して当初の計画から変更を許さない」→次からリスクのある目新しいことに消極的になる。かなり具体的に要件をまとめないと着手しないようになる。
「障害発生時に再発防止策を共用する」→言われたルール・対策のみ守れば良いと言う思考になる。
こんな環境で、こんな言葉を浴びなが仕事の経験を積み重ねることで一人前の奴隷SEが成長することになる。
これは死を意味する赤字を回避する為の生存本能とも言える。
結局は相手の見え方と言うのは写し鏡。奴隷のようなSEに不満がもしあるのならば、それは奴隷であることを求めているからなのではないかと感じたと言う話。
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