輪廻の沼 3

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続・【小更新】神経と進化の不思議【戯言】

2011年01月06日 03時00分00秒 | 雑釣


 魚における光学的記述は全て書き記したと記憶していたのだが、そうではない事に気づいてきた。

神経の法則性
 肝心なものを見落としていた。

「魚」の話をするまえに・・・

我々「人間」の神経とは何だろうか?それは・・・

・筋肉を動かす
・姿勢を保つ
・触る
・熱い
・冷たい
・眼における感覚情報の入力
・臭いにおける嗅覚情報の入力
・耳における聴覚情報の入力

・呼吸をする
・思考を持つ
・感情を持つ
・成長を促す
・死に向かって突き進む

・・・書ききれないほどの様々である・・・。
それら神経は、「束ねられる」。

束ねられて、再び「分散される」。

「生命」の体は、面白いことに

「束ねられて」→「分散する」

をあらゆる角度から見ても、そういう構造を有しているのである。

これが今から延々と述べる戯言の「神経の法則性」である。

№1 神経の法則性
 我々(釣り人)はアジに「人間視点の水中像」を当てはめ、あたかも「」がダイビングをした時のように、そんな日々を「魚」は送っているのではないか

・・・と錯覚していないか?

<「だが、魚は人間ではない。

№2 魚は人間ではない
「呼吸」。魚類のエラ呼吸は確かに水圧差を利用する呼吸法で、陸上動物の肺呼吸と類似しているかのように見えるが、そもそも形状があそこまで呼吸法で変わっているとなると同じではない。

つまり、我々が息をしているというメカニズムは、陰圧と陽圧の差によって生まれるものである。ここまでは我々もアジも同じはずだ。片方は気圧を利用した呼吸法を片方は水圧を利用した呼吸法をしているはずだ。

 生命の中で、カエルという生き物がいる。

№3 カエル
そう、オタマジャクシの時は水圧ベースでの呼吸なのに、カエルになると気圧ベースの呼吸に変化する

呼吸法が変わるだけならまだしも、四肢まで変化する。

薄い・・・水かきは、岩場をしっかりと握れる手に・・・

オタマジャクシの頃には無い、やがて地上に上がったときに外敵から逃げるための立派な足がはえる・・・。

不必要なところは死に、必要な部分は生える・・・

水→地上 へ・・・

人もまた赤ちゃんが母胎で作られ、生まれる時、我々の体内ではこの生命の録音テープ(DNA)が再生される。カエルは、水中から陸にあがるための準備としてそれを行っているのだろうが・・・・

さらに、口、目玉・・・種しゅの臓器、皮膚から感覚器がこれほど変化する生き物も珍しい。よくどっかの研究所ではカエルを使った研究をするんだろうけど、さらには最近では、嘘か真か?皮膚呼吸までするカエルも・・・発見されたみたいで・・・。

http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042201001148.html

万物の不思議を遡るときりがないので、

「魚」と「人」の感覚の違いについて話を戻してみよう。

オタマジャクシカエル

似ても似つかない彼らの進化で、特筆すべきは「眼」である。

どうも!金玉じゃくし 太郎です!はじめまして!ちぃんぽむも立派な小学6年生です!え?どうやってスケベなことを覚えたかって?やっぱり金玉じゃくしは金玉じゃくしなりに違いがあるのよ。斑点の濃さとか数とかでベッピンさんかどうか違うもんなのよ。そうそう太郎のお気に入りの清美さん!絶対、カエルになったら一皮剥けてやるんだから!見ててね!皆さん!!!ども~~~~!!

ああ!清美さん!!!気持ち”””””~~~~~!!

カエルは、この形を完全となす。おそらく人体解剖ばかりやってきた人なら、この不思議にはビックリするんじゃないかな?どこかの偉い先生とかでもこの不思議は理解できない。

だが、DNAには何らかの仕組みで環境の変化に合わせ、相当のものを持つように出来る。ましてやオタマジャクシ自身が自己を認識するときの感覚と、カエル自身が自己を認識する時の感覚は全く違っていると説明すれば分かりやすいか?自己とは、「神経と感覚器の集合体」によって作られる。

これ、魚類で特徴とする「側線」もオタマジャクシの「自己」として持ち、カエルとなりて消滅す

すべからく、金玉ジャクシの段階であった感覚がなくなり、逆にカエルとなりて

有毛細胞」である聴覚を持つことができる。


その心は???

ソニックブーム<「キチガイル

参考URL:http://www.nikkei-science.com/beyond-discovery/ear/08.html

一方で人間社会が高度情報化になったなどとほざくが・・・

・・・本当か?

 僕は「情報」が「社会」を集約しているとは思っていないし、高度になったなんて称される「情報化社会」などは、まるで「ガン」のようにはびこっているだけの「情報」ではなかろうか?

それに、社会のいう「情報」とは最終的に我々の5感に訴えることしかやっていない。

我々の眼と耳に伝えるだけだ。


何かを装着した瞬間に何かが伝わったり、何かが見えたりするわけではない。

そういう意味では「社会の情報」とは、「氷」や「炎」以下の「情報量」でしかない。


例えば・・・

新聞、テレビ、ラジオ、インターネット・・・・

だが、これらの「ガン」のような情報よりも人間がビビンと感じるのは↓のようなもの

食事、排尿、スポーツ、恋愛、セックス・・・・

・・・どれも5感でしか感じる事ができないものばかり・・・。


カエルは、作れるのである


新しい感覚、感性を・・・

№4 カエルの感性

オタマジャクシ時代 水中の時にあった、「側線」という名の

眼でもない、耳でもない、鼻でもない・・・

そういう類の感覚を持ち合わせることができる・・・・


無論、人にも「予感」という名の第6感があるのは認める・・・

もし、その我々が「予感」と呼ぶ感覚が進化のプロセスで・・・

「側線」の時の名残りとすれば、「側線」とはどういった感覚だったのか?

想像にもできない・・・ことではなかろうか?


また「オタマジャクシ」で感じていた、温・冷覚も「カエル」では一緒なのか?

何が変わるのか?どう変わるのか?探しても探してもキリがないほど不思議な生き物だ。


あー一杯出るよ!!出ちゃうよ!ああイイ!いくぅ~~~~!!!!サーモンピンク

「鮭」のセックスは、オスもメスも大きな口を開けながら、

あぁあぁあああああ!!

という感じで鮭同士、セックスしているwww

側線から伝わる情報とはいかなるものか?

パートナーの息遣いや尾を振る、そういう振動まで我々以上に・・・

感じている

のかもしれない。

「ああ、鮭夫さん」、「鮭子さん」

イク~~~!!」って感じだろうか。

だから気持ちよすぎて・・・最後は死んでしまうと・・・。

そういや、アジはどうなんだろうな。

鮭と違って、何回でも卵生むし、口も開けないから。

案外、人間のオナニーに近い感覚なのかもな。

「人」のセックスとどう違うのか?想像だにもできない。

こりゃ、1回魚に生まれ変わるしか無いだろうな・・・

それこそアバターの世界か・・・www

・・・「脱線」しすぎてたのでwwww戯言(ざれごと)再開w。


人の世でも、「魚」ほどではないにしろ。

「盲人者」の中に、自分の口から発する「チッチッ」という舌打ち音によって

障害物が分かる人がいる・・・

仕組みはこうだ・・・

「チッチッ」という舌打ち音をする
 音が地面や、壁、家具などに当たり反響音として聞こえる
  その反響音のわずかな違いで、「盲人」でも壁や障害物の位置を特定できる

彼はその能力のおかげで眼が見えなくても、生活は「健常者」に近いという。

「盲人の彼」のセックスと「健常者」のセックスとどう違うのか?
※余談だが「盲人プレイ」というものがある(SMチックなものではなく、男も女も目隠しをしてセックスをすること)


おそらく魚の「側線」とは、そういう感覚に似て、

それがさらに鋭くなった類のものだろう・・・


№5 海は不思議が一杯・・
眼についてだが、海の中では遠く彼方のものほど見えにくい。

メバルのような魚でも、実は近視だったりする

水中光とは、水面(みなも)の凹凸によって作られるレンズの集合である。

海の中の情景は、ゆらゆらとした波やうねりによって光は「ぐにゃり」と曲がる。

乱反射をし、吸収され、やがて近くのものは見えても遠くのものは見え難いという状況が生まれる。


さらに雨が降り、風が吹けば、天気や昼夜の差とでも陸上とは桁違いの世界を見せているはずだ。


「側線」は、こんな「海」という地獄にも似た天国。

不思議の国 オーシャンアイランド」で生きて行くための一つのコンパスのような役割がある。

障害物(岩場、テトラ、海藻)によって遮られて見えないものがある。

見えていないのに分かる世界がある

それを伝えるのだ・・・


前にも話したが、水中は陸上よりも音が伝わる。

その差、実に400倍である。

私達が眼をつぶっても、「頭の中で描けるような感覚」があるのだろう。


魚は、人以上に多次元に世界を認識している。

たとえば、魚の眼の前に岩があれば、岩の裏で動くヤドカリやイソギンチャクまで・・・

彼ら(魚)は感じることができる。

ヤドカリのわずかな動きから眼の前の岩がどういう構造かまで、

彼らは認識しているのかもしれない。

「側線」とはそういう感性のものだ。


№6 魚の神経と進化
今まで述べた事をまとめるとアングラーが意識している魚の視点はあたかも崩壊することになる。

最近、プロで「俺に聞くな。魚に聞け」というコメントをした人がいるけど。

「上手いコメントだな」と改めて思った。そう、「先生は魚」

これが「釣り人」と「釣り師」の違いだろうな・・・。

「釣り人」の先生や師匠は「釣り師」でも、「釣り師」は自分こそ人間で一番と思っているからw

結果、「魚が先生」になる。

アジやメバルという生き物をより一層にミステリアスなものとしてとらえる事ができる。

「人」は、「己が一番」、「自分は間違えていない」と思う傾向にある生き物である。

理由は僕にも分からない・・・・。
魚もセックスする―人間も失神する高度なテクニック! (1968年) (双葉新書)

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