『フォレスト・ガンプ 一期一会』
~あなたの大切な頑張りで誰かに復讐しようとしていませんか?~
00.はじめに
~《主な登場人物》~
フォレスト・・・主人公。境界知能。母子家庭。母の愛情を受けて育つ。
フォレストの母・・・夫はいない。『無償の愛』の人。
ジェニー・・・性虐待児。片親。父親はアルコール中毒。
バッバ・・・陸軍時代の友人。一家はエビで生計を立てている。バッバ自身もエビ漁師になりたい夢を持つ。
ダン・・・フォレストの上官。小隊長。脚を失い障害者となる。
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~《誰かに伝えたい名セリフ》~
☆フォレストの母:「そういう時が来たのよ。そういう時がね。いいわね。死を怖がらないで。生の一部なんだから。誰も逃げられない運命なの。私がお前のママになったように。私なりに努力したわ。自分の運命は自分で決めるの。神様の贈り物を生かして。それは自分で見つけるのよ。人生は『チョコレートの箱』。食べるまで中身は分からない」☆
1:38:40~1:41:20
~背景:変わらない愛情を息子に向けるフォレストの母の臨終の場面。最後の愛情として『運命とは』『人生とは』をフォレストに諭します。~
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~《あなたに観せたい美しいキャメラシーンPART1》~
☆フォレストはベトナムから帰還します。音信不通だった片思いのジェニーが反戦集会の何万人もの会場から声をかけてきました。そこはリンカーン記念堂のリフレクティング・プール。ジェニーは大きなプールに入水してフォレストの無事を喜んで、フォレストと抱き合います。何万人の人々に拍手を贈られた再会のシーン☆
1:03~1:07:40
~《あなたに観せたい美しいキャメラシーンPART2》~
☆エビ漁で大儲けしたフォレストとダン。夕焼け空の下、ダンはフォレストに戦場で救ってくれたことの礼を言います。名誉の戦死をできず、両脚を失った生活に助けられたことを恨んでいました。そして社会を憎んでいきていました。嵐の中の漁でダンは再び生きる希望を取り戻しました。礼を言った後、ダンは車椅子から降りて、海に飛び込みます。それは嬉しそうなシャチのように優雅に泳いでいました。暖かな陽光がとても綺麗な海のシーンでした。☆
1:37:35~1:38:20
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01.安らぎの羽根
冒頭シーン、一枚の白い鳥の羽根がゆらゆらと上空から舞い降りてきます。
ゆっくりとゆっくりと。
どこに落下するか分かりません。
風や空気の抵抗をうけて、右へ左へまた再び上昇したりと自由気まま。
あるがままの偶然に身を預けて、気持ちよさそうにゆらゆらと落下しています。
その美しい羽根の旋回するリズムに合わせて、とてもやさしいピアノが奏でられます。
バックの背景がどんどんと変わってきて、何だろうかと不思議な世界に誘われている気分です。
「こっちにおいでよ。面白いものをみせてあげる。これが人間っていう生き物だよ、ほら。」
とでも言っているようです。
その羽根は一度、通行人の肩に留まりそうになりますが、また風に乗り、車のフロントを撫でるように移動します。
するとその羽根は一人の男の使い古びたナイキのスニーカーに身を寄せるように留まりました。
この男と何かに共鳴するように。
穏やかでどこか心が癒やされるような、森に囲まれたバス停。
人が集まり、別れ、再会する場所。
そこでは喜怒哀楽が自然と生まれる場所。
人生の縮図みたいな所ですね。
男はきれいな羽根を拾い上げ、愛用の絵本に挟み込みました。
男が座っているベンチの隣に女性のナースがやってきました。
ナースは雑誌を読み始めます。
フォレスト:
「やあ、僕はフォレスト・ガンプ」
「チョコレートどうです?」
フォレストはチョコレートの箱をナースに差し出します。
ナースは首を振りました。
フォレスト:
「僕は150万個食べられる」
「ママは言ってた。『人生はチョコレートの箱みたい』って」
「食べるまで中身は分からない」
フォレストはナースの靴を指さして言いました。
フォレスト:
「はき心地がよさそうだ」
「1日歩き続けても足が痛くならない」
「僕もそんな靴が欲しい」
ナース:「痛いわよ」
フォレスト:
「ママは言ってた『靴で人がわかる』って」
「どこから来て、どこへ行くか」
「僕もたくさんの靴をはいた」
「最初の靴を一生懸命思い出してみよう」
「ママは言った『好きな所へ』」
02.脚装具
そうして、フォレストは目を閉じて、フォレストの幼少時代に遡ります。
フォレストのナレーション:「『これは魔法の靴よ』」
フォレストは生まれつき、背骨が曲がっていて、真っ直ぐに歩くことができませんでした。
そこで医者は脚装具をフォレストの両足に取り付けました。
主治医:
「フォレスト、目を開けて歩いて見ろ」
「どうだ?」
「脚は強い。何も問題はありません」
「背骨が政治家のようにゆがんでる」
「これでまっすぐになる」
フォレストのナレーション:
「ママは僕に南北戦争の英雄、ネーサン・フォレストの名を付けた」
「血がつながってるとママは言ったが、彼はKKKというクラブを作った」
「頭巾(ずきん)とシーツをかぶって、幽霊のマネみたいな事をする連中だ」
「馬にまでシーツをかぶせた」
「とにかく、それが『フォレスト・ガンプ』の由来だ」
「『人間は馬鹿なことをする』と戒めるため、ママは僕を『フォレスト』と名付けたらしい」
《クー=クラックス=クラン/KKK》1865年に南北戦争が終わって一年もたたないころ、テネシー州プラスキーという田舎町で、戦争に敗れて故郷に帰ってきた南部同盟の若い復員兵6名は、戦争中の思い出を語りあったり、戦友どうしの交友を保つため、社交クラブをつくり、サークルを意味するギリシア語の「ククロス」とスコットランド高地人の一族を意味する「クラン」にちなんで、クー=クラックス=クランと命名した。しかし、解放奴隷と呼ばれた黒人や、北部から流れてきたならず者で南部は混乱状態になったため、この団体は彼らの家庭や妻子を守るための自警団に成り代わった。同時に戦争で失った南部の自主権を回復しようという目的をもつ秘密結社になったのである。彼らは共和党の南部再建計画に強く反対し、白人優越主義を掲げ、白い頭巾で顔を隠し、白装束で、黒人を襲うようになった。夜間になるとまるで幽霊のような姿で現れる「クラン」を見て、迷信深い黒人たちは、南部同盟の戦死者の亡霊に違いないと信じて恐れた。
母親と道路を横断中、フォレストは金属の柵に脚装具がひっかかり、動けなくなりました。
周りの人は珍しげにフォレストに注目します。
フォレストの母:
「何見てるの?」
「脚装具をはめた子は初めて?」
母は威嚇するように見物人に注意します。
改めてフォレストに向かって戒めます。
フォレストの母:
「他人に馬鹿にされてはダメよ」
「神様が公平なら、皆、脚装具をはめるべきなのよ」
お母さんは宿屋を経営していたので、たくさんの人を見てきて、人間観察に長けていたのですね。
そして、彼女は「愛の人」です。
フォレストの幸運の泉は母の愛ゆえのものです。
03.無償の愛
物語が進んでいくうちに、皆様方はフォレストの母の役割の大切さが分かってくると思います。
この世のお母さんの『無条件の愛』『無償の愛』を体現した母親です。
フォレストは身体が不自由でも、知能も低くても、息子の存在そのものを受け入れるような愛をそそげる人です。
それとは逆に世の中には多くの『条件付きの愛』を与える親がいます。
周りの子と比較して、出来ないことを責める。
本人の意志は尊重せずに、社会規範を厳しく当てはめる。
「これが出来なければ、あなたを好きになりません」と言っているような親です。
子供は親に愛してもらうために、親の理想に近づこうと努力しますが、追いつくことができません。
やがて、理想とは違う自分を嫌い、自己否定する大人になっていきます。
周りの人をすべて競争相手と見て、敵とみなしてしまいます。
劣等感のため、いつまでも実らぬ努力をし続け、人は離れていき、孤独になります。
『無条件の愛』は子供に安心感を与え、自信を持たせ、自己を肯定させ、ゆるぎない意志を持たせて、自己実現へと誘う、幸せの連鎖を与えてくれます。
この幼少期の『無条件の愛』は何十億の大金よりその後の人の人生を幸せにしてくれます。
04.境界知能
フォレストのナレーション:
「ママは何でも僕が分かるように説明した」
「僕の家は17号線から400メートル」
「アラバマ州グリーンボウの町から歩いて800メートル」
「家にはママの家族がおじいさんのおじいさんのおじいさんの時代から住んでる」
「使わない部屋が多いので、ママは人に貸してる」
「大抵はこの辺をたまたま通りがかる旅の人たちだ」
「それがうちの収入」
「ママは頭がよかった」
フォレストの母:
「フォレスト、お前は皆と同じなのよ」
「忘れてはダメよ」
「お前は皆と同じ、何も違ってない」
小学校の校長:
「息子さんは違ってます、奥さん」
「知能指数が75しかない」
フォレストの母:「人は皆、それぞれ違ってますわ」
フォレストのナレーション:
「ママは最高の教育を望み、グリーンボウ郡立小学校の校長に会いに行った」
小学校の校長:
「これを見て下さい」
「ここが普通の子供」
「息子さんの知能はここです」
「公立小学校に入るには、最低80の知能指数が必要です」
「養護学校に入れる方が息子さんのためですよ」
フォレストの母:
「『普通』って何を指すの?」
「確かに血のめぐりは悪いわ」
「でも息子には皆を同じチャンスを与えます」
「養護学校へはやりません」
「5点足りないだけでしょ?」
「それぐらい何とか」
小学校の校長:
「うちは進歩的な学校です」
「皆に機会を与えたい」
校長先生の顔が悪い顔になっていきます。
小学校の校長:「ご主人はおいでになるので?」
フォレストの母:「主人は休暇ですの」
境界知能ですね。
《境界知能》
境界知能(きょうかいちのう)とは、知能指数(IQ)の分布において「平均的とされる領域」と「知的障害とされる領域」の境界に位置すること。平均的ではないが知的障害でもない、知能指数にしてIQ70以上85未満の状態を指す。統計上、全体の14パーセントがこの「境界知能」に該当する。グレーゾーンとも呼ばれる。境界知能に該当する者は、かつては世界保健機関(WHO)に「境界線精神遅滞」として認定されていたが、現行の基準では知的障害とは見なされない。境界知能児は、知的障害児とは異なり「自分が他者からどう見られているか」を認知できる能力を持つことによって、軽度知的障害児以上に非行や精神障害への脆弱性が高いとされる。 ~Wikipediaより~
校長は母と関係を持つことでフォレストの入学を許可しました。
夜にフォレストが家の外で待っている間、校長と母が『行為』をするシーンです。
校長の喘ぎ声に品がないんですね。
アメリカ映画ではこういった『不届き者』によく罰を加えますね。
小学校の校長:「イー、イー、イー、イー」
『行為』あと、汗だくの校長が家から出てきます。
フォレストに向かって言いました。
小学校の校長:
「君のママは教育熱心だ」
「何もしゃべれんのか?」
フォレスト:「イー、イー、イー、イー、イー、イー、イー、イー」
校長は慌てて退散しました。
すごくシニカルで小気味いいシーンです。
ロバート・ゼメキス監督らしく、弱者にも変な同情はしないで、ユーモアたっぷりに表現します。
そこには弱いものへの愛情があるからこそできる、滑稽な表現なのだと思います。
許せる悪意だと思います。
今からそういうシーンが度々出てきますが、決して馬鹿にしているのではないということを信じていただきたいと思います。
人々を平等に見ているんですね。
黒人に対してもそうです。
たくさんの黒人がフォレストの人生に関わってきます。
私は滑稽さとは、必死に生きているから、時に人は一点に集中しすぎているから、そして弱さがにじみ出ているから、見えてくるものだと思っています。
人って愛らしくて、愛おしい存在ですよね。
フォレストの母はフォレストに本を読んであげています。
フォレスト:「『キュウカ』って何のこと?」
フォレストの母:「『キュウカ』?」
フォレスト:「パパの行っている所」
フォレストの母:「『キュウカ』はどこかへ行って、戻ってこない事よ」
フォレストのナレーション:
「家族は僕とママの2人きり」
「寂しくはなかった。家はいつも客が出たり入ったり、時には部屋が旅人で満杯になる事もあった」
05.エルヴィス・プレスリー
宿屋の風景シーンです。
フォレストの母:「皆さん、お食事よ!」
フォレストのナレーション:
「トランク1つの人、帽子箱に商品見本ケース...」
「1度泊まった若い男は何とギター・ケースを持っていた」
このフォレストの少し誤解、固執、思い入れや疑問のあるナレーションが面白いんです。
こういう所でも観客を楽しませてくれるエンタメ精神に感動しますね。
フォレストの母は部屋から聞こえてくるギターの音に恐る恐るドアを開けます。
何と、若き頃のエルビス・プレスリーですね。
ここで『ハウンド・ドッグ』〜エルヴィス・プレスリー〜の曲が流れます。
フォレストの脚装具の動きから、エルヴィスのあの腰振りのセクシーな歌い方が生まれたのだという面白いシーンです。
フォレストの母:「フォレスト、おじゃまをしてはダメよ」
エルヴィス・プレスリー:「いいんですよ、曲を披露してたんです」
フォレストの母:「お夕食の用意ができたわ」
エルヴィス・プレスリー:
「どうも、すぐ行きます」
「今の変わったステップをもう1度、ゆっくりな」
フォレストのナレーション:
「いいギターの音だ。僕は気に入った」
「僕は音楽に合わせて体を動かし、腰を振った」
「ある日、買い物に出て電器店の前を通りがかってびっくりした」
エルヴィスがテレビに映っていて、その曲を披露していました。
フォレストの母:「子供は見ないの」
フォレストのナレーション:
「その若者はやがて『キング』と呼ばれ、歌を歌いすぎて心臓マヒを起こしたとか」
「キングは大変なんだね」
このフォレストのナレーションはバス停に来た人に対しての会話という設定なんですね。
ナースはフォレストの話に少しずつ興味を持ちはじめ、雑誌を読むのを止めます。
06.最愛の人、ジェニー
フォレストのナレーション:「思い出せる事と思い出せない事がある」
やがて、フォレストは小学生になり、初めてのバス通学。
フォレストの母:「しっかり頑張って」
フォレスト:「分かったよ、ママ」
フォレストのナレーション:「初めて学校へ行った日の事はよく覚えている」
バスの運転手:「乗るの?」
フォレスト:「知らない人の車に乗るなって」
バスの運転手:「これはスクールバスよ」
フォレスト:「僕はフォレスト・ガンプ」
バスの運転手:「私はドロシー・ハリス」
フォレスト:「もう知り合いだね?」
バスの運転手は笑顔でフォレストを迎え入れます。
運転手は女性ですが、くわえタバコでいかにもファンキーな人なんですね。
フォレストは席に着こうとしますが、誰も空けてくれません。
男の子A:「ここはダメ」
男の子B:「ダメだよ」
女の子は首を振ります。
男の子C:「よそへ行け」
フォレストのナレーション:
「記憶って不思議だな。生まれた時の事は覚えていない」
「最初のクリスマスも、最初のピクニックも覚えていない」
「でも、この世で一番優しい声を聞いた時は覚えている」
フォレストは席を譲ってもらえず、バスの中でしばらく立っていました。
ジェニー:「ここに座っていいわよ」
フォレストのナレーション:
「彼女みたいに美しい子を見たのは初めて」
「天使のようだった」
ジェニー:「座りたくないの?」
フォレストはジェニーの隣に座ります。
ジェニー:「脚をどうしたの?」
フォレスト:「何でもない。ありがとう。心配しないで」
フォレストのナレーション:「僕は彼女の隣に座ってずっと話し続けた」
フォレスト:「背骨が『?(クエスチョンマーク)』の形なんだ」
脊柱側弯症ですね。
《脊柱側弯症》
背骨(脊柱)は頭から骨盤までを、理想的には、正面から見るとまっすぐに、横から見ると頚椎(首)は前に向かって、胸椎(肋骨がついている胸の骨)は後ろに、そして腰椎は前に向かって弯曲し、緩やかなS字型を形成してバランスよく身体を支えています。この形が崩れることを脊柱変形と呼び、左右(側方)に曲がってしまうものを脊柱側弯症といいます。先天性(生まれつき)の背骨の奇形、神経・筋原性(神経や筋肉に原因がある)や結合織異常(身体を支える組織の異常)、外傷、腫瘍など、原因となるものが明らかな側弯症のほか、特に原因のないものがあります。これを特発性側弯症といい、脊柱側弯症の80%以上を占めます。特発性側弯症は、10歳未満で発症・診断された早期発症側弯症と、10歳以降で発症する思春期側弯症とに分類されます。思春期に発症するものが最も多く、また男子に比べ圧倒的に女子に多い(5〜8倍)ことが知られています。通常は成長(身長の伸び)とともにねじれを伴った側弯変形が進行し、成長の終了とともに進行も止まります。変形は残りますが軽度の変形であれば、腰痛など痛みの原因になることはなく、妊娠や出産などその後の生活にも影響しません。しかし、「ある程度以上」に変形したものはその後も少しずつ進行し、やがて内臓を圧迫するようになり、健康に害を及ぼすこととなります。変形が大きくなると肺の圧迫から呼吸障害をきたし、さらには心不全を起こす可能性があります。そのため、「ある程度」の変形を超えないよう、早期発見と診断、早期の治療介入が重要となります。
~社会福祉法人、済生会HPより~
フォレスト:「ママ以外の人が僕と話をしてくれるなんて」
ジェニー:「あなた、バカなの?」
フォレスト:「ママは『バカをする者がバカ』だって」
ジェニー:「私はジェニー」
フォレスト::「僕はフォレスト・ガンプ」
フォレストのナレーション:「その日から僕らは豆と人参のようにいつも一緒」
フォレストは母の愛情や励ましをたくさん貰って育ちます。
全然、ひねくれていないんですね。
母の言葉を真っ直ぐ信じています。
誰でも自分の劣っている所に段々と気づいてきますよね。
でも、愛情を注がれた子供は立ち直ることができるんです。
フォレストのナレーション:
「木登りを教わり、ぶら下がる事を教えた」
「読み方を教わり、ブランコを教えた」
「時々はただ座って、星が出るのを待った」
フォレスト:「ママが心配してる」
ジェニー:「もう少し、ここに」
フォレストのナレーション:「ジェニーはなぜか家を嫌った」
フォレスト:「じゃあ、もう少しいるよ」
フォレストのナレーション:
「彼女は僕の特別な友達」
「たった1人の友達」
ジェニーはこの作品の大事な主人公の一人です。
ジェニーは母親が早くに死に、実の父親に性的虐待を受けて育ちます。
愛情を求めても返ってこない親。
いつも罵倒され、自分に責任を感じながら生きてきました。
そうして、自分さえも嫌って生きていくようになります。
満たされない自分。自信を持てない自分。自己否定、無価値感、虚無感。
ありとあらゆるマイナスの感情を携えたまま成長してしまいます。
そういう人間は常に愛情飢餓に陥り、あらゆるものに愛情を求め、まるで現実をさまよい歩くように生きることを余儀なくされます。
フォレストとは対照的な人間像です。
フォレストのナレーション:
「ママは『奇跡は毎日起きる』って」
「嘘じゃない、本当だよ」
07.覚醒
再び子供時代です。
フォレストは同級生たちに石をぶつけられて逃げ出します。
同級生A:「ウスノロ!」
同級生B:「頭のトロい奴だ」
同級生C:「フォレスト・ガンプだ」
ジェニー:
「ほっとくのよ」
「走って逃げて、フォレスト!」
同級生A:「捕まえるぞ!」
ジェニー:
「フォレスト、走って!」
「フォレスト、走って!」
ジェニーの声にエコーの特殊効果がかかります。
エンターテイメントの始まりです。
フォレストは同級生に自転車で追いかけられます。
フォレストの脚装具はトランスフォーマーのように剥がれ落ちて、フォレストは凄まじいスピードを出して走ることができました。
アニメのように砂煙をだして、フォレストはどこまでも走って行きました。
草原を越え、橋を越えてどんどん走ります。
途中で30人ほどの男が鎌で草を刈っているんですね。
よくわからないシーンですが、のどかな田舎で鎌のスイングとフォレストの地面を蹴り出すピッチのリズムがぴったり合っていて、ニンマリしてしまいます。
脚装具の壊れ方がなにげに面白いです。
町中を駆け抜けるフォレストに少しボケたおじいさんが言います。
おじいさん:「あの子はいつも走ってるな」
このシーンが初めてフォレストが走っているのか、それとも好きすぎていつも走っているのか分からなくなってしまいます。
このまったりしたとぼけた雰囲気がのどかでいいんですね。
とても楽しい演出です。
フォレストのナレーション:
「信じないだろうけど、風のように速く走れた」
「その日からどこへ行く時も、僕は走った」
小学校低学年くらいまでは皆走るのが好きでしたよね。
いつしか球技など、頭を使う競技をし始めますが、改めて見て走ることは楽しいですよね。
運動会など、スポーツテストなどで走ることは競争になってしまい残念ですね。
「走ること」このようなことが、今までフォレストにはできなかった。
今までの我慢を晴らすかのように、フォレストはたくさん走ります。
心臓の高鳴り、浮遊感、景色がどんどん変わっていく。物語がすぅ〜と自分に入ってくる感覚ですね。
08.ジェニーの家庭環境
フォレストのナレーション:
「『ジェニーは家を嫌ってる』と言ったろ?」
「彼女の家は古く、5歳の時、彼女のママは天国へ」
「パパは農業をしてた」
「優しいパパでいつも娘たちをなで回しキスしてた」
「ある日、ジェニーはスクールバスに乗らなかった」
フォレスト:
「ジェニー?」
「学校を休んだの?」
ジェニー:「しぃー、パパがお昼寝を」
ジェニーの父親:
「ジェニー!」
「ジェニー!どこへ行く!」
「早く戻ってこい!」
ジェニーの父親が酒瓶片手に、トウモロコシ畑の中を追いかけてきます。
ジェニー:「フォレスト、一緒に祈って」
「神様、ここから逃げられるよう鳥にして下さい...」
「神様、ここから逃げられるよう鳥にして下さい...」
「神様、ここから逃げられるよう鳥にして下さい...」
フォレストのナレーション:
「ママは言った。『神様の働きは不思議だ』と」
「神様はジェニーを鳥にはしなかったけど、警察を呼んでジェニーを家から連れ出し、町のおばあさんに引き取らせた」
「僕の家の近所だった!」
「夜になるとジェニーは時々家を抜け出して来た」
「『怖いから』と言ったが何が怖かったのか」
「きっと、おばあさんちの犬が怖かったんだろう」
いつも父親の残像から、そして自己否定するジェニー自身から追い立てられて心の休まる日はなかったジェニー。
ジェニーは無意識にも、フォレストのそばがとても落ち着く『安全場所』だと思ったのでしょう。
『無償の愛』の中で育てられたフォレストにはそういった安らぎを持っているのだと思います。
フォレストのナレーション:「とにかく僕とジェニーは高校でも親友だった」
09.一期『多』会のはじまり
次にハイスクール時代に変わります。
小学生の時と同じくフォレストは同級生たちに石をぶつけられて逃げ出します。
同級生A:「おい、ボケ!」
同級生B:「ボケ、聞こえてんのか?」
ジェニー:
「早く逃げて!」
「フォレスト、走って!」
今度は乗り物がグレードアップしていて、フォレストは同級生に自動車で追いかけられます。
ジェニー:
「フォレスト、走って!」
「フォレスト、走って!」
再びエンターテイメントの始まりです。
俊足のフォレストでも自動車には勝てません。
フォレストでは急角度で横に走り抜けました。
フォレストのナレーション:「どこへ行く時も走ったけど、あんな事になるとは...」
そのまま大学のアメフト練習場に駆け込んで、快速を飛ばします。
アメフトのヘッドコーチ:「あいつは誰だ?」
準コーチ:「フォレスト・ガンプです。トロい奴で。」
フォレストのナレーション:「信じられるかい?僕は大学に入った」
フォレストはアメフトチームに入り、在籍中、俊足だけで活躍します。
チームメイト:「走れ!」
ヘッドコーチ:「もっと走れ!ボケヤロー!」
相手チームはフォレストのスピードについていけず、味方同士でぶつかったり、途中でコケたりする楽しいシーンです。
競技場出口の応援幕には『GO ALABAMA GO』と書かれていたので、
ゴール地点を越えて、競技場外まで走り抜けました。
ヘッドコーチ:「頭はヨワいが脚だけはめっぽう速いや」
人生は何が起こるか分かりませんね。
本当にチョコレートの箱のようで、食べてみないと分からない。
時と場所と運とそれに応じた能力が大切なのだと思います。
しかし、この作品はある長けた能力が幸運を掴むことを言いたいのではありません。
やはり、人の『こころ』なんです。
~PART②へつづく
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