2024年9月22日(日)、放送分。
興味ある人は、
NHKの聞き逃し配信から聞いてください。
多少省きましたが、メモ量は凄く多いです。
ほぼ文字起こしですが、メンタルヘルスは社会にとって重要な課題でしょうから、お見逃しください。>NHK殿。
間違いあれば、
私の聞き間違いか、理解不足です。
また、" " 内は感想だったり私が追記したものです。
12.健康とスピリチュアリティ
・私はスピリチュアルという言葉が嫌いなので、
批判的な感想が多いかもしれません。
とういか、多分批判というか拒絶が多いと思う。
・以後に出てくる話だが、
スピリチュアルの日本語訳がないらしい。
福沢諭吉がいれば、一発で理解できる日本語を作ってくれたのかもしれないが、
そんな人物は滅多にいないので、
残念な状況みたいです。
・WHO(世界保健機関)について。
世界の保健機関の総元締め的な立ち位置、
新型コロナ対策でも重要な役割を果たした。
"新型コロナ対策でも、重要な役割を果たしたらしいです。
私はTVや新聞を見ないので知りませんでした。"
・WHOが1948年に発足したときに、
健康とは何かという定義を作った。
講師の訳では、
「健康とは単に病気や病弱でないということに尽きるものではなく、
身体的、精神的、社会的に、完全に良好な状態にあることを言う。」
"完全?。
そんな人、滅多にいないと思うんだがなあ。
でも、他人が見るに、かなりの不具合を抱えていても、
本人はそれでも良好な状態と考える人がいるならば、
その人は健康ということなのか。"
・この定義には斬新な内容がある。
1.病気や病弱の克服を前提としながら、
より高いレベルを目指していること。
積極的な健康観を採用している。
病気がないこと、病弱でないことは必要だが、
それだけで健康とは言えない。
現在では普通の発想だが、
1948年時点では刺激的な発想であっただろう。
2.身体、精神、社会での良好な状態を求めていること。
3.完全な良好な状態という言葉にあるような、
要求水準の高さ。
・↑完全な健康なんて言える人は、
ごく少ないだろう。
理想主義的な健康観を示したと言えるだろう。
"はたして、悩みがない精神が、健康なのか?。"
・精神はココロと言いたくもなるが、
そうでもない。
認知症を考えればわかる。
"すんません、わかりません。"
・WHOの健康とはなにかという定義が加筆修正された。
身体的、精神的、社会的だけでなく、
スピリチュアル的に、を追加すべきという考え。
イスラム文化圏から強い支持があった。
・1998年の本会議での採択が有力視されていた。
そのとき、日本語でどう翻訳すべきか、問題となった。
直訳して霊的に健康とはなんなのか?。
オカルト的と受け取られてしまう。
・結果から言うと、採択されなかった。
が逆にいうと、スピリチュアルとは何なのかという、
議論がされずに終わってしまった。
・日本人はスピリチュアルに健康、
という言葉に違和感を覚えるだろうが、
そこに健康観の落とし穴があるのかもしれない。
・スピリチュアルの語源はラテン語のスピリッツであり、
キリスト教の精霊に通じるもの。
一神教文化圏では受け入れやすいのであろう。
・最近は欧米でも宗教離れも進んでいる。
宗教的な健康も必要という主張では、受け入れられないだろう。
でも、スピリチュアリティという言葉なら受けられるだろう。
・子供が成長する場合の、スピリチュアリティな成長とはなにか?。
例えば挨拶で説明すると、
挨拶の言葉を発することが出来ようになる、身体的発達、
正しい語順、文法で話せる、知的な発達、
場面にあった挨拶をする、社会性の発達、
さらに、心を込めて挨拶できるのが、スピチュアルな発達。
と言えよう。
この場合、スピリチュアルとは真心、誠意であり、
その延長線上に感謝、謝罪、良心、共感性などにつながる。
道徳や倫理にかかわるものであり、
人として最も大事なものであろう。
"人として、って言葉というか、考え方が嫌いなんだよな。"
"①.まず、それはあなたの考える『人』であって、
私の考える『人』ではないし。"
"たった一人の人間であるあなたが、
一般に通じる、人として重要かどうかとか、
決めることが出来るのか?、みたいな。
これは良し、これはダメ、ここまでは良し、これ以上はダメとか、
俺様基準の押し付けでしょ?、
みたいな反感も感じる。"
"②.考えがまとまっていないけど、
そもそも人として、って何?ってところが引っかかる。
ホモサピエンスとしてはどう?、みたいな。
だったら霊長目としては?、哺乳類としては?、脊索動物としては?。
地球人は宇宙人の一種であるとすれば、
宇宙人として、大事かどうかを考えることも可能なはず。"
"言ってみれば、空想上の『人』だったり、空想上の『集団』に属する想像上の人物として考える、ってなにかおかしい気がする。"
"③.それに立場が違ったら、基準を変えることが正しいのか?。
だとしたら、『人として』重要かどうか、という言葉は、
無意味ではないかという気がする。"
"④.結局、人としてやってよいとか悪いとかは、
常識で決まるものであって、
それが法律だと思うのだが。
常識外れの法もあるとは思うが。"
"⑤.人として大事なのは、
行動であろうから。
頭の中で考えていることに、
どうこう批評される筋合いは、ないと思うんですよね。"
"憲法に思想の自由ってあるわけだし。"
"夢の中で悪事を働いたら、
自分は悪人だということなのだろうか?。"
・スピリチュアルは、
身体、精神、社会とは別の次元のものであると考えられる。
しかし、日本語にはスピリチュアルに相当する言葉がない。
しかし、逆に日本人はスピリチュアルには鋭敏だった。
心、真心が相当するのではないのか。
日本人には心という言葉には、規範的な意味が含まれている。
"精神とは何か、心とは何かの定義を知らないと、
理解不能な気がするが、
その定義を知ってしまうと、
古来からの心という言葉が、
失われてしまう危険を感じる。"
・メンタルを心と訳すのは、大方の賛同が得られるだろう。
しかし、心という言葉は、広すぎる意味を持っている。
・心を英語に訳そうとすると、
ハート アンド マインド となるが、
スピリットまで含む必要がある。
・ハート、感情
マインド、理性、知性
で、英語には漢字が当てはまる。
広い意味では心(大和言葉)を使い、
個別的には漢字言葉なのは、
日本語の成立過程が反映されている気がする。
分析的に考えるためには、
漢字、洋字(カタカナ)が必要なのかもしれない。
・心の意味が広すぎるので、
たまに技術用語とミスマッチを起こすことがある。
・精神疾患や精神障害と言われるのと、
心の病と言われるのとで、
どちらが良いのかと学生に聞いたところ、
多くは心の病と言われることを望んだ、
しかし一人だけ、
心の病と言われることに抵抗を感じる人が居た。
人の権利を踏みにじったり、
人を傷つけたりしても良心の呵責を感じない人たちこそが、
心の病ではないのかという指摘だった。
鋭い指摘だと思った。
"それもどうかなあ。
言ってみれば、パワハラ上司でも、
よそ部署の嫌がらせから守ってくれて、
給料上げてくれれば、
それもありという考えもある。"
"例えば弥生時代とかに自分がいる集落が襲われて、
敵を撃退したときに、
捕虜になった敵を殺すかという話ではどう?。
生かして返せば、
また襲ってくるかもしれない。
そいつは、集落の弱点を知っているかもしれず、
今度は、こっちが全部、殺されるかもしれない。"
"良心の呵責なく、殺せる人が、
多くの仲間を守るのかもしれない。"
"個性であって、治療の対象にはならない気もする。
限度を超えていると対処が必要でしょうが。"
"結局、法で決めるしかない気もする。"
・心が病んでいるとは、
共感性や道徳が欠如している言う意味があり、
以前はその意味で使われることが多かった。
"精神疾患は考える回路の物理的な問題で、
心の病は考え方(ソフトウェア)次元の問題かもしれないと思った。
が、もちろん、そう簡単な話ではないと言うのは、
私自身が知っている。"
"そして、心を治療するとか言われたら、
誰でも反発すると思う。"
"あなたの心は間違っているから、
あなたの存在は間違っているのだから、
治療してやろうと言われているのだから。"
"心の自由は憲法で保障されているのだから。
多分だけど。"
"心は治療の対象なのか?。
変えたいと本人が思うのならば、
助けてやるのは良いと思うが。"
"繰り返しだけど、心の多様性も必要だと思うんですよね。"
・心という言葉は、
使い方に気を付ける必要がある。
"人によって、意味するところが違うでしょうしね。"
・スピリチュアルという言葉は、
日本では広がっていないが、
緩和ケアでは、
スピリチュアルペインという用語として、
広まっている。
余命宣告されたときに、
誰しも死生について考える。
なぜ、こんな病気になったのか?
なぜ、今死ななければならないのか?
死後の世界はあるのか?
人はどこからきて、何処へ行くのか?
命とはなにか?
人は何のために生きるのか?
などを、人の心を悩ますだろう。
こうしたスピチュアルな悩みがもたらすのが、
スピリチュアルペインである。
これは医学の問題ではなく、
当事者が自分で答えを探さねばならない。
"普通はそれ、小学生か中学生で、クリアしている問題だと思うのですが。。。"
・日本では1/3が癌で死ぬので、
癌の治療だけでもスピリチュアルケアの潜在的な需要は大きい。
"それで、無駄な仕事
-仕事している振り-
が増えて、
社会の負担が増すならば、問題だと思う。"
"いや、スピリチュアルケアなんかよりも、
残された家族や、墓や、相続の方が問題だと思われる。
実際、最近死んだ私の親戚が気にしていたのは、
そこだったのだから。"
"金ですべてが解決できないかもしれませんが、
全部とは言わないが、
かなりの部分は解決できる気がする。"
"このシリーズのPTSDの回でも言ってましたが、
まずは、生きることが大事だと思います。
身体であり、
経済が大事だと思います。
そして、その次が精神なのでは?。
相続放棄?、
そんなことしたら、
残された家族の住むところがなくなる。"
・重い病は癌だけではない。
闘病体験が人生の転機なったとかは良くある話。
であるならば、医療関係者は、
患者のスピリチュアルペインに取り組む用意が必要。
"うまく躱す、スキルの方が重要かもしれない。
だって、看護師や医師は、数時間後に死にそうな人と、頻繁に向き合っているのだから。
余命数ヶ月で悩んでますとか言われても、こっちは忙しいので、って回避したいのでは?。"
"あと、身体的な疾患だけでなく、精神疾患も入れたほうが良いかも。
脳という臓器がまともでない状況で、
人生の深い問題に向き合わなければならないのは、
健常者や医師には想像できない苦労があるのかもしれない。"
・健康の定義にスピリチュアルを加えようと言う考えに説得力を感じる。
講師いわくですが。
"私はそれには反対です。
素人ながらおかしいと思う。
疾患が定義されることで、疾患だったと診断されて、治療されて救われる患者もいるのでしょうが、
新たな定義の病人を、無駄に多量に作り出す危険性があると思うから。"
"繰り返しですが、心という個性は治療の対象なのでしょうか?。"
・スピリチュアルを健康の基準に入れたときの問題は、
痛みや治療効果の客観的な基準がないこと。
・笑いにはスピリチュアルな価値があると思う。
金さん銀さんの話。
1990年代に話題になった100才双子のがいて、
TVとかによく出ていたようです。
あるとき、TVの出演料をどうされているのですか?、
と聞かれて、
老後に備えて蓄えていますと答えたらしい。
"洒落が効いてますね。"
"多分、これ馬鹿してる人もいると思うけど、
関ケ原の合戦の後、囚われの身の石田三成が喉が渇いたときに、
柿ならばあると言われたとき、
柿は肝の毒だ、と断った、
という言い伝えも、
洒落というか、ある意味ボケだと思うんだがな。
うまいこと、突っ込みいれるか、
洒落で返してやればよかったのに。"
"たしかに、大きな柿(大垣)はお命を縮めたでしょうが、
小さな柿ならばいかがでしょうか?。
とか。"
"さて石田三成はどう返してきたのか?。"
"webの、小説家になろう、とかで書いてあると面白いですね。"