テレ玉「新必殺からくり人」では「藤川」(現在の愛知県岡崎市藤川町辺)の話。西崎みどりがゲスト出演。馬を歩かせながら歌も披露。
/午前10:18 · 2013年1月10日/
//2013年10月15日(火)
虚実歴史研究家
【時代劇の時代設定】新必殺からくり人:1844年の高野長英(演:近藤正臣)の脱獄で話が始まる。天保の改革は前年1843年に終わっていたはずだが、泣き節お艶(演:山田五十鈴)の一座が改革によって江戸から追放された。
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「仕事人アヘン戦争へ行く」の時、中村主水と組んでいた勇次、おりくは天保の改革の時代に普通に三味線屋をしていたが、「新からくり人」のお艶一座と「オール江戸警察」の太棹の新之助は改革による娯楽への弾圧の影響をもろに受けていた。
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シーボルト事件や蛮社の獄の黒幕は最終的に中村主水によって仕置された。高野長英にとって主水は恩人でもあった。主水が鳥居耀蔵を「失脚」させたが長英はそれを待てずに先に脱獄してしまい、長英が自害した時の南町奉行が遠山金四郎だったのは皮肉である。
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「新からくり人」では安藤広重が東海道五十三次の浮世絵に標的を描いてお艶に仕事を依頼。広重が東海道を旅したのは1832年で、絵は1833 ~34年ごろに描かれ、広重がお艶に依頼したのは10年後の1844年。これで仕置された悪人たちは相当運が悪かった。
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必殺シリーズでは1832年に花乃屋仇吉が活動しており(「必殺からくり人」)、翌1833年には秀が出張仕事を繰り返していた(「必殺!まっしぐら」)。
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「新必殺からくり人」の安藤広重はなぜ東海道五十三次の浮世絵ができた時に仇吉や秀にすぐ仕事を依頼せず、10年も経ってからお艶に依頼したのだろうか。
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安藤広重の依頼による「新からくり人」一座の旅の終盤、高野長英は一座から離れた。長英が江戸に戻ったのは脱獄から2年経過した1846年ごろらしい。
Y!Blog>高野長英脱獄から最期まで
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一度江戸に戻った「新からくり人」一座は再び奉行所から追放を言い渡され、葛飾北斎の「富嶽百景」の絵をヒントに再び裏稼業の旅に出た。「富嶽百景」編の最終回で葛飾北斎が死去。「だましゑ歌麿II」で若き北斎が活躍した時代から58年経っていた。
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からくり人「富嶽百景」編の最終回で葛飾北斎が死去。「必殺!主水死す」はこの1849年の北斎没から話が始まっている。翌1850年に江戸で高野長英が捕縛され死亡。1851年に水野忠邦が没し、忠邦は必殺シリーズでは主水によって暗殺されたことになっている。
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前後一覧
2013年10/14 10月
関連語句
時代設定 劇の時代設定 天保 からくり人 長英 廣重
天保の改革
からくり人 [1] … [4](twilog)
参照
/必殺シリーズの時代設定 | 虚実ヒストリー~ものがたりの歴史~(Tea-Cup Blog版) (teacup.com)/
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