前回の続きです
長女の小学生時代最後の公式戦が終わりました。私が監督としてベンチに座った最初が長女の最後の試合。勝てなかった試合。
あー、、もっと試合ないかなー、なんて自分は思ってましたが、長女は嫌だったようで、
「なんでお母さんが??」
まあ、嫌がられてましたね
そりゃそうですね、バレーもできないのに、と
そしてまた間髪入れず、地区ブロック新人戦が2週間後、だったかと
私が教えるしかないし、新人チームやるしかなかったんです
そしたら、地区優勝🏆
なんとも、素晴らしい❗️
本当の監督も新人戦の2、3日前に無事退院。新人戦のベンチには座ってくれました。
だけど、振り返っても元気なかったなあ、監督。
振り返って思い出しても、あの頃の私は、親でしたから、娘がチームにいたから頑張ってる親。それだけだった。卒業したらチームからは離れるただの親でそのつもりだった。バレーのこと何もわかっちゃいなかった。ただ負けず嫌いでスポーツ好きの親でした。
新人戦地区ブロック優勝しての県大会。
正直この記憶はあまりなくて・・すぐ負けだんだろうね。
その後、長女は小学校卒業を迎えます、そして中学生へと。
普通なら小学生バレーボールの追っかけは一旦終わるわけだった、だけど、やはり監督の体調が芳しくないのは気付いていたし、さよならは出来なかったんです。別に正式にコーチになるとかではなく、平日の練習に手伝いにいき、監督に球出し、球渡しなど、バレーを教えるのではなくほんと手伝いでした。
次女はその時小学3年生。バレーボールやる?と言っても「やらない」笑
やればいいのに・・と思いながらの日々でした
チームは、この年平成20年度のチームは、結構勝てたんです。
夏の全国予選、地区ブロック大会予選はもちろん、県大会ではベスト8入り。
この頃は、ずいぶんチーム数がありなかなかの強者チームとやったと記憶してます。
そして、その準々決勝は優勝チームとの対戦。監督は勝てないことはわかってての試合。ところが監督にとってはとてもいい試合内容だったんでしょう。試合が終わってからベンチにいた私に握手をしてきて「ありがとう」と、目には涙
私もぐっときました
その顔は今も覚えています。
このころ、監督は本当に練習を休まなかったし、どうしても用事がある時は私にこういう練習をしてくれ、と用意周到に指示をしてくれてました。
私は、別に休んでいいのになあ、とか、そんなに練習心配、一生懸命なんだな、と、簡単に考えていて、監督の気持ち、まさに情熱、それはわからなかったんですね。
自分の生きがい、だったわけですが、私にはなぜこんなにがんばるのか、よくわからなかったわけです。
こういう監督に出会えたことは、後に私の中ではモデルとなりめざす姿ともなりました。
とにかく夏の県大会、監督は喜んでくれた。
その矢先、7月15日の練習の時に、
突然、
「今日から◯さんが監督だからな」
と監督に言われ、
「いや、ちょっと待ってください」
と、監督とやりとりしたわけです。
監督なんて、やれるわけないじゃないですか、
バレーは知らない、
子どもも誰もチームにいない、
子育て真っ只中、
家族にも相談したわけでもない、
そんな責任負えない、
なのに子どもたちに言っちゃった、って・・
無理だ。
いや〜、ムリ!
という話です。
でも、なぜ、私・・監督やれたんでしょうね?
そのわけは、次回につなげます。
勝手ながら、今日はここまで笑
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