この月刊誌への掲載に係るお話をしたいと思います。
あくまでも私の思い、私見ですので、周りに影響なきよう解釈してください。
写真の通り、
最初、記者さんから7月上旬にお電話がありました。
スタンダードに小学生チームのがんばりを特集で載せたいので、と。
私は正直、団員が1人になってしまった事態の中でそぐわないのではと返答しました。続けて記者さんにチームの状況や私の思いを話したところ、それでも取材に伺う、とのこと。率直に嬉しかったです。これも私へのプレゼントなのかな、と思いました。この時半ばもうチームを存続させるのは無理だなと思っていましたから。
川崎町は人口8000人規模の小さな町、子どもがぐんぐん減っている町です。この町で今までのようなやり方でチームは作れないだろうとは思っていたし、だからこそ、大会参加の考え方や練習のあり方や大会参加の頻度などを変えていこうともあれこれ考えていました。子どもたちを活かす、育てるためにどうすればいいのか、この地域にスポーツをする環境、特にチームスポーツをする環境が守れるのか否か、いろんなことを考えていました。
スポーツ少年団として正規に登録するためにはいくつかの基準(ハードル)もあり、一番は団員が10名以上という基準です。この基準を満たすことは今後継続することがとても難しいことですし、反面スポーツ少年団であれば体育館の借用に際しての利用料減免という恩恵も受けられます。そうできないとすれば?と経済的な側面も心配になります。
例えば練習の曜日、土日の練習時間頻度や大会の参加を変えれば親の会の運営方法も親の会の月会費も変わります。緩やかになります。
そういうことを地域に発信してわかってもらいたい、ただ、どこまで変化させてチームを存続させようかと。そんなことを頭で巡らせていました。
その影に、私にとってはありがたい、NPO法人TEAMiの事業として昨年度から始まった、小学生アカデミーバレボールスクールのヘッドコーチとしての役割がありました。
このアカデミーで昨年度5月から2月頃まで宮城県内全域からたくさんの子どもたちとバレーボールをすることができていました。
取材のオファーをいただいた時、今年度の試行的に短期としてのスクールを7月からスタートさせたばかりの時だったのです。
最初は、このアカデミースクールを川崎町の田舎でやっても子どもたちが来るのかどうか?不安もありました。でも、もし何人かでも来てくれる子どもがいれば今たった1人になっている団員である子どもにとっても良いのではないか?みんなとバレーボールができてラリーができて楽しいのではないか、と、そう思っての共同開催をさせてもらってのスタートしたばかりでした。
昨日の記事の文面に、私のチームのこれまでの軌跡やこれからの可能性を示唆する表現をもらっています。ほんとによくまとめてくださいました。これもありがたいです。
今からのアフターコロナ、ポストコロナ時代にあっても子どもたちにバレーボールの素晴らしさを伝えていくためにどうするか?
私は、今までのように全国大会を目指すという目標に合わせてチーム運営し子どもを成長させるのではなく、アカデミースクールTEAMiの事業に携わりながらたくさんの子どもたちの可能性を見出し、感動と出会えるスポーツ環境を守り指導していくつもりです。子どもを育てる方法論を変化させていくきっかけ、知恵を持つことが子どもを活かすチャンスとして私は捉えています。
その手段として、今後TEAMiの事業に乗せていく方法が、これからの子どもと生きるためには今現在、最短で最良の方法だと思っています。
ただ、川崎チームに子どもが増えたらそれは喜んで地域でも後継者を育てつつ活動したいと思います。まるっきり止めようとするものではありません。
私の背中にある「川崎」の文字を見る度に思います。32年以上になるみんなで築いてきた歴史と伝統は今後も守りたい、と。私の生きがいでもありましたから、そこは変わりありません。地域の中に繋いでくれる人・方法を見つけたいですね。
ここまでの思いは私の個人的な意思、結論です。
TEAMi側の意向を写しマッチングさせているわけではありませんので誤解なきようお願いします。
ただでは転ばない、転んで何か見つけてやる!
そんな感じです。
つまり、
こんな感じで、
もがいている私のことを取材し記事にしてくれた、それが昨日の見開き2ページです。