バレーボールが速攻上手くなる魔法を見つける!

バレーボールをやり始める小学生が、上手くなりたいと思ったら読んでほしい。

娘が入団したから今がある

2020-09-20 23:01:00 | 日記
長女が卒団し親の会会長の役目は終わり、次女は頑なに「バレーはやらない」と言っていた平成20年の夏まで、私は前監督の体調が不安で平日は毎回練習に行ってました。
流石に土日は、その時3年生の次女を放置して家を出ることができず、練習にも大会にも行きませんでした。
そんな中の7月半ば、ある大会が終了した次の日に、前監督は私の前で突然に「今日からは私が監督だからな」と言い、子どもたちに説明したわけです。
事前に私に何もなく。断りもなく、説明もなく、お願いもされず、子どもたちに言ってしまって

その時は断りました。

そんなことできるわけないし。

次女3年生、長女は中学生でバレー部、長男は中3で野球部、子育て真っ最中でしたから。

家族全体も反対でしたよ、そりゃ。そうですよね、バレーボール経験もなく、親である私が監督なんてね

ところが、翌月の8月になったら、次女が「バレーやる!」と言い出したわけです。

これが今の私がある大きな理由です。
次女がバレーをやると言わなかったら今の私はいないです。
親孝行な娘?と思うしかないですね

それからは、娘をゼロから教えながら、子どもたちに教わりながら指導者を続けてきた、というわけです。

私が監督を引き受けた時の子どもたちは今年24歳、娘は21歳になります。

私はまだ10年ちょいの指導者です

これからだと思ってます
娘が繋げてくれたバレーボール指導者としての道。
またいいチームをつくる。
毎年毎年いいチームをつくる。

これから!です

From Now On❗️

本のすすめ

2020-09-16 17:43:00 | 日記
突然ですが、皆さんにぜひ読んでほしい本をお知らせします。

世界で一番貧しい大統領のスピーチ

という絵本です。

南米の国、ウルグアイの大統領のスピーチなんですが、私はこれずいぶん前にYouTubeでたまたま出会いました。

その時、素晴らしい❗️と思っていた記憶が、またまた図書館で蘇り、この本を借りて改めて読みました。

2012年、ブラジルで行われた国際会議での実話です。

詳しくは言いません。ぜひ読んでほしい。絵本なので子どもも🧒もちろん読めますので。

ぜひ感想など、コメントくださいね。

肺活量

2020-09-16 07:57:00 | 日記
今まで、肺活量検査値で、びっくりされたこと2回。
1度目は、もう10名年くらい前の人間ドックの時。
2度目は昨日。

ここ最近ですが、喘息気味で、発作もおきるし内科受診してきました。

行ったクリニックの先生、たまたま呼吸器科専門医の先生でした。知らずに受診してみたら、ラッキーでした。
喘息で、って言った途端になんかニコニコ。
待ってました!とばかりのニコニコ。
最近多いんですよ、って。パソコンでいろんなスライドで説明され、

検査をしますね、と。

優しい看護師さんに誘導され、検査室で肺活量検査を2種行いました。
自分としては、大きく息を吸ったり吐いたり、結構苦しくて、そんなに値がいいとは思えなかった。

検査が終わり、先生からの説明。

先生は、
「年齢、身長同じくらいの人の肺活量の1.5倍ありますよ」と。
先生もびっくりして、
「喘息起きてない時だったらもっといいんだろうなー」って。
なんかスポーツやってたの?
立派な身体だもんね笑

とか、

一応、ほめてもらえました笑

まあ、たしかに高校まではかなり運動はしてたけど、今は動かなくなったからなー

若い頃はやっぱりスポーツ頑張るべきだ。
改めてそう実感
そのおかげですね

処方された薬も、専門医の先生だからか、いつもと違ってたし。

昨日の夜から飲んでます、

楽になりました。

先生、看護師さん、ありがとうございました
また、2週間後よろしくお願いします🤲



考え方

2020-09-15 09:40:00 | 日記
お盆に息子が帰省してきました。その時に息子をみていて思い、学んだことを書きます。
あの子は幼い時とても手のかかる、大変な子どもでした。いつもおんぶか抱っこをしていないと寝てくれない、昼は布団に寝かすとすぐ泣き出す、着るものはこだわりがありいつも同じ服を着る、
まあ、今となれば当たり前だったんだろうことも、周りと比べてしまうと、なぜうちの子ばかりこんななのか、と嘆いていました。
息子が変わったのは、小学3年生の5月から始めた野球⚾️スポーツ少年団に入団した後。
とにかく野球⚾️大好き人間、そして監督の教えに忠実に自分で自分のことをやるようになり、全く練習を休まず、返事・あいさつなどはもちろん、日常生活、行動が変わったんです。

そして、いろいろあったけど、親子で涙流しながら高校野球までやりきって、草野球でも地域貢献して、社会人となり家から離れた生活を始めた息子。

心配が絶えなかった息子。

夢を持つとがむしゃらに行動する息子。

応援していも何もしてやれない親である私。

でも、
なんか、この子は大丈夫だな、とようやく思えたこの夏。

今年の夏休み5日間ほど家に帰省した時、ほんと隙間時間にずっと仕事をしていて、すごいと思ったんです。
息子から、人のためになる仕事がやれる喜びを知っている、という、お金じゃなくて感動する仕事がしたいという言葉を聞いて、おっ、変わった!と。

私も同感。

だけど、私のの日常は甘えてるなー、って、今を反省し、息子に教えられました。

私も学び続けていくこと、努力を重ねて過ごすこと、やはりそれがいつかどこかに繋がるんだろうと。


バレーボール、いつもボールを触って過ごす子ども、そんな苦労を苦労と思わないほどのバレーバカが生まれるといいなあ。
私の関わった子どもが夢に向かって進む、そういう楽しみもあります。

子どもに教えられる、それが今の私です。
息子にも、出会えたバレーボール大好き人間にも😘

人としての原点、生き方を考える最近です

2020/09/02

2020-09-02 15:31:00 | 日記



この月刊誌への掲載に係るお話をしたいと思います。

あくまでも私の思い、私見ですので、周りに影響なきよう解釈してください。
写真の通り、
最初、記者さんから7月上旬にお電話がありました。
スタンダードに小学生チームのがんばりを特集で載せたいので、と。
私は正直、団員が1人になってしまった事態の中でそぐわないのではと返答しました。続けて記者さんにチームの状況や私の思いを話したところ、それでも取材に伺う、とのこと。率直に嬉しかったです。これも私へのプレゼントなのかな、と思いました。この時半ばもうチームを存続させるのは無理だなと思っていましたから。

川崎町は人口8000人規模の小さな町、子どもがぐんぐん減っている町です。この町で今までのようなやり方でチームは作れないだろうとは思っていたし、だからこそ、大会参加の考え方や練習のあり方や大会参加の頻度などを変えていこうともあれこれ考えていました。子どもたちを活かす、育てるためにどうすればいいのか、この地域にスポーツをする環境、特にチームスポーツをする環境が守れるのか否か、いろんなことを考えていました。

スポーツ少年団として正規に登録するためにはいくつかの基準(ハードル)もあり、一番は団員が10名以上という基準です。この基準を満たすことは今後継続することがとても難しいことですし、反面スポーツ少年団であれば体育館の借用に際しての利用料減免という恩恵も受けられます。そうできないとすれば?と経済的な側面も心配になります。
例えば練習の曜日、土日の練習時間頻度や大会の参加を変えれば親の会の運営方法も親の会の月会費も変わります。緩やかになります。
そういうことを地域に発信してわかってもらいたい、ただ、どこまで変化させてチームを存続させようかと。そんなことを頭で巡らせていました。

その影に、私にとってはありがたい、NPO法人TEAMiの事業として昨年度から始まった、小学生アカデミーバレボールスクールのヘッドコーチとしての役割がありました。
このアカデミーで昨年度5月から2月頃まで宮城県内全域からたくさんの子どもたちとバレーボールをすることができていました。
取材のオファーをいただいた時、今年度の試行的に短期としてのスクールを7月からスタートさせたばかりの時だったのです。
最初は、このアカデミースクールを川崎町の田舎でやっても子どもたちが来るのかどうか?不安もありました。でも、もし何人かでも来てくれる子どもがいれば今たった1人になっている団員である子どもにとっても良いのではないか?みんなとバレーボールができてラリーができて楽しいのではないか、と、そう思っての共同開催をさせてもらってのスタートしたばかりでした。

昨日の記事の文面に、私のチームのこれまでの軌跡やこれからの可能性を示唆する表現をもらっています。ほんとによくまとめてくださいました。これもありがたいです。

今からのアフターコロナ、ポストコロナ時代にあっても子どもたちにバレーボールの素晴らしさを伝えていくためにどうするか?
私は、今までのように全国大会を目指すという目標に合わせてチーム運営し子どもを成長させるのではなく、アカデミースクールTEAMiの事業に携わりながらたくさんの子どもたちの可能性を見出し、感動と出会えるスポーツ環境を守り指導していくつもりです。子どもを育てる方法論を変化させていくきっかけ、知恵を持つことが子どもを活かすチャンスとして私は捉えています。
その手段として、今後TEAMiの事業に乗せていく方法が、これからの子どもと生きるためには今現在、最短で最良の方法だと思っています。

ただ、川崎チームに子どもが増えたらそれは喜んで地域でも後継者を育てつつ活動したいと思います。まるっきり止めようとするものではありません。
私の背中にある「川崎」の文字を見る度に思います。32年以上になるみんなで築いてきた歴史と伝統は今後も守りたい、と。私の生きがいでもありましたから、そこは変わりありません。地域の中に繋いでくれる人・方法を見つけたいですね。

ここまでの思いは私の個人的な意思、結論です。
TEAMi側の意向を写しマッチングさせているわけではありませんので誤解なきようお願いします。

ただでは転ばない、転んで何か見つけてやる!
そんな感じです。

つまり、
こんな感じで、
もがいている私のことを取材し記事にしてくれた、それが昨日の見開き2ページです。