大正の14~5年ごろには全国の中学校や高等女学校の学科の専門教員が不足している。そのために臨時に教員養成所が全国に16ヶ所が設置されている、その第13が五高に出来た第十三臨時教員養成所である。
これは大正15年・4月1日の文部省告示第203号を以って臨時教員養成所数学科が設置された。
五高では明治35年3月28日の勅令第100号臨時教員養成所官制ならびに同年の3月29日の文部省令第8号臨時教員養成所規程に基づいて、
本所規則と本所学資支給規程並びに生徒服務細則を制定し文部省に申請しすぐ認可を受け、それと同時に授業が開始された。
養成所の設備は五高内の倉庫の一部を改修して教室として生徒を収容している。職員及び生徒の使用する机や器具類は五高の備品を借用して使用している。、参考用図書の多くは五高の備品を借覧したが不足する分については必要な分は購入している。
その内訳は図書で和漢書43部、端本4冊、洋書25部、端本1冊で、価格は327円40銭であった。
職員には専任の教官は居ない。大正15年度末の職員は管理者1名、主事1名、講師10名、事務5名、医師1名の合計18名で講師の外俸給は皆五高から出ている。
その内の講師1名は県立熊本商業学校の教諭で他は五高の教授、講師、及び書記を嘱託としている。
この第十三臨時教員養成所は第五高等学校とは全くの別学校の組織であるので両者の間では生徒の交流は殆どあっていない。