五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

五高の資料整理顛末  2002    

2010-10-04 04:32:26 | 五高の歴史
九月十日 火 晴
図書館の永村嬢から電話があって、東大の留学生を私が連れて来るのでよろしくと、職員から閲覧お願いしますとの連絡があれば展示室を開室し点灯して暑さ対策もしてやって置くのがエチケットか。

大学はまだ夏休みであるので七時四十分の出発、渋滞が起こっているところには、必ず交通巡視員が立っている。交通事情の管理するのが任務であろうが、そのたびに渋滞が起こるところを見れば通行者にも一端の責任があるのだろう。十五分に到着した。すぐ管財へ、
五高の卒業生竹下精記氏の寄贈本の一覧を造ったので一枚を、世話人会の決定事項、これも一枚渡す。

センターに顔を出すが岩岡館長はまだ来ていない、十五分を過ぎ開室する。

永村嬢からまた一時三十分には連れてきますと連絡がある。平山世話人から電話があって午前にひまが出来るなら出てくると連絡がある。

歯の調子が悪く今日は机で資料だけを見ることにして出てきたがどうもそれも出来ないようだ。

永村嬢の依頼は五高から大学へ改革の時の資料が欲しいらしい。昭和二十二年~二十五年学制改革の時代である。この時代は熊本大学事務局を設置して活動が始まったばかりで五高の資料の中に残っているものは法文学部への通知だけである。初代の法文事務長中本氏の雑記綴りが残っているだけである。教育基本法から施行令はじめ公務員宿舎法の設立関係まで几帳面に通知はすべてファイルしてある。医大、五高、師範、工専、薬専が合体して熊本総合大学として発足したのである。
昭和二十四年十一月十五日火曜日午前一〇時から開学記念式に向けての通知を見てみよう。式典関係者、総務に網田係長、式場古閑庶務課長、中本事務長、田中(学)小野係長、受付西村事務長、宮原、岡田、小川、米村係長、祝宴係牧事務長、田中、松下.会計係長.、寺脇、古田係長、所謂後の熊本大学の幹部になった人々の名前が見える、この綴りは五十五年も前の資料であるが、私的なものも多いので閲覧させるわけには遺憾だろう。

センターで振替一通貰う。ハーン展が十九日から付属図書館で行われるそうで西川教授が主任であろうが、俺自身は今年は昨年の二の舞はしたくない。平山世話人が先日の謝金一万円を寄付するということで、こちらも帳簿の整理上、払出してすぐ寄付として受入れることに賛成する。

永村嬢が留学生を連れてきたので約五〇分にわたり展示室を案内する.日本の教育制度について勉強しているようだ。西川教授は展示室から関係資料を運び出すのも大分多いようだ、俺は監督するばかりであるので、運んだり包んだりはしない。破らないように持って行くようにと言うばかりである。運び出しのリストをもらったので帰りに管財へ持って行き.説明してやっておこう。
ハーン展に関しては十九日の午後一時から開会式が行われるそうであるが木曜は公民館活動のピンポンであるので出席は止めにしておこう。

熊本城の石垣

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