とにかく久しぶりのブログです。
下手したら令和初?
昨年、FF7リメイクをやりたいがために、ちょいフライング気味でPS4を9月に購入。
それ以降、ここ最近はゲームばっかりやっていました。
ですので、まったくブログに目を向けておりませんでした。
知らない間に、ハートオブクラクションの鴇田さまより大変貴重なコメントを頂きました。
非常に貴重なコメント誠にありがとうございます。(私のOZAKI18のブログのコメントから閲覧できます)
さて、小5から尾崎ファンの私は思うのであります。
何を?
YOU TUBEのコメント欄で多く見かける、「尾崎がもし生きていればライブを見たかった・・・・」
「尾崎がもし生きていればどんな歌をこの令和の時代に歌っていたのか・・・・」
当然、尾崎は生きていません。
下手したら輪廻転生で別の誰かに生まれ変わっているかもかも???個人的に羽生くんかもと思います。
それは置いておいて、私は思うのであります。
YOU TUBEのコメント欄に多く書き込まれているほとんどの人間は・・・・
尾崎が令和の時代に生きていれば・・・・・
死後ファンになった90%以上の人間が、
おそらく
おそらく・・・・
尾崎を知らずに死んでいったはずであるということ・・・・・。
私はそう思うのであります。
1992年4月25日に尾崎は亡くなりました。
当時、高校に入学したての私は、死ぬほど悲しみました。
そして高校入学早々、学校をずる休みして従兄と一緒に
護国寺の追悼式に参加するため、東京に行ったのであります。
この頃、昼のワイドショーは各局、尾崎の死や追悼式についての報道一色でした。
その当時の大人(おじさん、おばさん)のほとんどは尾崎豊を知りませんでした。
自分の約45人のクラスでも、おそらく尾崎が生きているときに知っているのは2,3人くらいじゃないかと思います。
それが、死んだとたん、結果的にほぼクラスの8割以上が知ることになりました。(8割の根拠なし。おそらく)
私も、尾崎の死んだ後、何人かの友人に尾崎のCDを貸しました。
まさにこの時、尾崎豊の楽曲が大々的に日本全国に知れ渡ることになるのです。
この頃、TVで頻繁に「I LOVE YOU」が流れてました。
自分と同世代の人間(現在の40代、30代)は、ほぼこの時期に尾崎や「I LOVE YOU」を知ることになるのです。
その数年後にはフジテレビの月9「この世の果て」で「OH MY LITTLE GIRL」
が主題歌となり、尾崎初のミリオンを達成します。
このように、尾崎の死後、CDも売れまくり、知名度も爆発的に上がり、生前の何十倍、下手したら何百倍にも膨れ上がるのです。
令和2年の現在、尾崎の「I LOVE YOU」は老若男女問わず多くの人が知っていることでしょう。
日本国民の8割方知っていると言っても過言でないと思います(おそらく・・・根拠なし)
「OH MY LITTLE GIRL」「15の夜」「卒業」などもかなりの人に知れ渡っています。
以上のことより私は思うのであります。
尾崎の死がなければ、現在と同様の認知度は、絶対になかったということ。
尾崎の死がなければ、そもそも自分の両親や、その世代(現在の70代以上)が尾崎を知ることもなかったであろうこと。
尾崎の死がなければ、今、ユーチューブ等で当たり前のようにコメントしている若者のほとんどは、尾崎と出会うチャンスが相当低かったであろうこと(親を通して知っている世代と思うが、おそらく尾崎が生きているれば、親自体尾崎を知らないで今に至る可能性が高いため)。
尾崎の死がなければ、「OH MY LITTLE GIRL」のミリオンセラーもなかったであろうこと。
(決してこの曲をディスっているわけでなく、生きていればこの曲がシングルカットされることは、普通に考えてまずありえない)
尾崎の死がなければ、日本国民のほとんどは、尾崎を知らずに死んでいくのである。
そう考えると、尾崎豊の死が残したものと、尾崎の死それ自体の意味は果てしなく大きい。
なんとも皮肉な話である。
「尾崎が生きていれば・・・」という人のほとんどは、尾崎が生きていれば出会うチャンスが非常に低かったであろうこと。
ある意味「尾崎が生きていれば・・・」と言えるのは、生前からのファンのみなのかもしれない。
おわり。
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