あ〜こんな愛は私には無いし未知。
そう感じるのは何時も母性愛父性愛にだった。
ある死刑囚の母親が裁判で証言した話。
犯行の経緯は、死刑囚となる息子が優秀でありながら、社会で評価や出世を望めずにアウトローの世界での成功を望んでしまった末、彼の性質傾向につけ入り利用され殺人を犯してしまう。指示した者は逃げ果せていた。
この息子には妻子もいたが、早くに離婚しており滞り無く養育費を送り続けていた。
しかし認知の歪みや広い視野での影響を予測理解出来ない強めの発達障害があり、優秀な知能と出世志向を活かせる場を求めるあまり、
「恐いもの知らず」
「他者の立場を自身に置き換えて感じ取る事が出来ない」
を利用され持ち上げられ、重宝にされたのだろう。
彼は殺人の非道さや恐ろしさや結果の想像に欠け、出世にしかフォーカスしていない。
多くの犯罪者も同じではあるのだけれど。
「出世を餌」に無茶難題を実行させるその裏社会的な人物に利用された結果の死刑判決だったように見えた。
この経緯を死刑囚の母は、彼の性質を知る故に理解していたのだと思う。息子の犯した残虐な犯罪を被害者家族や世に十分詫びる姿はどの犯罪者の家族でも一緒ではある為無力ではある。しかし、詫びの後に彼の母親は「自分の子であり最後まで寄り添いたい」という内容の証言し、息子は法廷で泣き崩れたという。
どの裁判でもあり得る話しとは思うが、私はこの母親の愛は根底にある理解が垣間見られ、別格だと感じている。
この母親は息子の成育の過程でも息子の生きづらさを理解していただろうし、良い家庭環境の生育であっても、社会に出れば世間並の活躍の場では苦しむであろう事を予想して心を痛めていたのではないか。
そして、悪くすれば弱みである傾向を利用される心配も抱いてもいたのではないか。
だからこそ、殺人を犯した息子に最後まで寄り添いたいという話は、この母子間でしか解らない深い深い意味を持って息子に向かい心に刺さる愛の光であったと・・私には感じられた。
在りの儘の息子を見捨てず、社会責任制裁を背負う息子を抱く究極の母性愛を持って、そしてこの母性愛を極めながら、子と心に寄り添いこれからを生きるのだと感じた。
何故こんな話しをするかと言うと、地球にはこの様な善悪の混在の中で、電光石火の様に瞬時に神に近い光を放つ愛が生まれる事が唯一可能な星なのではないかと思う。
地球は、アセンションの話から見ると他の生命体から援助を受けるレベル状態の様に言われ、悪への傾きが壊滅的に進み行く末が危ぶまれるのも事実。
生命体として低すぎるレベルとの位置づけが定説になっている。
しかし、地球以外では同一思考、同一レベルの生命体間では恐らくその生命期間に経験出来る事は感情面でさしたる経験は積めないのではないか。
以前にも何度か私は言い放っているのだけれど、地球外生命体の思考は親切であっても、私から見れば合理的過ぎ、死んだ様に感情が貧しく、知能や私達立場から見て科学的にハイレベルであっても、生命体としての感情や情緒面に・・地球人より愛に置いて下等だと私は思う。親切と愛は違う。
宇宙そのものが、創造主の愛であると感じている私にとって、喜怒哀楽以外にも究極の母性父性が放つ愛は創造主や神々が放つ愛に近い光であり、善悪の葛藤の間で人が放つ愛は、おそらく地球人にしか放つ事の出来ない愛だと思う。
地球外生命体にとっては地球は所詮他人事、試験合格者だけが何割か残れば良し。
確かにどうにもならない人間は山程居るし、全てが助かる事は夢でしか無い。それでも、残酷な迄の存在に痛めつけられる際、その人生に愛を放つ行為で応える時、そして愛を持って思い返せたら、地球人として愛なる宇宙創造主に与えられた課題を生き抜けるのかも知れない。
最近苦しいので、↑そんなこんなを感じ、難しい日々を送っています。
愛は難しく、険しい。
精神的に不調の為、乱文ぎみですみません。