扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

文具の魅力 その63 2008.06.01

2008-06-01 23:55:35 | Stationery & Supply
万年筆をメインで使用していると筆圧が弱くなっていきます....................

インクフローが潤沢であればあるほど圧を掛けるという必要性が無くなっていきます。
これは筆記による疲れが少なくなっていく事になっていくのですが、替わりに長時間の筆記が出来る故に集中力の持続性が求められていくことも示しています。
おいらは学生時代は何時間でも机に向かうことが出来ましたし、集中力も一般レベル程度はあったようです。
しかしもし学生時代に万年筆を使用してればもっと快適なStationery Lifeを楽しめていたのではないかと悔やまれてなりません。

まあね。
昨今でも関連のある聖句を書き写す作業を長時間行っています。
それで長時間行えば行うほど勉強に励んだ時期のことを思い出してしまうわけです。

万年筆というのは不思議な道具です。
確かに一つの筆記具に過ぎないのは確かなのですが、生活にメリハリを付ける主要な道具になります。

この頃はあるBlogの影響を受けて「記憶」に関して調べていますが、メモを取ることが出来ない状況というのは必ずあるわけです。
たとえ直ぐ手の届くところに筆記具をおいていても車の運転中などはメモを取ることが出来ませんし、会話する際に逐一メモを取るというのは時に必要なこともありますが、会話の妨げになりますし会話の発展性、発想の転換、客観的な物事の見方の中でもインパクトのある見方や言葉というのは生まれにくい状況になってしまいます。
確かに書くという作業を行っている際に「=文字に変換している事」によって生まれることも少なからずありますがね。
それに会話というのは流れがありますし、その流れに沿って話を合わせている内にメモを取りながらだと混乱することもあります。
おいらの頭の処理性能は非常に低スペックなので余計に話しについて行けない事が多いんですな。

また集中力が途切れてしまうこともメモする際によく起こります。
資料などを見ているとおいらは記事の内容に没頭するタイプですので、他の作業を行うとその没頭している状況が途切れてしまうんですよね。
読書とメモの関係というのは重要なのですが、これは一度精読してからでないとおいらは出来ないんですよ。
一連の言葉のつながり、言葉の使い方の細部に至るまで感じていきたいと思う方なんですよね。
確かなこととして本から顔を上げて黙想することも良くありますし、その際にメモに取りたいという非常に強い衝動に駆られることがあります。
おいらは頭の中で黙想した事というのも「一期一会」であるという認識をしています。
理由は単純でおいらはよほどのことでないと直ぐに忘れてしまうからなんですな。
忘れるから尚更メモに取りたい衝動というのは他の人と比較すると強烈なモノになっていることは間違いないでしょう。
でもその気持ちに浸って物事をより深く、より強く感じている際にはもっと頭の中の効率の悪い頭でも沢山のことを思いめぐらしたいんですよ。
それに余韻に浸りたいとも良く思います。

当然ながら精読しているときに感じていることのほとんどはメモを取る際には記憶の中からは消え去っています。
しかし何度目でも自分の中にある機微を文字に興すことというのは非常に有意義なことだと言い切れますよね。
同じ事を読んでいても人間というのは経験値が上がっているのですから、感じ方には絶対に違いがあるはずですし、本に精通すればするほどより深く内容を理解し認識し感じることが出来るはずですからね~。

たとえ本の内容を書き写すだけでも「自分の手で文字にする」というのはその言葉は自分自身にとってSpecialな言葉でしょう。
心に刻みたいと願って書き写すことに「美」を感じるmumu.comでした。

このことに関してはもう少し思うところがあるので別の記事で続編を書こうと思います。
「会話で感じたこと」や「自分自身の中での機微」等に関してかければと思います。


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