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石坂浩二の『水戸黄門』について【弐】

4代目『水戸黄門』石坂浩二 短命降板の裏にあった東映撮影所と暴力団との黒い癒着(日刊サイゾー) - livedoor ニュース

この記事では「もし10年前に撮影所が暴力団排除をしていたら石坂黄門は長く続き、シリーズ自体も終わっていなかっただろう」としている。だが、それでも石坂浩二はやはり他の先輩たちと同様、10年ほどやったら降板していただろう。その場合、里見浩太朗が75歳になってから光圀役を受けたとは考えにくいから里見黄門は存在しなかった可能性がある。
里見浩太朗は東野黄門時代と西村黄門時代に、助さんが光圀に変装したという設定で水戸光圀を「演じて」いた。スタッフも西村晃の時代から里見浩太朗に光圀役を任せることを考えていた。すると佐野浅夫降板のときに、すぐに里見浩太朗が光圀役にならなかったことが不思議である。

思い返すと、里見浩太朗は1959年に映画の月形龍之介版で格之進を演じながら、1969年スタートのテレビの東野版にはすぐに参加せず、助三郎を杉良太郎が2シリーズ担当したのち、1971年から里見浩太朗が2代目助三郎になった。初めからナショナル劇場の助三郎を里見浩太朗が演じてもおかしくなかった。

東野・西村黄門を楽しんだ世代のファンは里見黄門を観ても「助さんの変装」と思ってしまうだろう。しかし、「里見浩太朗の水戸老公は馴染めない」と言う人は石坂黄門だったらよかったかというと、全部がそうでないだろうし、石坂黄門に馴染めなかった人も、佐野浅夫でよかったかといえば、やはり「馴染めなかった」人が一部にいただろう。では佐野黄門に馴染めなかった人は西村黄門のままで続ければよかったと言うのだろうか。

西村晃は1992年に降板し、1997年に没している。奇しくも民放が時代劇から撤退を始めた時期だった。むしろそれから15年も続いたことを評価すべきだろう。
「××さんが主役のときがよかった」などと視聴者が想い出にひたるのは自由だが、番組を現場で作っている側は新たな俳優に役を継承してもらって、新作を作らないといけない。もしスタッフが次から次へとキャスティングを変えて『水戸黄門』を作り続けても、観る側の大半が東野英治郎や西村晃の時代の再放送を選ぶようであれば、もうスタッフは『水戸黄門』を作る意味を見いだせない。打ち切るほうがましだ。そして『水戸黄門』を夜の本放送枠から外して、『手ステップファザー・ステップ』のような新たな作品で勝負するほうが有意義であろう。

とにかく2011年12月19日放送の『水戸黄門』最終回SPに石坂浩二が出演しなかったのはわかる。『水戸黄門』最終回SPの撮影終了は11月11日であった。

2012年5月、京都太秦(うずまさ)の撮影所で火災があったらしい。
『水戸黄門』終了から半年たって撮影所も「焼却処分」されるようでは、日本人自身が時代劇を捨てようとしているようにも見える。

時代劇ファンが過去の時代劇の再放送だけを見ればいいのなら、確かに新たに撮影する必要はなく、撮影所はお拂い箱である。
『水戸黄門』について「石坂浩二のときに視聴者が離れた」とか「里見浩太朗が助さんのイメージ(だからミスキャスト)」という声もあるようで、そう言うのは自由だが、しかし現場で作っているスタッフは先代の主役が降りたら代役を探さないといけない。
里見浩太朗は2002年に石坂浩二降板のあとに起用されたが、もし里見浩太朗が合わないなら、2002年で終わっていればよかったことになる。実際はそれから9年続いたわけだ。
里見浩太朗はすでに西村晃の時代に将来の光圀役の候補とされていたから、里見浩太朗がミスキャストなら西村黄門か佐野黄門で終わっているべきだったことになる。石坂黄門も「間違い」だったのなら、佐野浅夫が降りた西暦2000年の時点で終わっていればよかったことになる。
里見・石坂黄門が失敗であれば、『水戸黄門』は東野・西村・佐野黄門の再放送を夕方にでも延々と流していればいいことになり、新たな俳優が光圀を演じた新作は不要になる。だからパナソニックとTBSは『水戸黄門』を終わらせたわけである。

参照
10年前、石坂浩二が『水戸黄門』を短期で降板した理由について
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