地理講義   

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118.桜島 火山科学への不信 

2013年12月13日 | 地理講義

桜島の大噴火(1914年1月22日)
東桜島村長は爆発前に気象台に問い合わせたが、「噴火ナシ」の返答を得た。村長は住民に避難は不要と伝えたが、直後に桜島が大爆発を起こし、気象台の返答を信用した者が逃げ遅れて、30名が犠牲となった。噴火から10年後の1924年1月、鹿児島市立東桜島小学校に住民の力により、科学不信の碑が建立された。



碑文全文(石碑の裏面)
大正三年一月十二日櫻島ノ爆發ハ安永八年以来ノ大惨禍ニシテ全島猛火ニ包マレ火石落下シ降灰天地ヲ覆ヒ光景惨憺ヲ極メテ八ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ其爆發数日前ヨリ地震頻發シ岳上ハ多少崩壊ヲ認メラレ海岸ニハ熱湯湧湯シ旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等刻刻容易ナラサル現象ナリシヲ以テ村長ハ數回測候所ニ判定ヲ求メシモ櫻島ニハ噴火ナシト答フ故ニ村長ハ残留ノ住民ニ狼狽シテ避難スルニ及ハスト諭達セシカ間モナク大爆發シテ測候所ヲ信頼セシ知識階級ノ人却テ災禍ニ罹り村長一行ハ難ヲ避クル地ナク各身ヲ以テ海ニ投シ漂流中山下収入役大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ最期ヲ遂ゲルニ至レリ本島ノ爆發ハ古来歴史ニ照シ後日復亦免レサルハ必然ノコトナルヘシ住民ハ理論ニ信頼セス異變ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ平素勤倹産ヲ治メ何時變災ニ値モ路途ニ迷ハサル覚悟ナカルヘカラス茲ニ碑ヲ建テ以テ記念トス
    大正十三年一月                  東櫻島村


災害教訓の継承に関する専門調査会報告書
1914 桜島噴火についての報告書(概要。 2011年)   

はじめに 
桜島大正噴火はわが国が20世紀に経験した最大の火山災害である。しかも火口から10km圏内に鹿児島市という大都市を控えているという点が世界的に見ても特異な点であった。

第1章 桜島の火山としての特徴と噴火の推移 
① 桜島火山の地形と地質
 鹿児島地溝という張力場に北から加久藤・姶良・阿多の巨大カルデラが線状に並んでいる。桜島は姶良カルデラが入戸火砕流を噴出した約2.9万年前の活動後約3,000年を経て、約2.6万年前に後カルデラ火山として姶良カルデラの南縁に誕生した。北岳・南岳の2つの成層火山が重なった構造をしており、前者は輝石デイサイト(SiO2=65〜64wt%)であるが、後者はSiO2=64〜60%とSiO2がやや乏しくなる傾向がある。最近は専ら南岳が活動を続けている。

② 歴史時代の大規模噴火
歴史時代の活動としては天平宝字(764)・文明(1471)・安永(1779)・大正(1914)などが知られている。天平宝字噴火は鍋山の水蒸気マグマ噴火の後、溶岩を流出させた。
文明噴火は歴史時代で最も大規模なプリニー式噴火であり、膨大な軽石のため、北岳の地形が一変したほどであった。桜島の東北東と南西に溶岩を流出させている。
安永噴火もまた割れ目噴火で、プリニー式噴火・火砕流発生の後、北東と南に溶岩を流出させた。更にその後、海底噴火があり、安永諸島と呼ばれる新島が出現した。大正噴火については後述する。

③ 大正噴火以降の噴火活動
大正噴火後、小規模な爆発や火砕流噴出等はあったものの静寂を保っていた桜島は、戦後間もない1946年、南岳の山腹昭和火口から溶岩を流出、鍋山に遮られて二手に分かれ東方および南方に流れて、集落を埋めてしまった。この昭和噴火はプリニー式噴火を伴わないため、大噴火に入れないのが一般である。その後、1955年南岳山頂で突如爆発が発生、その後、消長を繰り返しながらも現在まで噴煙を上げ続けている。2006年からは昭和火口に活動の中心が移った。
 
第2章 大正噴火の経過と災害 
①  噴火等の経過
1913年真幸地震・日置地震・霧島山噴火など南九州一帯は地学的に活動的な時期にあった。その中で桜島島内でも井戸の水位低下や有感地震などの前兆現象があり、一部住民は自主避難し始めた。1月12日10時5分西山腹で、同15分には東山腹で激しい噴火を開始した。13日20時14分西山腹で火砕流が発生して西桜島の集落は焼失した。21時頃から溶岩流出に転じ、15日夕刻には海岸線に達した。この西山腹からの溶岩流は烏島を埋め、概ね2ヶ月で終息したが、東山腹からの溶岩流は瀬戸海峡を埋め、1月末頃大隅半島に達し、翌1915年春まで断続的に続いた。
なお、この間、村役場当局は測候所に噴火の有無を問い合わせたが、「桜島に噴火無し」との返答だった。大部分の住民は安永噴火の教訓に従い自主的に避難したが、測候所の言を信用した一部知識階級は居残り、逃げ遅れる事態を招いた。島民の犠牲者は30名であった。
 一方、12日18時20分、マグニチュード7.1の地震が錦江湾内で発生、被害は鹿児島市および周辺部に集中した。これにより動揺して、津波や毒ガス襲来のデマが飛び交い、一時市内は無人状態になったという。

② 噴出物による被災
  流出した溶岩流は約30億トンとも言われ、桜島の1/3の面積を覆い尽くした。噴出した軽石や火山灰も大量で、折からの偏西風に乗り、主として大隅半島方面を厚く覆った。垂水市牛根付近では1mにも達したという。当然、農林水産業に多大な損害を与えたし、交通にも支障を来した。農業に与えた影響については、軽石・火山灰の量や粒度に応じ、また作物の品種に応じて、さまざまであった。なお、海上に漂っている軽石は船舶の航行を妨げ、救出の障害となった。

③  土砂災害
桜島島内は当然であるが、高隈山系にも大量の降灰があったので、植生が破壊され、山地が荒廃したから、ここを源流とする河川では7・8年も土石流や水害が繰り返された。この土砂災害による犠牲者の延べ数は火山災害を上回っている。

④  地震災害
1913年1月12日夕刻の地震は、鹿児島市では震度6であり、九州全域で有感であった。人的被害29名であったが、建物被害は市街地、とくに江戸時代の埋立地に集中した。シラス崖の崩壊も発生、避難中の住民が巻き込まれて9名亡くなっている。鉄道も重富〜鹿児島間の姶良カルデラ壁で土砂災害が発生、不通となった。電話線や電力線も切断された上、郵便局や新聞社も被災したため、通信や広報に支障を来した。
       
第3章 救済・復旧・復興の状況 
① 避難・救済
当時、自主防災組織などなかったが、強固な地縁社会が健在だったから、湾岸周辺市町村の青年会・婦人会・在郷軍人会などが救助船を出したり、炊き出しをしたりするなど、救助・救済に当たった。当時の島民は半農半漁だったから、漁船が多数あったのも幸いした。測候所の言を信じていた県庁・郡役所・鹿児島市役所・警察も、噴火発生と同時に、迅速な救援活動を展開、避難所も設置された。陸海軍も救助艇を出したり、無人になった市内の警備に当たったりと大活躍をした。赤十字社鹿児島支部や医師会も救護所を設置した。商工会議所等財界も救援金を支出した。東北九州災害救済会はじめ、全国的な義援金も集められた。海外からも義援金が寄せられた。なお、長期にわたる不衛生な状態での避難生活のためか、赤痢や腸チフスのような伝染病が避難先で発生、直接の災害犠牲者以上の死者を出している。

② 復旧・復興
 道路・河川などは応急の復旧工事が直ちに行われたが、河川災害は上述のように長く続いた。降灰に覆われた農地は天地返しはじめ、その厚さに応じた復旧工事が行われた。農商務省農事試験場では酸性化した土壌の中和法や酸性に強い品種栽培の奨励など懇切な指導を行った。
噴火が収まり帰島したのは半数ほどであったが、島内だけでなく降灰のひどかった大隅半島も同様、農地復旧、家屋・学校の再建など苦難の連続であった。当初は土木工事の手間賃などの収入にも頼った。国庫補助金(国税調整費)や義援金などにより、かなり手厚い援助がされたようである。

③ 移住
 溶岩に埋まって土地を失った者や降灰が厚くて耕作不能なところの住民は移住を余儀なくされた。結局、指定移住地1,001戸、任意移住地2,071戸、総計約2万人が移住した。後者は縁故を頼ったものだが、前者は県が割り当てた地域である。国は国有林を県に無償供与し、県が移住者に貸与する方式を採った。開拓終了後10年経過したら土地所有権を譲渡するとされた。指定移住地は大隅半島南部・宮崎県霧島山麓・朝鮮全羅道などである。移住者には罹災救助基金から移住費・農機具費・種苗費・家具費・小屋掛費・食料費など、かなり手厚い補助が出た。僻地には尋常小学校が3校新設された。

  
上の写真はクリックすると、別画面で拡大される。


 

桜島は姶良カルデラの外輪山。噴煙が上がると、風向き次第では鹿児島市内に火山灰が積もる。
火山活動は30万~50万年である。活動を始めて15万年だから、あと20万年は続く。
福島の原子力発電所が事故を起こし、放射性物質をまきちらした。寿命が30日から45億年まで、多種類の放射性物質を放出し続けている。除染と言う珍しい日本語で放射性物質を手作業で除去しているが、この光景を、「桜島の火山灰の掃除のようだ。桜島のある限り鹿児島に火山灰の掃除をしなくてはならないのと同様、メルトダウンした原発がある限り、放射線の除染を続けざるを得ない」と、有名政治家で元知事が言った。
そうかもしれない。人間の寿命の方が桜島よりも短いように、原発からの放射線よりも人生は短い。発生源を封じ込めることができないのだから、今のような作業をあと何万年も何世代も続けなくてはならない。桜島のある限り、原発のある限り、永遠の仕事になる。しかし、しれでは希望が消える。桜島の噴火活動は今年限り、福島原発からの放射線も来年限り、と思いたい。

 桜島

 

 



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