
J-POP History / 1993-1997 <5>
通信カラオケが普及し始め、現在も活躍する多くのアーチストが世に出始めた1993年からの5年間。
DEENやミスチル、シャ乱Q、スピッツ、ZARDなどの新星、ユーミンや井上陽水、サザン、ドリカムなどのベテラン勢、時代を席捲した小室ファミリーなど百花繚乱でした。
1997年12月にはX JAPANが解散し、その後を継ぐように翌年からGLAYやラルクが大ブレイクするという時代の転換期でもありました。
そんな平成初期のJ-POPシーンをまとめてみました——。

ポケットビスケッツ
爆風スランプ
L'Arc~en~Ciel
猿岩石
織田裕二 with マキシプリースト
TK PRESENTS こねっと
山崎まさよし
Every Little Thing
SHAZNA
河村隆一
井上陽水奥田民生
電気グルーヴ
広末涼子
Chara
Moon Child
Le Couple
反町隆史 with リッチー・サンボラ
T.M.Revolution
エレファントカシマシ
KinKi Kids
SHAZNA
エキセントリック少年ボウイオールスターズ
大瀧詠一
編集後記
1996年9月にリリースした2ndシングル『YELLOW YELLOW HAPPY』が120万枚の大ヒット。
1997年1月リリースの『Red Angel』も110万枚のセールスを記録。
リリース後は、自身をプロデュースした番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」エンディングテーマとして使用された。
同年6月にはウド鈴木がリードボーカルと作詞を務めた『GREEN MAN』がリリースされた。
爆風スランプ
1996年9月にリリースされた『旅人よ~The Longest Journey』は、「猿岩石ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」の応援歌として制作され、50万枚のセールスを記録。
L'Arc~en~Ciel
1996年10月にリリースした5thシングル『flower』が33万枚のスマッシュヒットを記録。
1996年11月リリースの『Lies and Truth』はテレ東系「TOWER COUNTDOWN」テーマソングに起用され約30万枚のセールス。
翌年10月リリースの『虹』は劇場版「るろうに剣心」の主題歌に起用され、72万枚のヒット。
猿岩石
1996年12月、秋元康のプロデュースにより、藤井フミヤ・藤井尚之兄弟提供の「白い雲のように」をリリース。
爆発的な猿岩石人気でミリオンセラーになり、日本レコード大賞の新人賞を受賞した。
その後も、同年3月に『ツキ』、5月に『コンビニ』、6月に『君の青空』、9月に『オエオエオ!』、11月に『Christmas』をリリースした。
織田裕二 with マキシプリースト
1997年1月にリリースされた13thシングル『Love Somebody』は、CX系テレビドラマ「踊る大捜査線」主題歌に起用され、人気を博した。
TK PRESENTS こねっと
1997年1月リリースの阪神淡路大震災チャリティーシングル『YOU ARE THE ONE』は122万枚のセールスを記録し、売上は小中学校のパソコン購入資金に充てられた。
山崎まさよし
1997年1月にリリースされた『One more time, One more chance』が山崎の初主演映画「月とキャベツ」の主題歌に採用され、30万枚のスマッシュヒット。
Every Little Thing
1997年1月にリリースされた『Dear My Friend』が初のオリコントップ10入り、50万枚弱のセールスを記録してブレイクを果たす。
同年6月リリースの『For the moment』では初のオリコンチャート1位を獲得し、70万枚弱のセールスを達成。
同年8月の『出逢った頃のように』では60万枚、同年10月『Shapes Of Love』は50万枚の売り上げを記録した。
河村隆一
1997年2月に1stシングル『I love you』がリリースされ、オリコン4位を記録。同年4月にリリースされた『Glass』では初のミリオンセラーを達成。
同年7月リリースの『BEAT』は有線大賞「最多リクエスト歌手賞」を受賞。そして、10月に『Love is...』をリリースし、1997年のソロ活動を締めくくった。
井上陽水奥田民生
井上陽水と奥田民生の音楽ユニットによって1997年2月にリリースされた『ありがとう』は、話題性もあり、25万枚のスマッシュヒットとなった。
電気グルーヴ
1997年3月リリースの8thシングル『Shangri-La』が、NISSAN「テラノ」のCMソングに使用され、50万枚近いセールスを記録。
広末涼子
1997年4月にリリースされたデビューシングル『MajiでKoiする5秒前』は、NTTドコモ「ポケベル」CMソングに採用され、59万枚のヒット。
同年6月リリースの『大スキ!』も、アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソングに起用され、50万枚弱のヒットとなった。
Chara
1997年4月23日にリリースされた14thシングル『やさしい気持ち』が資生堂「ティセラJ」CMソングに起用され、50万枚超のヒットとなった。
Moon Child
1997年5月に5thシングルとして『ESCAPE』が大ヒットし、オリコンシングルチャート1位を獲得し、一躍人気バンドとなる。
同年9月には『アネモネ』、同年10月に『Hallelujah in the snow』をリリースした。
Le Couple(ル・クプル)
1997年5月にリリースされた5thシングル『ひだまりの詩』がフジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下2」の挿入歌に採用され、大ヒット。
ミリオンセラーとなり、紅白歌合戦にも出場した。
反町隆史 with リッチー・サンボラ
1997年7月にリリースされた『Forever』は、本人主演のフジテレビ系ドラマ「ビーチボーイズ」主題歌に起用され、50万枚超のヒットとなった。
ボン・ジョヴィのリッチー・サンボラがギターで参加。この曲で紅白歌合戦にも出場した。
T.M.Revolution
1997年7月に5thシングル『HIGH PRESSURE』をリリースし、初のオリコンベスト10入りを果たす。
同年11月、6thシングル「WHITE BREATH」で初のオリコン1位を獲得。ミリオンセラーも記録し、紅白歌合戦に初出場した。
エレファントカシマシ
1997年7月にリリースされた15thシングル『今宵の月のように』が、フジ系ドラマ『月の輝く夜だから』の主題歌に起用され、41万枚のヒットとなった。
KinKi Kids
1997年7月にリリースされたデビューシングル『硝子の少年』は、オリコン初登場1位となり、180万枚近い売り上げを記録。
また、『硝子の少年』と同時に、CDデビュー前の楽曲を多数収録した1stアルバム「A album」もリリースされ、ミリオンセールスを記録した。
ドラマ「金田一少年の事件簿」主題歌『ひとりじゃない』 、ドラマ「銀狼怪奇ファイル」EDテーマ「僕は思う」、ドラマ「若葉のころ」主題歌『FRIENDS』などを収録。
同年11月リリースの『愛されるより 愛したい』は、日本テレビ系ドラマ「ぼくらの勇気 未満都市」の主題歌に起用され、160万枚以上のセールスを達成した。
SHAZNA
1997年8月にリリースされたデビューシングル『Melty Love』は、オリコンチャートで初登場5位、88万枚を売り上げた。
同年10月リリースの『すみれ September Love』もカネボウ化粧品のCMソングとなり、45万枚を売り上げた。
エキセントリック少年ボウイオールスターズ
1997年9月に『エキセントリック少年ボウイのテーマ』がリリースされ、50万枚のセールスを記録。
フジ系バラエティ「ダウンタウンのごっつええ感じ」から誕生した単発ユニットで、B面の「ああエキセントリック少年」はエンディングに使用された。
大瀧詠一
1997年11月にリリースされた14thシングル『幸せな結末』フジ系ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌に起用され、96万枚のセールスを記録した。
⇒ J-POP History / 1993-1997 <4>
編集後記
J-POPは、1993年から新しいフェーズに入ったような気がします。
80年代のアイドル全盛の時代から、平成に時代が変わったことやバブル崩壊を機に、音楽シーンのフェーズチェンジが始まり、1993年に完了したような。
Mr.Children、DEEN、スピッツ、シャ乱Qなどの新興勢力に、80年代から活躍しているドリカムやサザン、B'zなどが入り交じり、そこに小室ファミリーの登場。
それらの先頭集団の勢いが一段落してくると同時に、GLAYやラルクなどのビジュアル系バンドが勢いを増していったという感じでした。
本当に色々な才能と個性あるミュージシャンが周囲に気兼ねせず、やりたい音楽をやりたいようにやっていたような気がします。
あの様な活気のある音楽シーンを、一番多感な時期にリアルタイムで感じることができて幸運でした。
1993年から1997年にかけてのJ-POPシーンはごった煮状態だけど健全で、才能溢れる様々なバンドやアーチストたちの才能が花開いた時代だったように思います。
そして、1993年から始まったJ-POPシーンのフェーズは1997年に終焉し、1998年から次のフェーズに変わっていったように思います。
小室ファミリーや他のアーチストが勢いを失う中、GLAYを始めとしたビジュアル系やKinKi Kidsを始めとしたジャニーズ勢の勢いが急激に増していきます。
また、1998年にモーニング娘や宇多田ヒカル、浜崎あゆみがデビューしたことも、1997年までとは違ったJ-POPシーンになっていった理由の一つでしょう。
テレビ界や映画界にリバイバルブームの波が来ている今、今後、令和の音楽界も過去の音楽に回帰していくのかもしれません――。
【出典】 「ORICON NEWS」etc..