小学生の時 漫画を描くのが好きで熱中していた
梅図かずお http://umezz.com/jp/ の恐怖マンガみたいなのとか
細野みちこ おはようエルザ(週刊少女フレンド)みたいな愛犬ものとか
自由帳に 鉛筆で描いていただけだけど
妹だけが あんたの描くマンガはおもしろかったよ
どうしてやめたの? といまだに言ってくれる
わたしがあんまり覚えていないのに
5年生か6年生のとき
漫画を描くのが楽しくて楽しくて
算数の宿題がいやでいやで
そうだ 漫画と宿題一緒にやればいいんだと思って
算数の宿題と漫画のノートを並べて交互にやってみた
これはいい手と思っていたら
ある日学校で 先生が 漫画を描きながら宿題をする人がいますっていう話をした
家では なんだか懇々と 漫画ばっかり描いて
漫画家になれるわけないんだからね とか 諭された記憶がある
漫画家になれるとか 別に思っていなかったし…
なんかめんどくさくなって やる気が失せてしまって
もう絶対描かないと すっぱりやめてしまった
今考えても 何がいけなかったというのか わからない
わからないし そんなこというような親じゃないし
先生でもなかったはずと思うのに
そのまま続けて わたし イラストとか カットとか
描ける人ならよかったのに
その母が 最近よく自分の子どもの頃の話や
若い頃の話をしてくれる
女学校を卒業したら 東京の洋裁の学校に行きたかった
戦後の都会の治安も悪く食べるものも事欠く時代に
そんなことはさせてもらえなかった
あたりまえじゃないの
なにひとつやりたいことは させってもらえなかった
だからあんたちにはいつも なんでもやりたいこと
やりなさいって言ってたでしょ
話が違う
中学校に入学して クラブ活動選ぶときに
点訳奉仕部っていうのがあって やってみたかった
そんなの 将来役に立たないでしょ
じゃあ手芸部 これならできそう
手芸なんか クラブに入らなくても家でできるでしょ
テニス部希望になっていた スポーツ苦手なのに
器械体操系を除いては
昭和44年 テニスってブームだったのか?
テニス部すっごい人数多くて 学校の裏庭いっぱいに
ひしめきあうように 女子テニス部
来る日も来る日も 先輩たちの練習のための
中腰での球拾い 少しもおもしろくない
クラブにはすぐ行かなくなって 放課後よく
教室で遊んでた
高校3年 進路を決めるとき
ワープロもパソコンもない時代
学校の図書館でタイピストの学校を調べて
東京の学校に行きたいと言ってみたら
あんたはたよりないから ひとりで東京になんかやられん
わたしも どうしても東京と言うわけではなかったと思うのだけど
家にいたら親にたよって何にもしないから
家を出てみてはどうかなあと 思っただけ
あっさり やる気なくして撃沈
高校から内部推薦で短大に進学して
アルバイトをしたり サークル活動をしたり
地元で楽しく学生生活をおくる それはそれで よかったと思う
けど なんか どうしてもこうしたいとか これがやりたいとかが ない
反対されたり 何か言われたら もうめんどくさくなって どうでもよくなる
欲がないというより 意欲がない?
やりたいことなんて何もなくて 家事も仕事も
わたしって やりたくないことばっかり と思っていたころもある
いつも 親の言いなり おとなしい長女
親も学校の先生も 楽な子どもだったんだろうな
ほっといても 特にいいこともしないが 何も悪いこともしない
なんでも 自分の思い通り 自分で決めたい 二男坊の夫
だから わたしを選んだの?
梅図かずお http://umezz.com/jp/ の恐怖マンガみたいなのとか
細野みちこ おはようエルザ(週刊少女フレンド)みたいな愛犬ものとか
自由帳に 鉛筆で描いていただけだけど
妹だけが あんたの描くマンガはおもしろかったよ
どうしてやめたの? といまだに言ってくれる
わたしがあんまり覚えていないのに
5年生か6年生のとき
漫画を描くのが楽しくて楽しくて
算数の宿題がいやでいやで
そうだ 漫画と宿題一緒にやればいいんだと思って
算数の宿題と漫画のノートを並べて交互にやってみた
これはいい手と思っていたら
ある日学校で 先生が 漫画を描きながら宿題をする人がいますっていう話をした
家では なんだか懇々と 漫画ばっかり描いて
漫画家になれるわけないんだからね とか 諭された記憶がある
漫画家になれるとか 別に思っていなかったし…
なんかめんどくさくなって やる気が失せてしまって
もう絶対描かないと すっぱりやめてしまった
今考えても 何がいけなかったというのか わからない
わからないし そんなこというような親じゃないし
先生でもなかったはずと思うのに
そのまま続けて わたし イラストとか カットとか
描ける人ならよかったのに
その母が 最近よく自分の子どもの頃の話や
若い頃の話をしてくれる
女学校を卒業したら 東京の洋裁の学校に行きたかった
戦後の都会の治安も悪く食べるものも事欠く時代に
そんなことはさせてもらえなかった
あたりまえじゃないの
なにひとつやりたいことは させってもらえなかった
だからあんたちにはいつも なんでもやりたいこと
やりなさいって言ってたでしょ
話が違う
中学校に入学して クラブ活動選ぶときに
点訳奉仕部っていうのがあって やってみたかった
そんなの 将来役に立たないでしょ
じゃあ手芸部 これならできそう
手芸なんか クラブに入らなくても家でできるでしょ
テニス部希望になっていた スポーツ苦手なのに
器械体操系を除いては
昭和44年 テニスってブームだったのか?
テニス部すっごい人数多くて 学校の裏庭いっぱいに
ひしめきあうように 女子テニス部
来る日も来る日も 先輩たちの練習のための
中腰での球拾い 少しもおもしろくない
クラブにはすぐ行かなくなって 放課後よく
教室で遊んでた
高校3年 進路を決めるとき
ワープロもパソコンもない時代
学校の図書館でタイピストの学校を調べて
東京の学校に行きたいと言ってみたら
あんたはたよりないから ひとりで東京になんかやられん
わたしも どうしても東京と言うわけではなかったと思うのだけど
家にいたら親にたよって何にもしないから
家を出てみてはどうかなあと 思っただけ
あっさり やる気なくして撃沈
高校から内部推薦で短大に進学して
アルバイトをしたり サークル活動をしたり
地元で楽しく学生生活をおくる それはそれで よかったと思う
けど なんか どうしてもこうしたいとか これがやりたいとかが ない
反対されたり 何か言われたら もうめんどくさくなって どうでもよくなる
欲がないというより 意欲がない?
やりたいことなんて何もなくて 家事も仕事も
わたしって やりたくないことばっかり と思っていたころもある
いつも 親の言いなり おとなしい長女
親も学校の先生も 楽な子どもだったんだろうな
ほっといても 特にいいこともしないが 何も悪いこともしない
なんでも 自分の思い通り 自分で決めたい 二男坊の夫
だから わたしを選んだの?