ジュリー世代 昔少女KEIのジュリーひきこもり研究室

ジュリー研究とジュリーへの思い 家族のことなど

西暦2000年 思い出の春

2009-04-14 01:29:15 | 息子
小中高の卒業式 そして 中高大の入学式
兄弟全員が 最初で最後重なった年
嬉しい思い出の春だった

中学3年の時  俺は高校は行かん 働く と一度は宣言した長男
いろいろあって 高校ぐらいは出ていないと と納得して
推薦で入った私立高校だったが  先生の手に負えなかった
自主退学を促される形で 退学届に
理由は 進路を変更したためと わたしが記した 

この学校にはもういられそうもないとわかってから
息子は 定時制高校に通う先輩のところに
話に行っていた

夏休みまでは 学校をさぼった中学の友達が来ていたり
夏休みには 中学時代の友達がたくさん集まってきて
バンドの練習を始めたりして遊んでいた

その後は仕事を見つけて働き 
翌年の春 県立の定時制高校を受験して入学した

定時制高校の夜の懇談会に行くと
何も言うことはありませんよ 理想的ですとまで言われ
(それはどうだか…)
こいつらは偉い!昼間働いて疲れているだろうに 
夜もちゃんと学校に来ている こいつらは偉い!
わたしなんかより よっぽど大人かもしれません
(それも、どうだか?)
とまで言ってくれる県立高校の先生だった

同じ一人の人間に対する評価が 所変わればこんなにも変わる

きっと 先生が熱心に勧めてくれたのでしょう
息子は 4年後の西暦2000年 夜間の短期大学を受験し入学した

入学式 すでに社会人の息子は 自分の車も持っていて
入学式 来るなら来てもいいけど 大丈夫か おかん
ちゃんと行けるんか 逆に心配されていて
どっちが子ども?

案の定 入学式のために渋滞する慣れない道で迷い
先に家を出たのに遅れて着いた

式の後 保護者説明会と言うか 家族説明会と言うのか
用意された部屋で 隣に座ってくれた ひとりのおかあさん
中学校不登校ののち 単位制高校を卒業して働いていたが
大学に行くことにしたという息子さんの話
わたしの話も聞いてくれて 退学を促されるというのも
おかしな話ですよねっ! 力を込めて言ってくれた
自業自得と納得していたことにもかかわらず…

嬉しかった 息子の入学がわたしにもこんな出会いを与えてくれた
その日限りではあったけど
家が近くで よく大学の図書館を利用しているんですよ
と言っていたその人に 出口はむこうですよと
案内してもらって 別れた

広いキャンパス たくさんの人たち 息子には一度も会えずに
携帯で それじゃあ午後からの学生説明会には ちゃんと行ってね
と伝えて 入学式のために開けていた何軒かの食堂などのうちの
テイクアウトの店で 弟たちにみやげの 
カレーや丼ものを買って帰った

入学式の会場の体育館や キャンパス
わたしは夢みたいに嬉しかった


息子が卒業して数年後 夜間の短期大学部は廃止になった
広島修道大学短期大学部 広島修道大学


出 身 者 

吉田拓郎(広島商科大学)

吉田拓郎歌碑除幕式、開催 | 広島修道大学 


金児 憲史(かねこ のりひと 1978年9月14日生)

石原プロ主催の

「オロナミンC 1億人の心をつかむ男
 新人発掘オーディション
 〜21世紀の石原裕次郎を探せ!〜」


で、52005人の応募者の中から、
最終審査の10人の1人に選ばれ、石原プロ入りし、
同年『はみだし刑事情熱系スペシャル』でデビューした

ちなみに グランプリを獲得したのは
徳重 聡(とくしげ さとし、1978年7月28日生 )


アンガールズ 山根良顕 (やまね よしあき、1976年5月27日生)
法学部国際政治学科