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『天地英雄』、遣唐使が剣客となり、佛舎利を守った?

西暦700年。映画『天地英雄』で描いた時代がこの時期らしい。映画は劇場で観たが、細かい設定をホームページで確認すると西暦七百年。唐はと突厥の「侵略」に覚えていたようだが、秦も唐も「侵略」を「国家統一」にして国土を造ったのだから、脅威はお互い様である。

やはりホームページによると、来栖旅人は13才で遣唐使として唐に渡り、25年ぶりに帰国が許されたが、その条件とは、逆賊とされた李を殺すこと。李は突厥の女の子供を処刑する命令に背いて、数名の部下とともに逆賊になったらしい。

来栖は日本語で「くるす」と読むが、中国でLáixīまたはLáiqīになるから、読みは重要ではない。

もちろん、李のほうが寛大であるわけで、「国の言いなりにならない」ことは時として重要である。
ただ、それは諸刃の剣で、著作権でも食べ物の安全性でも薬物でもゴミ捨てでも、「国の決めた規則」を守らない人間は絶対になくならない。
来栖は李とともに、佛舎利を守る旅に参加した。

遣唐使から奈良時代へ、渤海と満洲史(『天地英雄など』)

Yahoo!Blogで編集すると保存不能になり、いろいろ試してみると「薬物」の箇所を省くと保存できた。

関連語句
遣唐使 天地英雄
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