海辺のカフェMARZO

都会の片隅で気ままに暮らすがんサバイバーの記録

赤いアロハと学食ビールの思い出

2024-09-10 10:39:55 | 1990年代
九月に入っても暑くて急な雨もどっさり降ります。
夏が好きなので暑いのは平気ですが
過ぎたる雨量や突風や落雷は考えもの。
みなさまどうぞご安全に。

かつて住んでみた体感、夏が前後に1ヶ月ずつ長い沖縄本島の思い出話を一つ。

北を向いて右手に太平洋、左に東シナ海を望む
高台の屋上を持つ学部にいました。
学生食堂に最も近く、光たっぷり眺めの良い席を
私の学科の学生はもちろん
先生もよく利用していました。

個性豊かな学生と生徒に出会えたのは生涯の宝。

その頃は、
かつてクジラの研究の権威が「海の全てを学べる学科を」と
全国から教員を集めた
個性豊かなドリームチームがありました。
インディージョーンズもびっくりな面子。
准教授・助教やポスドク、入り直した学生も入れると
元帝大の全部の人が居たというくらい!

同じ学部の中でも、ちょっとだけ
偏差値が違っていたかも。

還暦の時に先輩方から赤のアロハを贈られたという老教授は
この辺境の学校には勿体無いくらいのその分野の権威でした。

にもかかわらず私たちは
「うっじー」と密かに呼んで親しんでいました。

申し遅れましたが、元帝大のどこよりも
卒業が難しい学科で皆激しく学んでおりました。

なんてこともすっかり忘れ四半世紀。
今朝、動画ニュースを見ていたら、
何となく見覚えのある感じ、そしてお名前をみて「!」
老教授の忘形見が、人類の未来を守るため
乗員200名の船を率いて今、
あの大きな災害の痕跡に挑みます。


私は途中まで老教授と同じ分野に進むことも視野に入れて講義をとっていましたが、3年の選択で別の分野に進みました。というか、2年の夏には後の師匠に呼ばれて北海道とか行っていました。

3年の専門科目の講義初日に老教授は「◯◯さんは?」と聞いたらしく、私の不在をさびしがっていたよと同級生が言っていました。ほんまかいな。

学食でお昼にビール、もちろんオリオンを嗜まれ、滑らかな口調で進められる午後の授業、良かったな。のどかな時代でもありました。良き良き。


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