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星飛雄馬左腕時代のカレンダー

1966年
第48回全国高等学校野球選手権大会

1967年
第49回全国高等学校野球選手権大会



8月20日(67年)~24日(66年)、夏の甲子園決勝。
9月(または8月末~10月初め)星飛雄馬が巨人にテスト入団。
10月7日、巨人セV3。21~28日、日本S、飛雄馬がONと2度対戦。
11月┐
12月┴この時期までに速水一軍入り、飛雄馬二軍初V。

1968年
1月、雪山特訓。
2月、台湾キャンプ。
Yahoo!Japan 長島 台湾キャンプ 68年 2月
LINK
3月、おそらくオープン戦、花形あわやHR。
4月7日、左門HRで飛雄馬二軍落ち。
5月
6月14日、大LB1号初公開。
7月23~25日、球宴。花形風船事件、鉄バット特訓開始。
8月
9月18日、バッキー・荒川大乱闘。花形が大LB1号HR。
10月┐8日、巨人セV4。20日、日本S。大LB改良型。
11月├カーディナルスとの試合。飛雄馬入院、契約更改拒否(推定)。
12月┘クリスマスパーティーで飛雄馬大暴れ。

1969年(→Wikiは削除が検討されているらしい)
1月、飛雄馬と明子、マンションに引っ越し。ボウリング大会。
2月┐自主トレ~宮崎キャンプ。
3月┘オーロラ三人娘宮崎公演(アニメ、設定は3月1日)。飛雄馬二軍落ち。
4月┐開幕(推定)。
5月│
6月├大LB1号、オズマに打たれる。
7月┘球宴、飛雄馬は辞退。
8月、飛雄馬、大LB2号を編み出す特訓中。
9月14日、大LB2号公式戦初披露。
9~10月、左門と、そして花形と2号で勝負。
10月9日、正力松太郎死去。巨人セV5。10日、金田正一400勝。
11月2日、巨人日本SでV5。30日、金田正一引退。
12月、一徹が中日事務所で伴のトレード提案。

1970年
1月、オズマ帰国。一徹がマスコミに伴のトレード案を公表。
2月┬┬自主トレ、伴トレード。
3月┘└宮崎キャンプ(「顔でわらって心でなけ!」)。
4月┐開幕、中日の伴は投飛。花形が2号をHR。飛雄馬は東京へ帰る。
――│┌飛雄馬、試合缺場か(「青春のぬけがら」)。
5月├┤飛雄馬の長屋が解体。京子が小指を負傷。
6月│└札幌シリーズ。
7月┘球宴。大LB3号披露。
8月、大LB3号調整。
9月、後半戦で左門と対戦、その後、連勝。
10月、飛雄馬、完全試合達成、左腕破壊。22日、巨人セV6。
11月2日、巨人日本SでもV6→『侍ジャイアンツ』第1話。
12月、飛雄馬失踪か。

1971年
1月(推定)、左門と京子の結婚式。

1970年前半戦における星飛雄馬の記録と試合日程

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縱の罫線(たてのけいせん、│)と縱棒(|)はT-CupBlogで観ると違いがはっきりわかる。

T-CupBlog>漢字論原点回帰
選手権の「選」
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星飛雄馬は67年秋に高校を1年2学期で中退して巨人にテスト入団。
68年開幕から一軍。もっとも、開幕第1戦で二軍に落ち、前半戦の途中に復帰。もっぱら後半戦で勝ち数を稼いだ。後半戦の途中で花形に打たれたが、1号は存続。ただ、門限破りの謹慎で日本Sは途中から出場。
69年は日高美奈ショックで春から少し出遅れ、1号をオズマに打たれ、球宴辞退。後半戦は自ら二軍に落ちて、やはり出遅れ、9月半ばから大LB2号で一軍復帰し、阪神や大洋などと残り1試合を残した終盤からぎりぎりの滑り込みで後半戦に合流し、日本Sまで出場。
70年は開幕初日に巨人(讀賣)と竜(中日)、次に虎(阪神)との2試合のあと、飛雄馬は勝手に戦線離脱。球宴まで登板せず、後半戦で大LB3号を駆使して勝ち、最後は完全試合。

つまり、左腕時代の飛雄馬は68年の前半戦と69年の前半戦と後半戦、70年の前半戦で勝手な缺場が目立った。休む理由は故障より精神的なショックが大きく、故障プラス精神的な理由で缺場し、帰国を繰り返している朝青龍に似ているだろう。あるいは精神面での勝手な休業が多い分、飛雄馬のほうがスポーツ選手として悪質かも知れない。

花形やオズマと比べ、左門が星飛雄馬の魔球を打倒するチャンスに惠まれなかったように見えるのは、星飛雄馬の勝手な敵前逃亡によるタイミングの悪さ、気がついたら巨人と鯨(大洋)のカードが終了…という要因も大きいだろう。

飛雄馬の給料は68年シーズン終了時で球団側が6割アップを提示。飛雄馬は倍増を要求したが認められず、69年宮崎キャンプ時に6割増で妥協。しかし69年シーズン終了では倍増実現。
70年のシーズンにおける飛雄馬の給料はどうなったのか。飛雄馬は給料を受け取らずに失踪したのだろうか。そうなると、飛雄馬が“發見”されるまでの5年間、球団があずかっていたか、あるいは星一徹または明子が代理で受け取った可能性がある。76年に飛雄馬は古巣・巨人に復帰したので、その辺は話がついただろう。

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