宗教における信仰のあり方などを書きます。
今日も書いていきます............
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順番にお読みください。
1. Mind Darkness No.149 2020/02/13
2. Mind Darkness No.150 2020/02/15
3. Mind Darkness No.151 2020/02/16
4. Mind Darkness No.152 2020/02/17
5.Mind Darkness No.153 2020/02/18
となっております。
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本当に信仰があるのであれば、
自ずと全ての行動=様々な実生活や仕事、プライベート
が
伝道になり証言になり得る
はずです。
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昨年の夏にわたしは友人を亡くしました。
自死でした。
わたしは彼の送別会に参加する勇気がありませんでした。
なぜならわたしも彼の自死の切っ掛けの一つになっていたはずだからです。
送別会は彼を追い詰めた人間たちの集いです。
悲しむぐらいなら、なぜ生前にもっと励ませなかったのでしょうか.......
わたしがわかっているぐらいなのですから、健康で元気な人が気遣ってあげられなかったのだろうかと思わずにいられません。
亡くなった彼は、とても明るくがんばり屋さんで気遣いのできる子でした。
いうなれば「頑張っていた過去の自分そのもの」を見ている気持ちだったのです。
彼ならば頑張りきれる......とは思っていませんでした......
様々な方面で機会を閉ざされ、絶望の淵に立たされた時期が来つつあることは
明るく振る舞えば振る舞うほどに際立つ
からです。
超新星というのをご存知でしょうか?
星の発生から消滅のプロセスの最終段階で起こる現象です。
"最後にひときわ明るく輝き"、場合によってはブラックホールになるほどの"爆発"を起こす減少をいいます。
わたしに余裕があれば気遣いの言葉をかけることができたでしょうし、そこに尽力し励まし無理するなと言葉を伝えたはずです。
わたしはそのような人間だからです。
しかし...もう、わたしには余力が残っていませんでした。
一昨年から燃え尽き症候群の深刻なものを何度か再発し、今もなお苦しんでいる状態です。
そこに彼の自死を知りました。
昨年の後半に親族も亡くなり自分も歳を重ねています。
重要なのは、
・心の健康を自分で維持する
ことにかかっているということです。
そして心の健康を維持するために、様々なことを楽しく行うことにあり、中でも
・仕事を楽しくすること
が重要だとわたしは結論づけています。
仕事を楽しく行うことが、自己肯定感をもたらしそれが様々な方面に波及していくことは「自明の理」だからです。
エホバの証人の教えの狂っているところは
・仕事を否定
しているところです。
金銭を得ることが悪だとしている、その人達が必死になって「苦しみながら」お金を得る仕事を続けているのです。
ものみの塔聖書冊子協会の出版物には仕事は苦しみながらしなければならないかのような書き方をすることにやぶさかではありません。
印象的なことがありました。
巡回監督という決められた都道府県のだいたい3分の1〜半分ほどの区域を半年かけて回る方がいます。
この巡回監督が回る区域のことを「巡回区」と呼びます。
巡回監督は3年毎に変わり、様々な巡回区に行くことになっています。
ある巡回監督がおっしゃっていたのは「この巡回区は貧乏だから」ということを巡回訪問のたびに言われていたことです。
それはそうだと思っていますよ。
人口の絶対数が少なく、仕事の最低賃金もほぼ国が決めたとおりの金額で仕事をするしかありません。
専門職についておられる方はほとんど無く、所得を上げる手段は殆どないのです。
そして、ものみの塔聖書冊子協会が記事に書かれているとおりにクリスチャンは行動しているからこそ所得が少なく寄付をする余裕が無いことを踏まえた上で発言されていました。
そして巡回監督は仕事をしていないのです。
彼らの仕事は巡回区をまわって巡回区の人々を励ますことが仕事です。
これは聴衆からするととても大きな違和感となります。
聖書には仕事から喜びを得るように書かれています。
また仕事によって権威者の前に立ち誉れを受ける人に関しても書かれています。
なのに単価の低いアルバイトやパートタイム、通勤をし拘束時間によって収入を得るのが正しいという考え方が美徳とされています。
そして将来の事を考えて取り組むことが悪とされ軸足となる仕事を持つことは「聖書的ではない」と教えられています。
ここで言及しておかねばならないこととして、
・大金や名誉がほしいなんて考えはまったくないこと
・自分がやりたいことを仕事にすること
・仕事に意義を見出し喜びを見出すこと
・仕事にやりがいを感じること
・喜びつつ行う仕事によって得る収入に価値があること
です。
これらはクリスチャンの活動と並行し両立できることであることは明白です。
仕事を相対的なものとすることはクリスチャンであれば当然のことですし、開拓奉仕を行いながら仕事をすることは可能です。
なぜならほとんどの開拓奉仕者が仕事をしているからです。
どのようなクリスチャンでもほとんどの若い人は当然ですが、仕事をしています。
まだこれは続くようですね。