人生の終焉に願うこと(続編)
これまでの経緯 ⇒ https://ameblo.jp/miya-ritumei/entry-12512838374.html
このブログを投稿した時には、お姉さんはだいぶ衰弱はしていましたが持ちこたえていました。
この家族の親子の修羅場は何とか成らないものかと他人事では済まされませんでした。
余命いくばくも無い姉さんのために、少しは人間らしい家族になって欲しいと思うのです。
鑑定依頼を受けた二年ほど前は、お母さんも妹さんも姉さんがまさか死ぬなど思っていません。
しかし、命盤は深刻な「同象自化」や理論上の整合性が整っていました。
良い方の整合性なら良いのですが、深刻な方の整合性です。
少しでも姉さんのために家族は「逆縁」を元に戻して欲しいと思い、お母さんと妹さんには姉さんの今後の状況はお伝えしました。
しかし、お母さんはまったく気にしないのです。
妹さんもまさかとは思っているようでしたが、それでも何とかしたいと涙を流しました。
「2019年の11月末の(某)日が姉さんの一番に厳しい運勢です。この年のクリスマスは姉さんには無いかも」と、お伝えしたのです。
何も感じないお母さんのために、少しはビクッとするように伝えましたが、大して気にしない感じでした。
そして、2019年8月、姉さんの容体が悪化して緊急入院、医師から余命二週間と伝えられたのです。
しかし、姉さんは数日後には再び元気に成り、二週間は無事に過ぎました。
だが、11月の中旬辺りから急激に悪化し始めました。
肝機能の数値は生存限界を超えていました。
全身に黄疸症状も現れ、いよいよ厳しくなったのです。
紫微斗数の11月某日は目の前です。
お母さんも妹さんも面会時間ぎりぎりまで姉さんのベットの横に付き添っています。
全身の激しい痛みを緩和するために多量のモルヒネを使っています。意識もモウロウとしながらも、うわ言を言います。
「痛い、痛い、水が飲みたい、アイスが食べたい」
しかし、飲み物は喉を通りません。
妹は姉さんの身体を一生懸命に摩ってあげています。
お母さんも同じように姉さんの身体を摩っています。
何故か摩ってもらうと痛みが和らぐと、姉さんが言っていました。
この時にはいささか姉さんとお母さんは怒鳴り合うことはしません。
姉さんには怒鳴る元気も無くなっていたのです。
ただただ、この限界の痛みから抜け出したい一心のようです。
そんな時に姉さんの口から思わぬ言葉が漏れ始めました。
「おかあさん・・・、おかあさん・・・」
傍にいたお母さんは
「えっ! どうしたんだい 和子」
妹は思い出したように
「お婆ちゃん、早く姉さんを抱っこして」
「えっ、何を言うんだい恵子、和子を抱ける訳がないだろうに」
妹は泣きながらお母さんに訴えました。
「そうじゃなくて、姉ちゃんはお婆ちゃんに小さい時から抱っこして貰っていないんだから、抱っこして欲しいんだよ」
「抱っこけえ? そりゃそう言われると和子には辛く当たってきたけど・・・」
妹は
「私だって、小さい頃から家の中で暴力と暴言の中で暮らして来たんだもの、それでも私はお婆ちゃんが好きだから抱っこして欲しかった、今からでもいいから抱っこして欲しいの」
泣きじゃくりながら訴えかけました。
お母さんは姉さんのベッドサイドに膝ま付くと、姉さんの胸元を優しくポンポンしながら子守唄を歌い始めました。
うわごとを言っていた姉さんは
「恵子、悪いことをしたねえ、私はお母さんの面倒を恵子に看させてしまった。お母さんより先に逝ってしまうなんて・・・」
「おねえちゃ~ん」
妹は泣きじゃくりながら姉さんの手を取り、すがったのです。
姉さんは意識がもうろうとして、もう夢の世界なのか、あちらの世界に行き始めたのか、あまり呼びかけにも反応しません。
やがて、担当の医者が見回って来て、姉さんの足の方の布団をめくりあげて言いました。
「もう時間の問題です・・・」
姉さんの足は冷たく死斑が広がり始めていました。
爪も紫色です。
それから五時間後に日付が変わって、静かに息を引き取りました。
某日の翌日でした。
姉さんとお母さんは最後には「逆縁」を解消出来たと思います。
そして、気難しいお母さんも妹の方の恵子さんと仲良く暮らすことだろうと思います。
葬儀が済んで、お仏壇には姉さんが闘病中に食べられなかった大好きな供物がたくさん並んでいました。
姉さんは亡くなってからの方がお母さんや妹からいっぱい、いろいろして貰っています。
今は本当に幸せなお姉さんです。