高円宮家の次女典子さまと出雲大社祢宜(ねぎ)=宮司(ぐうじ)補佐役・千家国麿(せんげ・くにまろ)氏の婚約が内定。
@kyojitsurekishi 今度は天照大神にさかのぼる縁か。さすが出雲大社の宮司。
<典子さま婚約内定>ひかれ合って7年…千家さんと会見(毎日新聞) - Y!ニュース
>「…2000年を超える時を経て…ご縁を感じています」
毎日新聞 5月27日(火)22時3分配信
17:09 - 2014年5月27日+16時間
典子女王殿下ご婚約へ 皇室と出雲大社、神話の時代からの縁(産経新聞) - Y!ニュース
産経新聞 5月28日(水)10時28分配信
1:12 - 2014年5月30日
しまりすマネージャ@simalis1
神話はあくまでフィクション・ノンフィクションごちゃ混ぜの話として大らかに捉えるべきであって、「大和朝廷は3世紀頃~」「出雲国造は6世紀頃~」なんて学術的な検証から神話や皇統を全否定する作業は不要なんですよ(笑)
しかもワザワザDMで教えてくれなくても良いのに(笑)…
4:25 - 2014年5月27日+16時間(→推定20:25)
日本の歴史で疑問に思うのは結果として権力を握った勢力の多くが天皇の子孫だということだ。
蘇我氏は佛教導入を主張し、反対派の物部を倒したが、蘇我氏は孝元天皇の皇孫・屋主忍男武雄心命または孝元天皇の皇子・比古布都押之信命を父とする
武内宿禰の子孫とされる。
蘇我氏は聖徳太子の時代に天皇家と血縁関係を結んだが、もとより同祖の末裔だったことになる。
また、桓武平氏は桓武天皇の末裔で、清和源氏は清和天皇の子孫なので、源平は天皇家同士の内輪もめであり、壇ノ浦で源氏が平家を滅ぼしたかに見えたが、北条政子の北条氏も桓武平氏の子孫を名乗っており、源頼朝は敵を妻にしていた(あるいは真の敵は義経だったか)ことになる。
北条家が源氏の将軍家を滅ぼし、鎌倉幕府で実験を握ったのは平家による源氏への報復だった。
「義経=ジンギスカン説」ではチンギス・ハーンもフビライ・ハーンも清和天皇の子孫になり、現行は源氏と北条家の内戦になる。
また、日本では源氏の末裔を名乗る足利氏が北条を敵とし、鎌倉幕府を倒して、室町幕府を立てた。後に織田家、木下家→羽柴家→豊臣家が天下を握ったかに見えたが、これまた源氏の末裔を自称した松平家→徳川家が天下統一。
『葵 徳川三代』では徳川家康が天下取りのために系図を書き換えた結果が「源氏の子孫」の主張である。『必殺仕事人V』では筆頭同心・田中と他の同心たちが江戸時代の将軍家(徳川家)を「源氏」としていた。
1867年の徳川慶喜による大政奉還は、1185年に天皇宗家から一度、清和源氏に移った政権が、682年経って天皇宗家へ戻された過程に過ぎないことになる。
結果として日本の歴史は天照大神の子孫同士の内輪もめか、天皇の子孫が他家に政権を奪われて取り返した経緯である。
どの辺まで信頼できるか定かではない。
日本の天皇家の歴史は『北斗の拳』の北斗宗家に似ている。
『北斗の拳』では北斗神拳の傳承は実力による一子相傳のはずだったが、「修羅の国」編では、いつの間にかケンシロウ、ラオウ、トキがヒョウやカイオウと同じく北斗宗家の末裔ということにされ、それは2000年前の北斗神拳と北斗琉拳の誕生の歴史までさかのぼっていた。
リュウケンの弟子だったジャギ、キムが傳承者になれなかったのは血統で決まっていたのか?
アミバも北斗宗家の血を引いていなかったのだろうか?
南斗聖拳も同様だ。ユダ登場の時のレイの話では、南斗六聖拳は南斗聖拳を極めた「男」たち(またはその拳法)だったはずだが、五車星(風のヒューイ、炎のシュレン、山のフドウ、雲のジュウザ、海のリハク)が登場した時には最後の将が女のユリアで、ケンとラオウの最終決戦の時の回想では、ユリアは幼少のころから血統で南斗の将になることが決まっていたようになっている(ユリアが将であることを知っていたのはフドウ、リハク、ヒューイ、シュレンで、ジュウザにはギリギリまで知らされていなかった)。
なお、ジュウザとユリアは腹違いの兄妹であるが、ユリアにはリュウガという兄がいた。
蘇我氏が武内宿禰の子孫で孝元天皇の血を引くという「神話」だけでなく、平家、源氏、北条、足利、徳川家も「天皇家の子孫」という歴史観も非常に疑わしい。
19:11 - 2014年5月30日
もしも徳川家が源氏の子孫だったら - Yahoo!ブログ
11:36 - 2014年5月31日
壇ノ浦で二位の尼とともに海底に沈んだ安徳天皇も父は高倉天皇、母親の平徳子も桓武平氏なので皇室とその子孫の間に生まれた(NHK大河ドラマ「平清盛」では清盛は後白河院の隠し子で、平氏にとって養子)。
17:07 - 2014年5月31日
また、徳川家が「清和源氏の末裔」であれば、徳川家は「清和天皇の子孫」なのだから、幕末の孝明天皇の時代の和宮と家茂の結婚(公武合体)は皇室の本家と分家同士の婚姻になる。日本の歴史は「天照大神の末裔」同士の婚姻や権力争いの繰り返しとされているようだ。
17:13 - 2014年5月31日
皇室と千家家が天照大神の末裔というのは非科学的だという人もいるかも知れないが神社の宮司がこれを言うのは信仰の上から見て当然で、毎年初詣に行く人は神を信じていないのだろうか?
17:14 - 2014年5月31日
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関連語句
天照大神
北斗(Y!Blog)
大和朝廷 3世紀 典子さま 2000年(twitter)
参照
武内宿禰は300年生きた? - Yahoo!ブログ
西暦2014年は皇紀2674年か1834年か - Yahoo!ブログ