
日本ではお金儲けのために大々的な宣伝がされています。
そして今の日本のバレンタインの状況を見ると、その商戦は大勝利にを納めています。
しかしその起源を考察するときに「バレンタイン・デー」が
神聖な日
という考えは変わるはずです、
では「バレンタイン・デー」の考察を行っていきましょう。
バレンタイン・デーの名前の由来は
聖バレンタインです。
彼は迫害されていたクリスチャンを援助したために投獄されたローマの司祭です。
キリスト教に改宗しましたが、援助が原因で撲殺されました。
その命日が2月14日なのです。
ワールドブック百科事典から見てみましょう。
「一説では、西暦200年代のローマ皇帝クラウディウス2世は、若い男子が結婚することを禁じた。
同皇帝は、独身男性の方が優れた兵士になると考えた。
バレンタインという名の祭司は皇帝の命令に背き、若い男女をひそかに結婚させた。
・・・多くの伝説によると、バレンタインは西暦269年ごろの2月14日に処刑されたことになっている。
西暦496年、教皇聖ゲラシウス1世は2月14日を聖バレンタイン・デーと定めた」
と書かれています。
しかし、この命日は偶然の結びつきしかありません。
バレンタイン・デーはもっと深い起源があります。
ではその本質に迫っていきましょう。
今日「バレンタイン・デー」と呼ばれるものの起源は、パンという神の崇拝が盛んだった古代ギリシャにまでさかのぼります。
神話に出てくるこの半人半ヤギの豊穣の神は凶暴で、何をしでかすか解らない性格を持ち、人々から大変恐れられていました。
英語の”panic”という語の字義通りの意味が”パンの”という意味なのです。
では神話上どのような神だったのか見てみましょう。
「パンは笛を吹きながら家畜の群れの番をすることになっていました。
しかし、その心はすぐほかのことにそれました。
パンはニンフや女神たちと度々、色恋沙汰を起こしました。」
となっています。
このパンという神は産まれたときにすでに完全に成長しており、角やあごひげ、そしてヤギの足と尾を持っていました。
絵には、享楽的で官能的な、踊っているものとして描かれています。
ある彫刻は、パンが愛の女神アフロディテに言い寄っている所を表現しています。
二人の上を、愛の神エロスが翼を羽ばたかせながら舞っています。
加えて古代ローマでは、多くの人が”ファウヌス”もしくは”ルペルクス”と言う名の同様の神を崇拝していました。
その出で立ちは古代ギリシャの”パン”と同様です。
というより古代ローマが古代ギリシャのパン崇拝を取り入れたので「まさにそのもの」と言っていいでしょう。
そしてここから日付が明確になってきます。
ファウヌスの崇拝は、毎年2月15日に祝われました。
その祭りは乱痴気騒ぎで祭りの名前は「ルペルカリア祭」というものです。
この鬼神を祭った神殿の祭司たちはルペルシーとして知られていました。
それらの祭司は2月のさなかにヤギの皮衣だけを身にまとい、多産のまじないと称してヤギの皮のひもで女たちを打って回りました。
昔に行われたこの春の祭りの神秘的で性的な儀式には、このほかに、くじ引きに似たやり方で若い女たちを男たちに与えることが含まれていました。
娘たちの名前を書いて箱にいれ、それを振り、 男たちがそれを引くのです。
この祭りは明らかに聖書の祭りではありません。
加えて聖書の神の基準で見るととても「汚れた」祭りと言えるでしょう。
ではなぜ「バレンタイン・デー」として確固とした祭りになったのでしょうか?
これはカトリック教会が登場してローマを支配するようになった時、同教会はキリスト前からあったギリシャとローマの祝祭をほとんど取り入れたからです。
よってカトリック教会は大きな罪を負っており、その罪をあがなうすべはないのです。
キリスト教に取り入れられた後に、この戯れは一層範囲が広がり、こんどは女の子たちが箱の中から男の子の名前を引き出すようになりました。
選ばれた男の子は1年間、選んだ女の子の”バレンタイン”になります。
中世には、バレンタイン・デーの前夜と当日の2月14日に、元の異教の祭りと変わらない官能的な浮かれ騒ぎを特徴とする祝いが行われました。
翼のある少年、または「子供」として表されている多産の神”キューピッド”も、その祭りに加わって盛んに矢を放ちました。
そして現在、「バレンタイン・デー」はカードやプレゼントを贈ったりもらったりする日になったんです。
これは習慣になっており、バレンタイン・デーは「恋人たちが祝う日」と考えられるようになりました。
クリスチャンが「バレンタイン・デー」を祝わないのは聖書に書かれている神の言葉が明確に禁じているからです。
例となる聖句を書いておきます。
「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。
義と不法に何の交友があるでしょうか。
また光が闇と何を分け合うのでしょうか。
さらに、キリストとベリアルの間にどんな調和があるでしょうか。
また、忠実な人が不信者とどんな分を共に持つのでしょうか。
そして神の神殿と偶像にどんな一致があるでしょうか。
私たちは生ける神の神殿なのです。
神が言われたとおりです。
『わたしは彼らの中に住み、彼らの中を歩くであろう。
そしてわたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる』
『それゆえ、彼らの中から出て、離れよ』と、神は言われる。
「『そして汚れたものに触れるのをやめよ』」。
「『そうすればわたしはあなたを迎えよう』」。
「『そしてわたしはあなた方の父となり、あなた方はわたしの息子また娘となる』と全能者(である)神は言われる」
ーコリント(二) 6:14~18
上記の聖句でクリスチャンの譲歩はあり得ないことが解るでしょう。
よって異教の神の祝いを祝うことはあり得ないのです。
加えて「聖人」のための祝いというのはあり得ないことも解りますよね。
以上、「バレンタイン・デーの起源」でした。
何か質問があればコメント欄でしてくださいね。
長文になってしまいましたね~。
ではでは
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おいらが「博学」.....
おいらと縁のない言葉なのでビビっています。
記事にしたのは、ただ単に調べたことを書いたことなんですよ。
でもキリスト教の祝祭日のほとんどはカトリックによって取り入れられたものなのは確かです。
キリストが制定した記念すべき日は一つしかありません。
もちろん神の是認によって成り立ってものです。
それについては近く書こうと考えています。