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日々のスピリチュアル日記です。

次の段階へ

この話は個人的ビジョンなので、人に伝える物ではないが、自分の記録。
2021年の末12月、霊的な成長の停滞で、私は次の世界の扉の前で立ち往生していた。

次の世界のビジョンは、ポピ―畑が広がる美しい平原で、ユニコーンが待っていてそこから新しい歩みが始まるはずだった。しかし、その世界を見渡す事は出来ても歩み出す事が出来ずにいた。

その頃は日常の祈りが不可能な程日々の暮らしに疲弊し、肉体的な重圧と金銭的な枯渇に身動きもままならない状況にも陥っていた。

しかし、ある主婦が職場で
「こんなに働いて疲労しているのに、家に帰れば家族が次々頼み事をしてくるし、家事も山程ある」
疲れきっていた独り身の私は、休みたい時に横になる自由を持つ自己の甘さを指摘された。
勝手にメンタ―と思う人からも同様の示唆を読み取り、疲弊状況の中、真我が願うところの自己の祈りの姿勢を問われ、試され、駄目出しされているのが解った。

日々続けられずに中止していた祈りや簡略化していた祈りを元に戻し、再開して暫くした12月中盤、私はあるビジョンを見た。

神々の元に呼ばれ、印となる冠を膝ま付いて頂く自分の姿。
そこには、今まで私を助け日々祈りを受け入れて下さった神々様、須佐之男命様、命をくださった瀬織津姫様、龍神様がいらっしゃり冠を授かる姿を見届けて下さった。

冠は、あのポピ―畑の広がる次の祈りの世界を歩み出す許可が降りた事の印だった。

膝ま付いて冠を頂いた私は、神々様に感謝し、龍神に抱きつき涙して喜びを伝えていた。

仏教系の神々様も遠くで見届けていて下さった事も感じられ、私は喜びに満たされ、嘗て宝珠が手元に戻った時と同じ様に妖精と共に歓喜した。

その後、霊的育ての親である主キリストと聖母の下に、冠を頂いた報告と感謝に伺った。

次に見たビジョンは、ポピ―の広がる世界を見渡す建物のバルコニーに居る男性の姿だった。
私は既にツインを手離していたので、意味合いの違う同じ世界を見る協力者がいるという事なのかも知れないし、まだその存在は未知だった。

これらのビジョンが完全に現世で始まる迄、あとどれ程時間が掛かるのかは解らないが、ポピ―畑の広がるユニコーンが待つ世界を歩み出す許可・・・現時点での過去世の精算はクリア出来たらしい。

本当に、霊的レベルクリアを現す個人的ビジョンの記録。

こういう事を繰り返しながら、シンクロ的な事、無関係な人の言葉に対する自分の感情的反応から神々からの指摘を拾い、過不足を理解し内観する事も信仰。

積み重ねれば、神々は真我の望む道へと助けて下さる。

神々と共に生きる日常が、必ず魂の成長をもたらすと信じられる経験が訪れる以前に、自分が神から愛されている存在である事を神々は素直に祈り神を求める人々に用意して下さると思う。

乳飲み子を慈しむような愛に憩い、十分に味わって欲しい。
それをたっぷり味わわなければ信仰は続かないから・・・。

その後に訪れる生活の中で、
私の記録の様な極端な話では無いにしろ、信仰に置いては周りに存在する人々は神と自分を繋ぐ上でのメッセンジャーであり媒体である事を知ると思う。

個人的の好悪感情を排除し、自分に向けられた言動や指摘に、神の意図を探す。
恐らく、他者から映し出す言動に感情的動揺が自分にあればそこに神が望む学びがある。

また、攻撃的な事を身に受けるにしろ、より神に加護を祈る事で神との絆が深まり、後の結果に神の慈しみを見る事もあるし、己の不手際を学ぶ事もある。

我を捨て素直な心で事象の経過を観察し読み取る事は何年生きても難しい。
出来ないのも人間、少しづつ、少しづつ、そして出来無くても次にまた気付ける機会が訪れた時に気付いけばいい。

神々様の御加護と慈愛が一人でも多くの方に届きますように。




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