阪神戦は下の記事のコメント欄を見ていただければわかるとおり、もう藪のまったく危なげないピッチングでした。
広島の主催試合だったため、CS放送は広島寄り。
解説の達川さんが「藪、ちょっとおかしいですよ」と興味をあおるも、ことごとく裏切る絶好調の藪投手。
8対0でタイガースの久しぶりの快勝です。
さて、この記事の本題はタイトルにもあるように、なんとヤクルトの新人投手・吉田幸央がなんとたった半年で引退したというニュースです。
引用元はこちらをどうぞ。
ヤクルト新人投手吉田が半年で引退
ヤクルトに今季ドラフト5巡目で入団した吉田幸央投手(18=神奈川・城郷高出)が8日、退団することが決まり、任意引退選手としてコミッショナーから公示された。入団からわずか半年での引退は極めて異例。
7日に本人から病気を理由に引退の申し入れがあったことを明かした倉島今朝徳常務は「内臓疾患らしい。治療が長引き、プロとして体力の回復に自信が持てないようだ。残念です」と話した。
でね、この吉田投手っていうのは自らを成り上がりと称する規格外人間なんですよ。
吉田幸央選手の応援サイト「なりあがり!!」様からいくつか彼の発言・プロフィールを拾ってみたいと思います。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
『日刊スポーツ(2003.11.20)』より
☆「巨人に入ったら、あの巨人打線と戦えない。高校生トップ左腕なら日本ハムに入って巨人を倒さないと」
日本ハムに指名されながら入団拒否の可能性もある須永に対してのコメントです。さすがです。
『日刊スポーツ(2003.11.15)』より
☆「進化は止まらないっスよ」
2003、夏以降のトレーニングにより球速アップ!最速の147キロに対してのコメント。
同記事ではメジャーに対する気持ちも語った。
「絶対に世界一のマウンドに立ってやる。だからアメリカでも、絶対に一番上まで駆け上がってみせる。
言葉の壁なんてどうにでもなる」
『2003ドラフト』より
☆「…つまらないと思うんですよ。なにかに縛られて野球をするのは」
01年春、名門東海大相模高校野球部に入部。
しかし「名門校の体質は合わない。管理され、やらされている感じがする」としてわずか3日目にして退部。
クラスメートと草野球チームを作り、のびのびとした野球を選んだ。
☆「俺はこんなところにいる人間じゃない。俺には野球しかない。もう1度、硬式野球をしよう」
その夏、草野球の試合をしていた吉田の目はある光景に奪われた。
隣の野球場では県予選が行われていた。
大歓声のあがる白熱した試合展開。対するこちらはオジサン相手の草野球。
そのコントラストに愕然とする。”もう一度” そう決意した。
猛勉強の末、二学期から公立の城郷高校に転入。
直後の練習試合、高校初めてのマウンドに吉田の目からは涙がこぼれ落ちた。
純粋に野球ができる喜びに感激した。彼はそう言った。
☆「好きな野球ができれば金なんかいらない」
彼の性質をストレートに表した言葉だ。
城郷入学後は練習後ひとりトレーニングジムに通い始める。
昨秋138キロだったストレートは今春なんと145キロにアップ!
春の県大会では小田原高に対し23三振を奪う。
吉田は自らを”成り上がり”と称している。
今年ドラフト候補に名のあがる彼だがその視線はアメリカに向けられている。
10月、以前から評価を受けていたパドレスの入団テストに合格。
すでにマイナー契約できる状態にあるという。
パドレスのスタンドと一体化した野球の雰囲気と、自己責任の環境がしっくりきたようだ。
…でも、日本に残って欲しいなあ。吉田は日本じゃ納まらない人だと思うけど。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
やや引用が長くなってしまいましたが、彼の魅力がつたわってくる素晴らしい発言集です。
強い敵に牙を向く、そんな彼の「成り上がり」志向が手に取るようにわかります。
(ちなみに彼の高校時代の動画がこちらのサイトで見られます。)
でね、この吉田投手応援サイト様にはBBSがありまして、そこになんと吉田投手御本人からの書き込みがありました。
ちわす
吉田幸央 × ×
僕は引退しますが、チームの方を応援よろしくお願いします。引退は1ヶ月前から考えておりました。今詳しいことは言えません。では。
2004/06/08(Tue)
いったい何があったのでしょう?
いや、もちろん僕はこの投手を全然しらないのですが、ものすごく残念な気持ちでいっぱいです。
本当に病気が引退の理由なんでしょうか?
彼の性格と、この書き込みを推測すると、微妙だと思いません?
いや、自身で決めたことですからあとは吉田投手の今後の人生の幸運を祈るしかありません。
ともかく記事にしてみました。
ちなみに似顔絵を描きたかったのですが時間がないのでスポニチさんの選手名鑑で写真をどうぞ!
広島の主催試合だったため、CS放送は広島寄り。
解説の達川さんが「藪、ちょっとおかしいですよ」と興味をあおるも、ことごとく裏切る絶好調の藪投手。
8対0でタイガースの久しぶりの快勝です。
さて、この記事の本題はタイトルにもあるように、なんとヤクルトの新人投手・吉田幸央がなんとたった半年で引退したというニュースです。
引用元はこちらをどうぞ。
ヤクルト新人投手吉田が半年で引退
ヤクルトに今季ドラフト5巡目で入団した吉田幸央投手(18=神奈川・城郷高出)が8日、退団することが決まり、任意引退選手としてコミッショナーから公示された。入団からわずか半年での引退は極めて異例。
7日に本人から病気を理由に引退の申し入れがあったことを明かした倉島今朝徳常務は「内臓疾患らしい。治療が長引き、プロとして体力の回復に自信が持てないようだ。残念です」と話した。
でね、この吉田投手っていうのは自らを成り上がりと称する規格外人間なんですよ。
吉田幸央選手の応援サイト「なりあがり!!」様からいくつか彼の発言・プロフィールを拾ってみたいと思います。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
『日刊スポーツ(2003.11.20)』より
☆「巨人に入ったら、あの巨人打線と戦えない。高校生トップ左腕なら日本ハムに入って巨人を倒さないと」
日本ハムに指名されながら入団拒否の可能性もある須永に対してのコメントです。さすがです。
『日刊スポーツ(2003.11.15)』より
☆「進化は止まらないっスよ」
2003、夏以降のトレーニングにより球速アップ!最速の147キロに対してのコメント。
同記事ではメジャーに対する気持ちも語った。
「絶対に世界一のマウンドに立ってやる。だからアメリカでも、絶対に一番上まで駆け上がってみせる。
言葉の壁なんてどうにでもなる」
『2003ドラフト』より
☆「…つまらないと思うんですよ。なにかに縛られて野球をするのは」
01年春、名門東海大相模高校野球部に入部。
しかし「名門校の体質は合わない。管理され、やらされている感じがする」としてわずか3日目にして退部。
クラスメートと草野球チームを作り、のびのびとした野球を選んだ。
☆「俺はこんなところにいる人間じゃない。俺には野球しかない。もう1度、硬式野球をしよう」
その夏、草野球の試合をしていた吉田の目はある光景に奪われた。
隣の野球場では県予選が行われていた。
大歓声のあがる白熱した試合展開。対するこちらはオジサン相手の草野球。
そのコントラストに愕然とする。”もう一度” そう決意した。
猛勉強の末、二学期から公立の城郷高校に転入。
直後の練習試合、高校初めてのマウンドに吉田の目からは涙がこぼれ落ちた。
純粋に野球ができる喜びに感激した。彼はそう言った。
☆「好きな野球ができれば金なんかいらない」
彼の性質をストレートに表した言葉だ。
城郷入学後は練習後ひとりトレーニングジムに通い始める。
昨秋138キロだったストレートは今春なんと145キロにアップ!
春の県大会では小田原高に対し23三振を奪う。
吉田は自らを”成り上がり”と称している。
今年ドラフト候補に名のあがる彼だがその視線はアメリカに向けられている。
10月、以前から評価を受けていたパドレスの入団テストに合格。
すでにマイナー契約できる状態にあるという。
パドレスのスタンドと一体化した野球の雰囲気と、自己責任の環境がしっくりきたようだ。
…でも、日本に残って欲しいなあ。吉田は日本じゃ納まらない人だと思うけど。
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やや引用が長くなってしまいましたが、彼の魅力がつたわってくる素晴らしい発言集です。
強い敵に牙を向く、そんな彼の「成り上がり」志向が手に取るようにわかります。
(ちなみに彼の高校時代の動画がこちらのサイトで見られます。)
でね、この吉田投手応援サイト様にはBBSがありまして、そこになんと吉田投手御本人からの書き込みがありました。
ちわす
吉田幸央 × ×
僕は引退しますが、チームの方を応援よろしくお願いします。引退は1ヶ月前から考えておりました。今詳しいことは言えません。では。
2004/06/08(Tue)
いったい何があったのでしょう?
いや、もちろん僕はこの投手を全然しらないのですが、ものすごく残念な気持ちでいっぱいです。
本当に病気が引退の理由なんでしょうか?
彼の性格と、この書き込みを推測すると、微妙だと思いません?
いや、自身で決めたことですからあとは吉田投手の今後の人生の幸運を祈るしかありません。
ともかく記事にしてみました。
ちなみに似顔絵を描きたかったのですが時間がないのでスポニチさんの選手名鑑で写真をどうぞ!