海辺のカフェMARZO

都会の片隅で気ままに暮らすがんサバイバーの記録

暮らす町は元水辺

2024-10-14 09:45:40 | 1990年代

水辺が好きな私ですが、もうこの町で20年以上。
でもよく調べたら、ここも水辺だった。

広大な浄水場跡地のまち。

【前編】新宿副都心の意外な雑学(18分)2024/10/11

ついでに、すぐ近くの散歩コースの雑学。

【新宿】世界最大の駅である新宿駅南口付近に限定した雑学(15分)2024/09/11 

赤いアロハと学食ビールの思い出

2024-09-10 10:39:55 | 1990年代
九月に入っても暑くて急な雨もどっさり降ります。
夏が好きなので暑いのは平気ですが
過ぎたる雨量や突風や落雷は考えもの。
みなさまどうぞご安全に。

かつて住んでみた体感、夏が前後に1ヶ月ずつ長い沖縄本島の思い出話を一つ。

北を向いて右手に太平洋、左に東シナ海を望む
高台の屋上を持つ学部にいました。
学生食堂に最も近く、光たっぷり眺めの良い席を
私の学科の学生はもちろん
先生もよく利用していました。

個性豊かな学生と生徒に出会えたのは生涯の宝。

その頃は、
かつてクジラの研究の権威が「海の全てを学べる学科を」と
全国から教員を集めた
個性豊かなドリームチームがありました。
インディージョーンズもびっくりな面子。
准教授・助教やポスドク、入り直した学生も入れると
元帝大の全部の人が居たというくらい!

同じ学部の中でも、ちょっとだけ
偏差値が違っていたかも。

還暦の時に先輩方から赤のアロハを贈られたという老教授は
この辺境の学校には勿体無いくらいのその分野の権威でした。

にもかかわらず私たちは
「うっじー」と密かに呼んで親しんでいました。

申し遅れましたが、元帝大のどこよりも
卒業が難しい学科で皆激しく学んでおりました。

なんてこともすっかり忘れ四半世紀。
今朝、動画ニュースを見ていたら、
何となく見覚えのある感じ、そしてお名前をみて「!」
老教授の忘形見が、人類の未来を守るため
乗員200名の船を率いて今、
あの大きな災害の痕跡に挑みます。


私は途中まで老教授と同じ分野に進むことも視野に入れて講義をとっていましたが、3年の選択で別の分野に進みました。というか、2年の夏には後の師匠に呼ばれて北海道とか行っていました。

3年の専門科目の講義初日に老教授は「◯◯さんは?」と聞いたらしく、私の不在をさびしがっていたよと同級生が言っていました。ほんまかいな。

学食でお昼にビール、もちろんオリオンを嗜まれ、滑らかな口調で進められる午後の授業、良かったな。のどかな時代でもありました。良き良き。

20代前半、詐欺とは気づかずココ山岡でダイヤモンドを買いそうになった時の話

2024-09-08 10:57:37 | 1990年代
去年のクリスマスに手術を受けて命拾いした私。
術後化学療法の副作用から回復しつつあり、
がんという災難を一山越えた今、ふと思い出したことが。

それは四半世紀も前のこと。一人で渋谷パルコに行った時、ふだん縁のない貴金属売り場の店員の女性から声をかけられた。

「かっこいいですね」

いやいや、研究室からジャケット一枚羽織ってポケットに文庫本と財布だけで来てるって。作業着だって。明らかに周りの同年代と違う格好。立ち止まり、しばらく間を置いて

「これがですか?」と返答。
「知性を感じる」「またまた」「そんなあなたにもこれはとても似合うと思う。着けてみませんか?着けるだけでも」

そしてカウンターの椅子に座って。話を聞くことになった。

そこから先は⇩この感じ。
2022.10.04 公開記事

私の場合、正直、本物のダイヤモンドジュエリーを付けてみても感慨はなかった。子供の頃から親と一緒に浅草橋の問屋街のアクセサリー材料店によく行っていて、そこで売っているキュービックジルコニアのネックレスそっくりだった。重さの違いも私レベルではよく分からない。

問題は、資産価値のようなものがあるとの話だ。

南アフリカのダイヤモンドの産地から、良質なダイヤモンドをお得に仕入れた(その取引はフェアだったのか?酷い話)。いらなくなったら買い戻すのでお金に変えられる。カバンも持たないくらいのミニマリスト、ここで心が動く。

さらに

買い戻す価格は変わらないが、特別にあなたはこれだけ値引きして購入できる。価格は当時の授業料2年分だったか。

おお。

当時私には、就職氷河期にやっとこさ就職した彼氏がいた。正直先が見えない。万一に備えてできれば現金でない何かを持っておきたい、という発想もあった。着物を質屋に入れてお金を作る妻、みたいな将来もあり得ると。時代劇を見過ぎ。首から下げられたダイヤモンドの輝きはどうでも良かった。妄想が頭を駆け巡っていた。

しかし

ふと我に返り、「ちょっと、親に相談してきます!」
そう言って緑色の公衆電話から実家に電話した。母が出た。娘からの急な申し出に驚くでもなく、怒るでもなく、母は「それはどうなん?よう考えてみ」と言った。

電話を切りながら、300万とか500万くらいの価値ならまだしも、100万弱のもの。そんなもので右往左往する将来は要らない、と思い直した。将来、現金化する必要がないなら持つ価値もない。何より、見た目が浅草橋で数百円のネックレスと一緒。

「ごめんなさい、今は要らないです」(ずっと要らんけど)
「そうね、まだ学生さんだものね。また気が変わったらいつでも来てね」

数年後にニュースで見た頃には、自分も引っ掛かりかけたことを親も子もほとんど忘れておりました。