心Cafe 〜Kuga Chanの目指す道〜

過去から学んだ色んなこと。こんなやり方も、こんな考え方もあるのかと思って頂ければ幸に思います。

そんな事を言われても・・・

2020-09-25 23:59:23 | メンタルヘルス
『夢を叶える像』と言う本を知っていますか?


これは、4作品目なのですが、最初の分から全部持っていて、読み返す事度々。
さらには、小栗旬さんが出演され、ドラマにもなりましたし、氷川あさみさんも2作目の主人公で、出演されてました。
それも、ガッツリ見てます。

最初の本は、ドラマと同じく、しがないサラリーマンが夢を叶えて行くと言うお話で、その最後に次の氷川さんの話しが書かれていたためか、ドラマの2作目は氷川さん主人公で、面白おかしく、為になるけど、えぇっ?!と思うようなドラマになっています。

本の方では・・・本屋さんで確認してみてくださいね。
今回は写真に描かれているように、死神さんも登場します。
中身には触れないようにしますが、死神さんが出て来ると言う事は、誰かしらに死が迫っていると言う中での感動的ながら、ツッコミどころ満載のお話になっています。

そして、この本を読んでいて、思い出した事があるんですよね。

子供達も末っ子ちゃんが高校生だった頃でしょうか。
kugachanの母が「あんたは、どんな風に育てて欲しかった?」と聞いてきたことがあったんですよね。

母自身、勉強するとか調べるとかって事は大嫌いで、小学生にアルアルの本読みを親に聞いてもらう宿題も「壁に聞いて貰え」と言って、判だけを押してくれてました。

小学校に入ったばかりの時は「お母さん、聞いて!!」と何度も言いましたが、子供も学ぶのでしょうねぇ。
読まなくても、教科書を出しておけば(当時は教科書に判と「読みました」と書いてればOK)読まなくても、宿題をした事になる。
そうやって、どんどん宿題ばかりか、学校での勉強も、登校する事さえも嫌になりつつ登校しておりました。

授業中には、しょっちゅう、お腹が痛いと言ってはトイレの裏で、10分程サボってたり、ノートは落書きだらけ、お菓子を持って行って、ばれないように食べていたり・・・と、殆どの科目に興味が失せました。

ただ、図工、体育、音楽だけは、授業の色が違うからか、割と楽しんでいたかも。

で、だったら、幼い頃の「コレ何?」期の時はどうしていたんだ?と逆に聞くと、絵本を与えたものの、読めないので、この字は何だ?と煩かったらしいです。
そこで、母はふすまに、50音表を貼り付け、これを見て覚えろ!となり、1歳代にして50音マスターしたそうです。

幼稚園に行くまでは、近所にも同じ年頃の子がいっぱい居たので、外遊びがメイン。
身体を動かす事も大好きだったので、遊びが、マンホールとマンホールの間を何秒で走れるか?とか、ブランコの前にある柵をどこまでバランス良く歩けるか?等、公園や、公園横でやってるので、遊びに見えますが、場所によってスポーツの習い事のような事もしてましたね(^^;)

なので、運動する事は大好きだったのです。

ただ、年齢が上がるにつれ、年上の子が習い事をしている事に憧れるようになり、kugachanも習い事がしたいと言うようになりました。
最初は大きい子への憧れですから、何でも良かったので、習字に行っていましたが、2年くらいで、つまらないと辞めました。
ちなみに、妹も同じく習っていたのですが、数か月持った?かどうかで辞めておりました。

小学1年生から6年生まで、ずーっとピアノが習いたいと言っていましたが、次ぎに習ったのはそろばん塾。
妹も何故か入りましたが、1年も持たず。
kugachanはピアノが習いたい、そろばんはもう嫌だと言いながら、小3から中1まで続け、珠算検定準2級を卒研としてようやく辞めさせてくれました。

が、その頃には、ピアノを習いたい気持ちはあったものの、音楽番組を見る様になり、ロック、外タレの方へ興味を持ち、中3で、初めてのエレキを自分で購入。

たまたま入った全日高校にも軽音部があったため入部。
そこで、ドラムに出会い、ドラムをするように。
親からしてみれば騒音でしかないロックやヘヴィメタ等は、音楽じゃない!と言い、あの時ピアノを習わせておけば良かったと、後悔の言葉を吐いていたのを覚えています。

ですが、ピアノが嫌いになった訳ではありません。
大人になり、結婚し、子供達が有る程度大きくなってから、電子ピアノを購入。

中学の行事でアルアルの、合唱コンクールで、出来ないヤツにやらせようと言う事で、kugachanが知らぬ間にピアノ伴奏をする事になり、ソロをこれまた音痴の男子にさせると言う、イジメ?みたいなことが決定していたのです。

ま、クラスの女子の2人程がピアノ経験者で教えてくれましたけど、緊張もあり、見事に失敗。
kugachanは号泣してしまいました。

今になって、やっと当時の曲が弾けるようになり、他に2曲くらいは弾けるようになりましたが・・・。
今回の「夢を叶える像」を読んで、いつも、ガネーシャが言うのは、叶うかどうかは別として、叶えて見たい事を書きだせ!的な事を言うのです。

やはり、今回もそう言うシーンがありまして、ノートに書く前に、ちょっと、思い出した事を記しておきたくて、ブログを書いています。

冒頭に母が言った質問に対し『ピアノがやりたかった。もっと勉強がしたかった。』と答えたkugachanです。
実は、勉強も好きだったんですよね。
知らない事を知る事って、凄く楽しい。
計算が解けた時、凄くスッキリする。

判らないトコロを教えてくれと言っても、お父さんに聞きといって、一切教えてくれなかった母。
何で今頃・・・と思ってしまいます。

お陰で、kugachanの子育ては、やっても、どうしても出来ない事までは要求はしませんが、出来る分は本当に時間を掛け、工夫をし、じっくりと教えてきました。
そして、夜学にも入り、そこでも、我が子よりも年下の子に教えて来ました。

人に教える為には、自分がキチンと理解し、解説出来るようになっていなくてはいけないので、我が子が小学生の時から、夜中に勉強をしたり、教える為のグッズを作ったりと寝る間も惜しんでいました。

そして、もう、誰も教える子が居ない今、また音楽やスポーツ、勉強と手を付けてみたいと、夢を見ております。

相変わらず、中3の時のあの曲を弾き、本を読んだり、型の練習をするだけなのですけどね・・・。

子供に戻れるなら、ピアノを習合わせて欲しいです。
今でも、弾ける訳もない楽譜を買ってみたりするのですから。
kugachan、ヘ長調が全く読めないので、ドレミを書くトコロから始めないといけないのでね(^^;)

家計を考えると、習わせてあげたくても習わせてあげられない事もあるでしょう。
けれど、それじゃあ、面倒がらずに自分が教えてあげようかな。
出来る限り、出来る事を。
親自身が後悔しないためにも、少し考えてみてくださいね(*^-^*)



「お母ん、やっぱり、ピアノ習いたかったわ。」






最新の画像もっと見る

コメントを投稿