エホバの証人の教育はうつ病誘発プログラムとなっていることを書いていきます。
続きです.........
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順番にお読みください。
1. Mind Darkness No.149 2020/02/13
2. Mind Darkness No.150 2020/02/15
3. Mind Darkness No.151 2020/02/16
4. Mind Darkness No.152 2020/02/17
5.Mind Darkness No.153 2020/02/18
となっております。
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若い人の将来を壊すことに全力を注いでいるエホバの証人の教えをわたしは受け入れられずに生きてきました。
そして仲間の必要を顧みず、伝道の時間にしか関心がない人間を信じられずにいます。
エホバの証人は精神を病む人が多い宗教です。
わたしが知るだけでも沢山の人が病んでます。
一つの街におおよそ一つ集まりがあり、その集まりを「会衆」と呼びます。
例えば「神奈川県海老名市今里会衆」という具合に地名に「会衆」とつけることが多く、日本国内にたくさんの会衆があります。
この一つの会衆で少なくとも数人はうつ病を発症していると思われます。
この多さの理由は簡単でエホバの証人の教育プログラムは、まともな人間であれば自尊心はおろか自己肯定感までことごとく壊すようにできているからです。
さきに書いたように、精神的にプラスになる事柄とマイナスになる事柄の割合がおかしいゆえです。
特に、日本は義務教育から高等教育に至る隅々まで、マイナス思考の教育を受けています。
だからこそ、生真面目であり、とても真剣に教えを適応しようと努力するゆえに"うつ病"になる確率が高いのです。
この状態を加速させる教えとして、
・「協会」や「長老」、「援助奉仕者」、「年上の人間」が述べる教えが全て正しい
・盲目的に教えられていることを信じ信仰を示すことが正しい
ということを教えてもいます。
"エホバの教えである聖書そのもの"
よりも
「ものみの塔聖書冊子協会」
や
「エホバの証人の個人の教え」
のほうが重要であるかのように教えていることに問題があります。
わたしも問題を抱えています。
だからこそ、わたしは長老や援助奉仕者(少し前まで「奉仕のしもべ」と呼ばれていました)、両親、年上の人間よりも深く調べました。
様々な角度や多くの知識を"聖書から"吟味し"エホバの見地"から調べ、適応し、成功しつつあったことでさえ間違っていると何度も矯正されてきました。
確信を持って書きましょう。
わたしは自分自身が傲慢ではないと言い切れます。
なぜならば
・相手の述べることが正しければ謙遜に受け入れる用意がありました。
・完璧を求めず徐々に改善させていくことが現実的である
と適切に判断されていれば何ら問題はなかったはずです。
聖書的でエホバの見地から物事を考えられるならば、わたしのロジックに行き着いていたからです。
人間だから間違うことがあるとおっしゃるかもしれませんね。
わたしはその点を踏まえて話をしました。
そして辛抱強く接してきたはずです。
そして何より
「わたしの行動はものみの塔聖書冊子協会の出版物に沿って起こしたもの」
でした。
長老団よりも深く、多くを調べていたことは明白です。
なぜならば問題に直面し真剣に取り組まなければならなかったからです。
わたしはものみの塔聖書冊子協会の出版物と共に聖書をともに読み、更に発展させたロジックで改善していました。
しかし聖書にかかれている事柄に沿ってエホバのご意思であることを確信した上で、ものみの塔聖書冊子協会の出版物に沿った行動を起こしたことを「間違っている」と彼らは結論づけました。
そして彼らは自分が正しいと信じて疑わず、数年後にわたしの言っていた通りのことがものみの塔の研究記事となって書かれていました。
謙遜な人間であれば間違っていたと認めるところなのでしょうけれど、ほとんどの長老はプライドが高く自分の誤りを認めることはほぼほぼありません。
対外的には謙遜を装っていますが、実質的にうなじのこわい民(「頭を垂れることがない=謙遜ではない」という意味で聖書の中で書かれている)となっています。
自分が間違っていることを認めることはプライドが許さないのでしょうね。
そもそも自分が言ったことも覚えてもいないのでしょう。
聖書では長老や援助奉仕者はクリスチャンに仕える立場であるはずです。
健全な自尊心および自己肯定感を保つ上で"仕事"は非常に重要な位置にあります。
適切な仕事ができるならば人間は思考が健全になり、健全にしか行動しないようにできているからです。
その仕事を全否定することの歪みの大きさを理解できていないことが、エホバの証人の教えの非常に大きな欠点となっているでしょう。
このことをまず最初に伝えましたし、理由を彼らでもわかるように説明しました。
繰り返しになるかもしれませんが、長老たちが用意していた物事をすでにわたしは調べてあったのです。
しかも、それを踏まえた上で聖書的に、そしてエホバのご意思に沿った方法で自分自身を矯正させ適応させようと努力し、取り組んで成功させつつあったことを否定したのです。
否定は誰でも簡単にできるんですよね。
深くまで考え、深くまで研究し、深くまで思考し、深い部分に至るまで組み立てたことを否定するということは人格否定であることを理解していないのでしょう。
またエホバはプロセスを見る方です。
このことを人間は理解しようとしません。
"エホバの教えである聖書"や"それに基づいて行動し適応させたこと"は二の次で、「自分の用意した結論ありきで人を裁き」ます。
このことは"エホバの教えを否定する"ということを理解していないのでしょうね。
浅い部分でしか理解していない人間は、
深くまで考える人間のロジックは理解できない
ということを実の兄弟でよく話し合っています。
エホバの証人の考え方は、まずは全否定から入るのです。
出版物から「創意工夫」を教えられ、聖書からあらゆる知恵を研究し、吟味し、努力し、取り入れ、それを実行し、失敗を繰り返しながら改善し、成功を収めつつあったことを否定することに、どれほどの人格否定と人格破壊が伴っているかを長老たちは理解できないのでしょう。
なぜ人格破壊がされるかですって?
A.真剣に祈り、調べ、行き着いたエホバの教えを否定されたからです。
深く思考するほうが間違いであるかのように思えてきます。
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自分がクリスチャンの信条の通りに生きているかどうか,いつも確かめてください。自分がどんな人かをいつも調べてください。皆さんは,イエス・キリストと結ばれていることが分かっていないのですか。もちろん,皆さんが退けられていなければのことですが。
- コリント第二 13:5
自分自身と自分の教えに絶えず注意を払いなさい。これらのことを粘り強く行いなさい。そうするなら,あなたは自分自身と,あなたの言葉に耳を傾ける人たちを救うことになります。
- テモテ第一 4:16
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聖書にはこのように書かれているにも関わらず、盲目的に信じることを教えることがいかにおかしいことかを理解していません。
"エホバの目に正しいかどうか"
そして
"聖書的に正しいかどうか"
ではなく、
「エホバの証人的に正しいかどうか」
ないし
「長老個人の考え方で正しいかどうか」
に終始しているのを観察していると滑稽です。
矛盾したことを教えているのですから。
まともな感覚を有しているとエホバの証人の教育は人を壊していきます。
自分が壊れているのがよくわかりますものね。
最近、自分自身に関して感じていることは、わたしがおかしいというわけではなさそうだということです。
まともにエホバの証人の教育を受け、そのままなんの疑問も抱かずに生きている方がおかしいとわかるようになってきました。
ひたすら苦しむように教育され、ひたすら自分を痛めつけるように教育されてきましたね。
気がついたときにはもう自分を苦しめる習慣から抜けられなくなっている自分がいました。
もう自分を愛すなんてことは出来ないのだと悟りつつあります。
そして自分が壊れて、治す方法がないのかもしれないとうすうす気がついてきています。
というより確信しているのですがね。
なんとかしようと思っても動けない自分がいます。
自分を信じられず、自分に価値がないと思いこんでいるのです。
正直、自死できた子が羨ましく思います。
書き方が悪かったかもしれません。
ただ彼が楽になれて良かったと心の底から思います。
死ぬ気で何かやれば何とかなるものだと思っていましたが、死ぬ気でやったら心が死んでしまいましたね。
不条理なことを不条理な方法でしか教えてもらえず、自分が常識もないことはわかっていますしまともな人間でもないということもよくわかっています。
エホバの証人は常識がありませんし、通じません。
終わり
次回はまた別のことを書きます。