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伊達藩の領地を現代まで開拓!! 

2017年10月28日 02時09分48秒 | 宮城県・仙台
宮城県は、豊臣秀吉が奥州仕置きとして領地にしたものです。
「台地と沼の荒地」でした。
領地になった伊達政宗は、「土木工事の知識者」ほか
大勢採用しました。
新田開拓は、はじめ北上川下流域や鳴瀬川下流域中心でした。

江戸時代新田開拓潜穴の紹介碑
戦後日本の農地ベスト10のに入る者の支配は、
石巻から古川まででした。
明治時代初め開拓潜穴の工事中写真

開拓した歴史を理解補助する地図

「宮城県大崎市鹿島台駅」」 指定で!

googleマップの航空図」
  山の木の色、田んぼ
「Yahoo地図の水路図」
吉田川と高城川の交差する潜穴、水路のまっすぐのとこ
<「高低図」は、見にくいものでした。>

地図範囲:「宮城県大崎市古川から宮城県石巻市の海まで」

上部:岩手県一関市(江戸時代は、北上市まで伊達藩でした)
下部:JR東北本線松島駅の高城川までです。

JR品井沼駅から下り岩手を見て左側昭和後半、
右側昭和戦後直後からの開拓で、
 奥は涌谷の近いで明治時代の開拓とかそれ以前の古いものです。

高城川堤防
・吉田川が、鳴瀬川と並んで流れています。
 別々の川の吉田川と鳴瀬川の堤防橋は、連続にあります。
  各土地の高低による水の流れがあります。
 近年の吉田川上流れの災害の苦労があります。
おまけ、江戸時代の北上川管理の記録の結果の残りです。
・北上川が、一度戻って北に向かっています。
・北上川が石巻まで流れてにたのに途中から曲がって太平洋に流れるように
 分かるような川をつくりました。
 この川の海に最近あった震災津波の被害のあった学校がありました。
「大きい写真」と「そのほか追加写真」もアップしています


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