18.求め合う
ジョンと老人が話をしています。
”石の子牛”:
「まだ時々間違った言葉を使うが、覚えるのは早い」
「今日は何の話をしたいかね?」
ジョン:「”拳を握って立つ女”はなぜ独りで、夫がいないんだ」
”石の子牛”:「喪に服しているのだ」
ジョン:「”喪に服す”?知らない言葉だ」
”石の子牛”:「死を悲しんでる」
ジョン:「死を?誰の死を?」
”石の子牛”:
「死んだ者の話をするのは礼儀に反するが、君には話そう」
「彼女の夫は最近、戦いにで出て殺されたのだ」
「君が彼女を野原で見つけたあの時だよ」
ジョン:「死んだ者を悲しむ期間は?」
”石の子牛”:
「その時期を決めるのは”蹴る鳥”の役目だ」
「彼が子どもだった彼女を見つけたんだ」
ジョンはテントを後にして砦に戻ります。
武装の準備でしょうか。”拳を握って立つ女”への想いを心の中で独り、確かめるためでしょうか。
一人の時を過ごそうとします。
ジョンは物思いにふけった後、日誌に書き記しました。
日誌:「”拳を握って立つ女”が好きだ。”狼と踊る男”」
ジョンは久しぶりに”2つの靴下”とふれあいます。
ジョン:
「なぜ手紙をくれないという顔だな」
「やあ、”2つの靴下”」
ジョンは懐からバッファローの肉を取り出します。
ジョン:
「さあ、食えよ。さあ、さあ」
「怖がることはない。怖がるな」
まるで、ジョンがこれから入り込もうとする家族、スー族に対する自分の覚悟や心持ちを表しているようでした。
狼は恐る恐るジョンの手から肉を食べました。
”拳を握って立つ女”はジョンの元へやって来ます。
”拳を握って立つ女”:
「私は喪に服しているのよ」
「いけない事よ。見つからないように用心して」
二人は狂おしいほど、口づけしました。
夕焼けのオレンジをまとった辺りの草や川、木。
すすきの綿毛がふわふわと何個も風になびかれ、キラキラと蝶のように舞っていました。
ジョンはそのまま、スー族のテントへと戻ります。
19.愛するものを守る戦い
その夜、辺りの騒がしさに気づきました。
”拳を握って立つ女”:
「40人か50人のポーニー族が近くにいるようよ...」
「北の方角から、じきにここへくるわ」
ジョン:「”石の子牛”、わたしも一緒に行くよ」
”石の子牛”:
「奴らの狙いは馬でなく血だ」
「武器を持って来い」
ジョン:
「”石の子牛”、待ってくれ」
「砦に銃とライフルがあるんだ」
”拳を握って立つ女”:「砦に?」
”10頭の熊”:「取りに行く暇はない」
ジョン:「一人で二人分戦えるよ」
”10頭の熊”:「誰か一人連れていけ」
ジョン:「”笑っている顔”と行くよ」
”笑っている顔”はまだ幼い青年で、バッファローのジョンが救った子です。
二人はどしゃぶりの雨の中、土中に埋めた武器を掘り起こします。
ポーニー族との戦闘シーンが始まりました。
お互いのプライドをかけた戦い。
銃、ライフル、矢、拳、雄叫び。
”石の子牛”が戦死します。
幼い子どもたちまでも、必死に矢で応戦します。
戦況は、銃、ライフルで勝るスー族が打ちのめす結果となります。
最後のポーニー族の一人が、スー族に囲まれ逃げ場はありません。
彼は誇り高く、勇ましい声をあげて、死を受け入れました。
ジョンのナレーション:
「どう感じるべきか...」
「こんな戦いは初めてだ」
「暗い政治に対するでもなく、領土や富、自由解放を求めるでもない」
「ひと冬を越すための食料を守り、眼の前にいる家族の命を守る戦いだ」
「”石の子牛”は戦死した。だが戦いは大勝利だった」
「私の中に新たな見方が...」
「今までにない誇りを感じた」
「”ジョン・ダンバー”とは何者なのか」
「何の意味もない名前だ」
「新しい名前を呼ばれて、本当の自分を見出した気がする」
生きることとはどういうことか。
生き抜くことの困難さと対峙したジョン。
そしてそこに貴重さ、ありがたさを見出す。
感謝と誇り。
守るもの、守られるもののおのおのの役目を真摯に果たすこと。
一時の仲間同士のふれあいがどんなに貴重な時間なのか。
生と死のはざまで生きる人間にとって、苦しみと安心は切っても切り離すことはできない。
補完し合っている。
人は必ず、生きることに「意味」を見出さなければいけないのではないかと思う。
苦しみの割合だけ大きいということに人は耐えきれない。
それは楽しみでも同じこと。
快楽をもっともっとと欲求することは苦しみだからだ。
それは近代でも現代でも変わりはない。
未来に、次の子孫に託さねばならない。
地球から月までハシゴをかけるように。
どうして人には人が必要なのか?
食を得るとは、他の生を奪いながら生きること。
しかし、奪われた者は無情で終わりではない。
「託した」のだと思う。
役目を終えて、次の生に生まれ変わる。
宇宙という無限の中の、生という有限。
だから貴重なのだと思う。
だから生きることに真摯でなければならない。
「繋ぐ」ことに「意味」がある。
アイデンティティーとは何か。
それを感じ取った時、自分の役目を悟り、死を超越して、真摯になれる。
その時初めて人は宇宙の無限を感じとることができる。
その時初めて人は自分が自分で良かったと心の底から思う。
20.結婚の儀式
ポーニー族との戦いが終わり、戦士たちが村へ帰ってきました。
盛大な宴と語らい。
”風になびく髪”:「まだ行くな。皆で賭けをしよう。”馬の背”のテントで」
ジョン:「”馬の背”にはもう銃を取られたよ。おやすみ」
”拳を握って立つ女”とジョンとの関係を”蹴る鳥”の妻が気づきます。
”蹴る鳥”の妻は”蹴る鳥”と話します。
”蹴る鳥”の妻:「”拳を握って立つ女”の忌明けはいつ?」
”蹴る鳥”:「さあ、いつかな」
”蹴る鳥”の妻:「早く明けるといいのに...」
”蹴る鳥”:「なぜだ?何か理由があるのか?」
”蹴る鳥”の妻:「また愛を見つけたの」
”蹴る鳥”:「相手は誰だ?」
”蹴る鳥”の妻:「分からないの?」
”蹴る鳥”:「言えよ」
”蹴る鳥”の妻:「”狼と踊る男”よ」
”蹴る鳥”:「それは確かか?」
”蹴る鳥”の妻:「二人を見ればあなたも分かるわ」
”蹴る鳥”:「村の連中は何と言ってるんだ?」
”蹴る鳥”の妻:「いい縁談だと」
”蹴る鳥”:「反対の者はいるのか?」
”蹴る鳥”の妻:「白人同士なのよ。理想的だわ」
”蹴る鳥”:「おれが許せばいいってわけだな」
”蹴る鳥”の妻:「あなたの娘同然なのよ」
”蹴る鳥”:「分かってる」
”蹴る鳥”の妻:「あなたにも読めない事があるのよ」
あくる朝、”蹴る鳥”は”拳を握って立つ女”に忌明けを告げました。
”風になびく髪”とジョンはもはや親友の間柄になっていました。
”風になびく髪”:「似合うよ。彼女を残して死んだ夫は、生前はおれの親友だった」
ジョン:「知らなかったよ」
”風になびく髪”:
「とてもいい男だった」
「だからお前を歓迎しなかった...」
「おれは”蹴る鳥”と違って、ヤツの死を理解できず怒りだけを感じていた」
「だが君が来るから、彼は去っていったのだ。今はそう思っている」
”狼と踊る男”と”拳を握って立つ女”は晴れてスー族として、婚礼の儀式をしました。
”蹴る鳥”:「今日はめでたい日だ」
ジョン:「僕にも」
”蹴る鳥”:「この男を求めるなら、彼の手をとるがいい」
ジョンのナレーション:
「結婚は初めてだが、花婿は皆こうなのか」
「”蹴る鳥”は夫の務めを説明していたが、私は彼女しか目に入らなかった」
「花嫁衣装の飾り、顔の輪郭、目の輝き、小さな足。永遠の愛を感じた」
”蹴る鳥”:「私の話が分かったかね?」
ジョン:「ああ」
”蹴る鳥”:「ではテントに連れてゆけ。君の妻だ」
ジョン:「ありがとう」
以後も”蹴る鳥”とジョンは語らいます。
ジョン:「外は気持ちがいい」
”蹴る鳥”:「そうだろうな」
ジョン:「赤ん坊を作りたい」
”蹴る鳥”:「すぐにか?」
ジョン:「ああ、すぐに」
”蹴る鳥”:
「この世で人の生きる道はいろいろあるが、何よりも大切な事は本当の人の道を歩むことだ」
「君はその道を歩んでいる。すばらしい事だ」
「仲のいい夫婦だ」
”蹴る鳥”の言う『本当の人の道』とはどういうものでしょう。
習慣、考え方、感じ方は違うけれど、”蹴る鳥”はずっとジョンを見てきました。
どこか孤独で、地に足が付いていない、迷いをジョンの中に感じていたのではないか。
わたしの愛読書でもある漫画ワンピースの中で、主人公の祖父であるガープ中将は言います。
ガープ中将:「迷いがあるヤツは弱い!」
どんな生き方でも人は許されると思います。
それはその人の人生であり、苦難を受け入れるのは本人だからです。
義務教育、結婚、出産、労働といった「ねばならない」枠などはありません。
無理に学校に行く必要もないですし、結婚・出産・子を持つことは自由選択です。
そうしないからといって誰からも責められるべきではない。
生きるだけで辛いこの世に無理やり連れてこられて、他人に義務を強いられることほど、理不尽なことはありません。
しかし、何かを選び取り、それに向けて行動することに「芯」があるとするならば、そここそが唯一の「正しい」ことだと思います。
社会保障やセーフティーネットで命は保証されるべきだと思います。
しかし生きる「苦しさ」はもっと強大で、「生きる意味」を持ち「芯」や「根っこ」を作っておかないと、私たちは容易に吹き飛ばされてしまいます。
それほど、心というのは脆いものだと思います。
「守るもの」があることは素晴らしいことです。
「伝えること」を持っている人は幸せです。
「繋ぐ」ことを発見することは、自分にどんどん価値を与えることとなります。
ゲームは楽しい。
お酒は美味しい。
買い物は刺激的です。
昔はいづれ飽きるものが多かったですが、今は売り手もどんどんとあなたのドーパミンを出し続けるために趣向を凝らしてきます。
抜け出せなくなることもしばしば。
ストレス源から逃れるために、依存症に陥る行為もあります。
それは何者かに「強いられた」行為です。
受動的な生き方です。
人生最期の日に何かを遺せたと言えるようになることが私には理想です。
21.迫り来るの脅威
ジョンはスー族の脅威を”蹴る鳥”に伝える決心をします。
我が家のスー族のために。
ジョン:
「あんたは白人の事を尋ねる」
「何人くらいやってくるのかと...」
「数え切れないほど大勢やってくる」
”蹴る鳥”:「人数は?」
ジョン:
「星の数ほど...」
「それを思うとスー族の事が心配だ」
”蹴る鳥”:「”10頭の熊”に伝えよう」
そして会合が開かれます。
”10頭の熊”は大事に持っている白人の兜を見せます。
”10頭の熊”:
「祖父の祖父の時代に、これをかぶった敵が...」
「そいつらを追い払った後、メキシコ人が来て彼らも去った」
「私の時代にはテキサス人が入ってきた」
「彼らは皆、同じだ。すべてを奪っていく」
「白人に立ち向かえるかどうか...」
「だがお前の言う通り、彼らはやってくる」
「これがそう言っている」
「我々の土地は守らねばならない」
「明日、冬の住みかに移動しよう」
スー族は移動民族です。
テントを移動しながら、暮らします。
ジョンは砦に日誌を忘れてきたことを思い出し、一人取りに戻ります。
スー族のことを詳細に記してあるため、読まれると追ってきます。
しかし、軍がすでに占拠していました。
スー族の衣装を着ているジョンは捕らえられ、シスコは銃で撃たれ殺されてしまいます。
うずくまるシスコを必死に介抱するジョン。
痛々しいシスコとの別れとなります。
スパイビー:「顔にひどいあざができたな」
少佐:「英語を話すのか?」
軍曹:「話せるなら早く話せ!」
ジョン:「話せるよ」
曹長:「何者だ?」
ジョン:「ジョン・ダンバー中尉。ここの守備隊員です」
曹長:「その服装はどうした?」
ジョン:「去年の4月着任したのですが、無人でした」
少佐:「その証拠はあるのか?」
ジョン:
「寝台の上に日誌がある...」
「すべてを記録してあります」
少佐:「お前とエドワーズは最初に来た。日誌はあったか?」
スパイビー:「ありませんでした」
少佐:「エドワーズは知っているか?」
スパイビー:「彼は外です」
軍曹:「お前、インディアンになっちまったのか?」
シスコの遺体にカラスの群れが集っているのを、ジョンは悲しげに見つめます。
兵隊:「どこを見てやがるんだ!」
ライフルでこづかれたジョンは、馬乗りになり、何度も何度も殴り返します。
シスコの復讐心でした。
繋がれ監禁されたジョンに少佐は尋問します。
少佐:「軍服はどうした?」
ジョン:「ここで何をしている?」
軍曹:「質問に答えろ」
少佐:
「命令を受けている」
「敵の征服と奪われた土地の奪還だ」
「白人捕虜を奪還すること」
少佐はジョンの質問に答えました。
ジョン:「敵はいない...」
曹長:
「それを確かめたい」
「通訳として案内すれば、君の行為を酌量しよう」
ジョン:「行為って何のことだ?」
曹長:「君の裏切り行為だ。協力すればそれだけ罪は軽くなる」
ジョン:「この土地は何もない」
少佐:「協力しないのか?」
曹長:「答えろ!」
ジョンは堂々とスー語で答えます。
ジョン:
「”おれの名は狼と踊る男だ”」
「”おれは”狼と踊る男”だ。ほかに言う事はない”」
「”お前らに話す事などない!”」
少佐:「こいつを川に連れて行け。顔を洗わせろ」
再び監禁されるジョン。
囚われても威厳を保ち続けます。
軍曹:「飯だ。喰え、インディアン!」
ジョンは運ばれた食事を蹴ちらしました。
スタンビー:「ぶっ殺してやる!」
軍曹:
「勝手に腹をすかしな。勝手にな」
「司令部に送り帰され、着いたら縛り首だ」
護送の途中に”2つの靴下”がジョンに近づこうとします。
エドワーズ:
「見なよ、スパイビー。おれたちをつけてるぜ」
「仕留めてやる」
スパイビー:
「何だ、へたくそ」
「バカな奴だ。つっ立ってやがる」
ジョンは繋がれた鎖をスパイビーに巻き付け絞め殺そうとしました。
ジョンヘの信頼と兵士に狙われる弾丸。
”2つの靴下”の困惑と失意は想像に難くないと思います。
人間でなくとも、涙なしでは見られないシーンです。
1発があたり、近づき仕留めに行く兵士たち。
少佐は規律を乱すことを許さず、引き返させます。
丘の向こうには”風になびく髪”たち、スー族の戦士がジョンを奪い返すため、待ち構えていました。
馬車が川を渡るその時、スー族たちが襲いかかりました。
これまでの西部劇で白人目線のインディアンとの戦闘は多々ありましたが、インディアン目線の、インディアン側に心情を置いた作品は無かったと思います。
これこそがマイノリティの心情に関心を持つということです。
いったい敵とは誰か?
本当の家とはどこか?
国家という都合のいい集団
文化・出自・環境など表層的な違いに重大な意味があるのか?
”笑っている顔”も志願してジョンを助けに来ていました。
逃げてきた軍曹と出くわし、銃口を向けられます。
”笑っている顔”は軍曹に斧を突き刺し、命をかけて守るということを学びます。
”笑っている顔”はスパイビーが持っていたジョンの大切な日誌を拾い上げます。
守るということ、生きるということ、次の世代に繋ぐということ、託すということ。
それを日誌の奪還を介して感じ取ることができます。
ジョンはスー族の元に帰還しました。
22.別れ
冬が訪れ、白い雪原にスー族のテントが点在している様を丘の上からの俯瞰でカメラは見せてくれます。
まるでブリューゲルの絵のように自然の中に人間の営みを感じさせる素朴な風景です。
皆が”狼と踊る男”の帰還を喜びます。
”10頭の熊”:
「”狼と踊る男”は口数が減ったな」
「何か悲しいのか?」
ジョン:
「川で兵隊を殺した事は、あれでいい」
「殺されて当たり前の奴らだ」
「だが、あれでおれは兵隊たちの憎しみを買った」
「おれは裏切り者になった」
「彼らは必ずおれを追ってくる」
「あなたたちも見つかるという事を意味する」
「すぐに移動して別の場所に移るほうがいい」
「おれはここで別れる」
「聞く耳を持つ白人に真実を話す」
それを聞いて、”蹴る鳥”は驚きジョンをじっと見つめ、”風になびく髪”は反対して退席しました。
2人のジョンへの親しみがそれぞれの性格をもって表れていました。
”10頭の熊”:
「静かにしろ!耳が痛いぞ」
「2人だけにしてくれ」
ジョンと”10頭の熊”以外は退席します。
”10頭の熊”:
「お前は初めての白人の友達だ」
「お前の事をいつも考えていた」
「お前は間違っている」
「兵隊が追ってくる男はもう存在しないのだ」
「”狼と踊る男”という1人のスー族の男になった」
「一服しよう...」
ジョンのナレーション:
「彼の一服には意味がある」
「私に留まれと言っているのだ」
「だが軍隊は私を口実にして、必ずここへやってくる」
「私は移動を主張したが、彼は微笑し日常の喜びを語った」
「彼の歳になると暖かい火が何よりだと言った」
「彼は素晴らしい男だった」
スー族にとって、パイプ(チャヌンパ)は特別な意味を持ちます。
神聖なものでその煙は天や精霊に届き、重要な交渉、会議の際には友好の証として、回しながら吸います。
宇宙や精霊と繋がり、集団の一体感、結束を強化するものとして使われていたようです。
23.未来への旅立ち
皆がジョンの気持ちと動向に漠然な不安を感じていました。
ジョン:「何か言えよ」
”拳を握って立つ女”:「何を言うの」
ジョン:「考えていることを...」
”拳を握って立つ女”:
「あなたは心を決めた。私はあなたと生きる」
「一緒に行くわ」
ジョン:「怖くないか?」
”拳を握って立つ女”:「いいえ」
ジョン:「この雪がやんだら発とう」
”拳を握って立つ女”:「皆に話したの?」
ジョン:「いいや」
テントの中の焚き火の静かに燃える音が、別れの悲しみとその癒やしを語っているようでした。
テントの中、ジョンとの別れに”蹴る鳥”は普段は見せない苛立ちの感情を見せます。
”蹴る鳥”の妻がどれくらい彼をいつも包みこんでいるかが、このシーンだけで分かります。
”蹴る鳥”の妻は黙って”蹴る鳥”に家の宝物を渡します。
”狼と踊る男”にあげなさいと目で言っていました。
”蹴る鳥”は村の出口の道でジョンを待ち構えていました。
ジョンも手作りのパイプを手にしていました。
”蹴る鳥”は英語で、ジョンに話します。
英語を学んでいたのですね。
”蹴る鳥”:「パイプはできたかね?」
ジョンはパイプを”蹴る鳥”に差し出します。
”蹴る鳥”:「できたか。それで使い心地は?」
ジョン:「使っていない」
”蹴る鳥”は自分への贈り物だと理解しました。
”蹴る鳥”は拙い英語で続けます。
”蹴る鳥”:「あんたとおれ、理解しあった」
ジョン:「君の事は決して忘れない」
去るジョンの姿にはとても綺麗なスー族の羽が髪に飾られていました。
私たちにはもうスー族の衣装、テント、矢、馬、首飾り、ペイントなどが心の中に入ってきていると思います。
知らずに受け入れ、馴染んでいると思います。
身体に染み込むとはこのような感覚なんだろうと思います。
まだあどけなさが残る青年、”笑っている顔”がジョンとお別れをします。
彼はスパイビーの懐から川に流れていった、ジョンの日誌を拾っていたのでした。
英文は理解できなくても、スー族に対する敬意と優しさに満ちたデッサンにジョンの思いを感じたのだと思います。
そして、はにかんだ笑顔で日誌をジョンに渡します。
この青年”笑っている顔”にはスー族やこれからの人々の未来を予見させます。
期待をさせてくれます。
白人との好意的な出会いと、敵対的な遭遇との両面を、幼い心で体験した彼のこれからの人生がどんな形をとるのかが楽しみです。
別の方角へと歩いていく”狼と踊る男”と”拳を握って立つ女”をじっと見届ける、スー族と人たち。
”風になびく髪”は彼らしい、勇ましい行動で友の行く末と別れを表現します。
山の断崖の上から、猛々しく槍を持ち上げ、ジョンに惜別の言葉を発しました
”風になびく髪”の声が何度も山々にこだまします。
”風になびく髪”:
「聞け!”狼と踊る男”!」
「”風になびく髪”だ!」
「おれはお前の親友だ!」
「いつまでもお前の親友だ!」
それは狼の遠吠えのように、勇ましく、激しく親友を希求する姿と声でした。
史実通り、白人と既に協力関係にあるポーニー族の道案内で、スー族を白人は追っていました。
そこに撃たれて死んだと思われていた”2つの靴下”の鳴き声が聞こえてきます。
この狼はジョン自身なんだろうと思います。
さまよう男は、スー族を介して真の自分を見つけました。
地に足をつけ、しっかりと前を見据え、これからも生き抜くことでしょう。
キャメラは雪道を踏みしめて歩いていく、”狼と踊る男”と”拳を握って立つ女”を写しながら、どんどん後ろに引いていき、二人は山に紛れていきました。
24.終わりに
そして、史実を語るエンドロールが入ります。
エンドロールナレーション:
「それから13年後、家を失い、バッファローも消滅し、最後のスー族はネブラスカ州の軍基地へ投降した」
「大草原の馬族文化は消え去り、アメリカの開拓時代は過去のものとなる時を迎えようとしていた」
クレジットの最後にこんなコメントが出てきます。
エンドロール:
「撮影中、動物には一切危害は加えられず、終始専門の調教師が訓練と指導を行った」
このコメントから、強者のコントロールでなく、『共生』『共存』という制作者のまなざし、強い意志を感じます。
ご存知の方もいるかもしれませんが、その後の史実では決して原住民との共生、共存がうまくできたわけではありません。
狩猟禁止、居住区の制限と原住民の暮らしを一変させるものですし、それは今も続いています。
そういった彼らの訴えを代弁していると思います。
本作のテーマである、「アイデンティティー」とはどういったものなのか。
どうして必ず必要なものなのか。
あることとないことの違いは?
ジョンの兵隊時期とスー族の時期との違いは何なのか。
物語が進むにつれて、心のエネルギーの強さと安らぎの変化を感じることができます。
そして真摯さ。
そして守るものの存在。
生きる動機がしっかりと現れてきました。
私が本作品を皆さんに伝えたかったわけは、生きる苦しみだけが膨らみ、生きづらさを感じている方々が多くいるからです。
楽しむことを忘れ、安心を求めることを諦め、前に進めずにいる。
誰しも青年期に考えるであろう「生きる意味」に答えを出さずに苦しみつづけている。
親に悩み、兄弟姉妹に悩み、恋人に悩み、友人に悩み、仕事に悩み、同僚上司に悩み、病気や障害に悩む。
等しく与えられた生のエネルギーを、こういった悩みにスポイルされている。
前述で『大切』とは、大事なものを切り取って自分の懐近くに置くことと言いました。
その大事なもの探しをしなくてはならない。
それは日課として行うこともあるかもしれないが、特に「自愛」は意識しなくてはならないと思う。
自愛の中からしか、自己発見はありえません。
それは自分を見つめることだからです。
何が好きで、何が嫌いで、何が得意で、何が下手かを知る。
何にときめいて、何に胸騒ぎがおきて、何に胸熱になって、何に共感するのかの方位磁針は自分の価値発見から来るものだからです。
「生きる目的」は自分だけのものです。
そこにストレス源の他者の関与は必要ありません。
目的が定まるということは、捨てるということも含みます。
扉Aを開けるということは、扉BCD...の世界を捨てることだからです。
ジョンという名前を捨て、”狼と踊る男”という名前を捨て、一人の男は生き続けます。
「信念をもった人は強い」
まとわりつく行く手を阻む周りの雑草は先に架空の道を見つけることができれば、気にならなくなります。
進めば、遠ざかっていくものだからです。
望遠レンズで遠くを見ると、近くのものはぼやけ、視界に入らなくなるのです。
フォーカスする力が悩みを見えなくしてくれて、目的に近づく引力になってくれます。
目的はあなたしか見えません。
右脳でしっかり感じてください。
ビビビッとくるものを感じれば、それがあたりです。
記憶を担う身体のすべての器官が全員一致で賛成しているということです!
人類なんてまだまだ、黎明期だと思います。
私たちが次の世代に何を「繋ぎ」、何を「託して」去っていくのか。
宇宙という「無限」の中で「有限」な私たちが何世代もかけてリレーで紡いでいく。
「無限」だから急ぐ必要はありません。
休みながらゆっくり行きましょう。
「有限」だから無駄にしてはいけません。
早く「生きる意味」を見つけましょう。
これまでお読みいただきありがとうございました。
いつも申している通り、映画は鏡です。
今作品の鏡からこんな自分が見えただけです。
あなたの鏡からは何が見えるでしょうか。
共有してくれると嬉しいです。
それでは、次回の作品でお会いしましょう。