Myイラスト紹介
子供の頃、絵を描くのが得意で、小学校のクラス文集の表紙イラストを描いたり、雑誌のイラストコンテストにもよく入賞して、色んな賞品をゲットしていました。
その一例を紹介します――。
「釧路新聞」マンガうで自慢
・小学3年生の頃、地元の新聞「釧路新聞」のマンガうで自慢にイラストが掲載
・そのイラストが月間大賞に輝き、学校に釧路新聞社の社員がやってきて校長室で
インタビューを受けた
小3のクラス文集
・3年生全員で校庭に作ったあざらしのすべり台で遊ぶ子供たちを描いたもの
小学校の卒業文集の3組の表紙
・小学校6年の時、学年の卒業文集のクラスごとの文集のページの表紙
・体育の教科書の表紙を見て描いたもの
ちびっこ漫画コンクール
・近所にあった十條サービスセンターというデパートで毎年開催されていたイラストコンテスト
・このコンテストに小2から中1まで毎年応募して、大賞1回、優秀賞1回、佳作2回を受賞
※残念ながら絵は残っていません
魔界塔士SaGaイラストコンテスト
・コロコロコミックの「魔界SaGaのイラストコンテスト」で超優秀賞(大賞)に選出
・ゲームボーイ本体とSaGaのソフトを葉書代だけでゲット
スーパーマリオ冒険シーン イラストコンテスト
・中学校2年の時、優秀作(50人)に選ばれてスーパーファミコンをゲット
・応募総数が約8万2000通だったことがわかり、「よく選ばれたなぁ」と今になって思う
こち亀サンバカーニバル出場車 デザインコンテスト
・1996年の連載20周年記念企画で、浅草サンバカーニバルにこち亀にちなんだ出場車と
衣装をまとった人達が 「こち亀チーム」 として出場
・出場車のデザイン募集で自分が描いたイラストが大賞を獲り、自分のデザインが採用
・沿道の最前列で秋元先生と一緒にカーニバルを見物した後、打ち上げに同席
[こち亀100巻 / 扉ページ]
編集後記
中三の時、美術の先生から地元にある美術が盛んな高校へ入学することを勧められたけど、現実路線で就職率100%の高専を選んでしまいました。
自分の絵の才能を自覚していれば、その才能を伸ばす選択をしたけど、当時は“才能”という概念が無く、ただ「自分は絵がうまい」という認識しかなかったのが悔やまれます。。
藤子不二雄が手塚治虫の導きでプロの漫画家になったように、そういった存在が身近にいればな~。
【画像引用】 「週刊少年ジャンプ/1996年27号」 「こち亀/100巻/集英社」
「コロコロコミック/1990年1月号/1991年7月号/小学館」
「釧路新聞/1986年8月12日(火)/7面」「釧路新聞/1986年11月3日(月)/4面」