-------- AUTHOR: 虚実歴史研究家 TITLE: 『はだしのゲン』における「日本が降伏しなかったから原爆が落とされた」論について DATE: 06/14/2014 20:01:00 PRIMARY CATEGORY: 昭和初期 STATUS: Publish ALLOW COMMENTS: 1 ALLOW PINGS: 1 CONVERT BREAKS: 1 CF50_USERNAME:navy.ap.teacup.com/monogatarekishi/ ----- BODY:
中沢啓治の『はだしのゲン』でゲンは「日本が降伏しなかったから原爆が落とされた」と述べている。戦争も核も悪だがいざ戦争が始まったら原爆以外に戦争を終わらせる選擇肢はなかったという認識だ。 一方、小林よしのりは『天皇論』で「アメリカが最初から日本に原爆を落とすつもりだった」としている。アメリカにとって原爆投下前に日本が降伏してもらっては困るので、アメリカ側は日本が拒否するようにポツダム宣言を工作し、宣言から戦後の「天皇制維持」の文言を排除したらしい。当時の日本政府と国民は「ポツダム宣言を受け入れると天皇制がなくなり、日本が日本でなくなる」と思って、ポツダム宣言を拒否した。それで原爆投下となったらしい。 しかし、『ゲン』の作者の中沢啓治に言わせれば、それでもやはり「原爆投下は天皇のせい、裕仁のせい」だろう。ゲンの考えでは天皇制など日本には「邪魔」であり、1945年当時、日本が天皇制を捨てる覚悟でポツダム宣言をすぐ受け入れて降伏すれば原爆を落とされずに済んだのである。日本人は天皇制の維持に固執した結果、ポツダム宣言を拒否した。つまり天皇制のために広島と長崎は犠牲になったわけだ。中沢啓治は天皇制の存在こそが戦後日本の問題であると考えていたようだ。 おそらく中沢啓治の考えでは裕仁が戦犯として裁かれて、天皇制がなくなることが真の意味の日本の反省だったのに、裕仁は処刑されずに他界し、天皇制は中沢啓治の没後も存続している。 中沢啓治にとってそれが無念だったのだろう。 69年前、日本政府がポツダム宣言を「黙殺する」などと返答したため、これがignore(無視する)と解釋され、アメリカによる原爆投下につながったともいわれる。「黙殺」では「判断を保留して後で返答する」意味なのか「無視する」意味なのか曖昧だ。日本語の中でも永田町方言であろう。政治家は自分のことばが外語に翻譯されることも考えて、極力「誤解」のない表現を使うべきだ。
「はだしのゲン」にある「日本は原爆を落とされてあたりまえ」論。
「日本は原爆を落とされてあたりまえじゃ。日本はハワイにあるアメリカの基地、真珠 湾を卑怯な騙まし討ちをしたからじゃ。そんな卑怯な日本人が原爆を落とされたからとい って文句を言う資格はない。反対に原爆を 沖縄のあまのじゃくの感想。 - Y!ブログ
ゲンはアメリカ人の「真珠湾への報復」論には反論していたが、後で結局「原爆が戦争を終わらせた」と言ってしまってる。
posted at 19:31:39
虚実歴史研究家@kyojitsurekishi @mini_cooper_man @yasushitamaki
中沢啓治の天皇批判は「はだしのゲン」1巻から10巻まで終始一貫してますが、結局、ゲンの主張は本島等元長崎市長の「天皇に戦争責任」「広島よおごるなかれ」や久間元防衛大臣の「原爆しょうがない」発言と同類になっています。
posted at 21:12:46 related tweet
虚実歴史研究家@kyojitsurekishi @waaldpeace5
はだしのゲン10巻でゲンは「もし原爆がなければ戦争狂の天皇が戦争を続け日本民族は滅んでいた。原爆で広島・長崎の数百万が犠牲になったお陰で戦争が終わり多くの日本人が救われた。日本人は広島・長崎の犠牲に感謝すべき」と言ってます。被爆者は怒らないんでしょうか?
posted at 16:25:10
@arakawa_kohsen2 こちらをご覧ください。
清義明のブログ Football is the weapon of the future REDUX
『はだしのゲン』に対する批判への反論(1)「原爆が戦争を終わらせた」というセリフについて
posted at 21:07:14
2007年 本島等氏に聞く「(久間元防衛大臣の)しょうがない」発言 怒りでなく和解の心を - 長崎新聞
戦争を語るブログ 「はだしのゲン」原画、平和記念館へ(2009)
『はだしのゲン』における「日本が降伏しなかったから原爆が落とされた」論(2014)
ウクライナがロシアに降伏しない状況を見ると、日本がアメリカへの降伏をためらった理由もわかる。ただ日本は侵略を始めた側、ウクライナは侵略された側だった。
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はだしのゲン<古→新>(twilog)
@kyojitsurekishi はだしのゲン(twilog)
barefoot(twilog)
はだしのゲン 戦争 終 はだしのゲン 久間(twilog)
参照
平成26年BLOG
/終戦69年の原爆の日と『はだしのゲン』 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/
/本島等(長崎市元市長)死去 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/
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T-CupBlog>〔沖縄戦71年〕
<平成28年>2016/6/24 1:46 /前後一覧/
2016年6月23日(木)
「平和」は日本語でheiwa[he:wa]だが「平」の漢音「ヘイ」は「フェイ」Фeiだった可能性がある。
琉球語では本土方言のeがiになるから「フィーワ」Φi:waか。
朝鮮語では「平和」はphyeong-hwa。
posted at 15:34:02
related tweet
琉球語で「世界」は「しけー」∫ike:か。
つまり日本語の「せかい」sekaiのeがiになり、
aiがe:になったわけだ。
朝鮮語で「世界」は「세계」se-gye、
標準シナ語でshi4jie4、廣東語でsai3gaai3になる。
posted at 15:36:41
日本語の「平和の世界」he:wa no sekaiが
琉球語で「ふぃーわ ぬ しけー」Φi:wa nu ∫ike:になるとすると、
本土語のeとoが琉球語でiとuに、aiがe:になるからだろう。
2013 #june23 15:39
posted at 15:39:06
@kyojitsurekishi #はだしのゲン の中公文庫第1巻116頁によると1945年4月1日に米軍が沖縄に上陸。186~188頁では同年6月23日の激戦も描かれ、日本軍兵士10万9000人、沖縄市民10万人戦死。
15:29 - 2016年6月26日
23:29 - 2016年6月25日:Twitterで表示された日時
@kyojitsurekishi 「#はだしのゲン」でゲンの長兄・浩二が予科練に志願したのは大体、#沖縄戦の時で、1巻を見ると沖縄戦と集団自決の様子が描かれている。やはり小学生の時に「ゲン」を読んでよかった。
15:56 - 2016年6月26日
23:56 - 2016年6月25日:Twitterで表示された日時
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AmebaBlog>沖縄戦76年、令和3年、慰霊の日/
<令和3年>2021-06-23 23:59:26
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令和4年3月24日
開局45周年記念 命のドラマSP“白旗の少女” 2009 09 30💻
〔#昭和生まれっぽい発言をしろ〕
〔#昭和の日だから昭和っぽいことを言う 〕
〔#昭和の日なので昭和っぽいことを呟こう #昭和の日 〕
〔#昭和語感〕
〔#昭和の懐メロ〕昭和14年(西暦1939年) 軍歌「父よあなたは強かった」
〔#sm1320895〕
〔19:25 - 2018年4月29日〕
昭和というと戦後の高度経済成長期ばかりを回顧(懐古)して昭和を美化する人が多いので、昭和の初期は戦争の時代だったことを強調しておこう。
〔#昭和の日なので昭和っぽいことを呟こう〕〔#昭和の日 〕
〔#昭和語感 〕〔#昭和歌謡 〕
〔#昭和の懐メロ <軍歌>出征兵士を送る歌〕
〔19:40 - 2018年4月29日〕
『#はだしのゲン』で浩二が予科練に志願した時、大竹吾郎という青年が出征し、「露営の歌」で見送られていた。浩二は予科練で、日本全国で市民が戦争の愚かさに気付いていおらず、戦争に協力していたことを改めて実感し、嘆きながら「若鷲の歌」を歌っていた。
〔#昭和の懐メロ〕
〔7:12 - 2018年6月9日〕
昭和の懐メロ:霧島昇、波平暁男 「若鷲の歌」 昭和18年(1943年)
西郷輝彦 「若鷲の歌」 昭和43年(1968年)
作詞:西條八十
作曲:古関裕而
こういう替え歌もあったようだ。
「♪命惜しまぬ人はない。七つ八つの子供を連れて、今日も行く行く買い出し部隊。でっかい大根、長い牛蒡(ゴバウ)」。
〔9:33 - 2020年3月16日〕
/若鷲の歌 西郷輝彦/
/#昭和レトロ/
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) October 27, 2022
/#昭和の懐メロ/
霧島昇、波平暁男『#若鷲の歌』
昭和18年(西暦1943年)
作詞:西條八十
作曲:古関裕而
/#関東地方の歌/
/#戦時歌謡/
/#軍歌/
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/#昭和レトロ/ /#昭和の懐メロ/
霧島昇、波平暁男『#若鷲の歌』 昭和18年(西暦1943年)
作詞:西條八十 作曲:古関裕而
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関連語句
〔若鷲の歌〕
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T-CupBlog>〔昭和10年代の懐メロ〕
『はだしのゲン』における「故郷の空」
『はだしのゲン』における替え歌と原曲どおりの歌(1巻~4巻)
〔若鷲の歌 - ニコニコ動画〕
〔若鷲の歌/霧島 昇〕