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プロポーズ大作戦を見ています...........
一回目を見ていない事が悔やまれます。
長澤まさみ、山下智久とくればなーんだまたジャニジャニした格好付けのドラマか~と考えていたんですが、考えている以上におもしろかったので驚きました。
また藤木直人さんの最近のドラマ特に「ギャルサー」3流以下だと感じていましたのでね。
しかも三上博史さんが出ているなんて知りませんでした。
やっぱ長澤まさみさんがヒロインというのは間違いがないですな。
山下智久さんの「野ブタをプロデュース。」も少し楽しめましたが、あり得ない設定にやきもきしたモノでした。
その点で今回のcastingには何となく納得しています。
脇を固める方たちの面白さが良い味出しています。
まあね。
このドラマもあり得ないモノなんですが、あったらいいな~と本気で感じるモノなのでおいらの中では結構楽しめています。
今日のシナリオは自分の学生時代の事を思い出すことができました。
昨年の11月に高校の文化祭に行ったんですが恐ろしいほど時間が経っている感覚を感じさせない事を感じました。
ノスタルジーを感じることが出来ました。
あの輝かしい日々を思い出すと心に力がわいてきます。
自分自身の可能性を今一度考えていまからでも遅くはないことを確認することが出来ました。
おいらは他の子たちとは違って学生だから遊んで暮らせばいいと言う客観的な見方をしていなかったな~......
学生時代でもっとも楽しかった2年の半ばぐらいから毎日が思い出になっていく事を感じていました。
過去になっていくことほど虚しいことがないということを感じつつも生活をしていかなければならないことの悲しさを感じていました。
当時心境としましては「過去」と「未来」に生きていましたからね~。
思い出を楽しんで未来にすることを一生懸命に準備することで手一杯でした。
そして最も重要な「今」を楽しむことが多少は弱くなっていたように感じます。
確かに馬鹿をやって楽しい生活を送っていたことは確かです。
でも真の意味で楽しんではいなかったんですな。
まあおいらに対して親切に助言をたびたびくださる方によって管理されていましたし、かなり義に過ぎた人間になってもいました。
もうね~。
「真人間」というのはあの頃のおいらのことを言うんだろうな~と思うぐらいです。
学生時代の忙しい時期に補○○○○仕をしていましたから、というより両親や○老たちの期待に添って行動することでしか動けなかったモノですからね~。
忙しすぎましたな。
時間に追われている感覚でした。
加えて学生の頃というのは日中はすべて学校で時間を過ごしているわけです。
んで水土日しか伝道にでれませんでした。
後は他の人の再訪問や研究について行くわけです。
その際に管理されていますからね~。
楽しむ事なんて出来なかったわけですよ。
また彼の研究のスタイルには当時から疑問を感じていました。
何事も自分の方が物事を知っているのだから質問に対する答えに対してまた質問することがおかしいというような言い方に同意しかねたんですな。
どう考えても彼の基準というのは「自分自身が基準」であって「神の基準」とは全く別ものでした。
確かに聖書の知識というのは彼の方が持っていることは当然でしょう。
毎週学ぶ機会があり個人研究をしているはずですからね~。
でも「教えてやっている」という感じの進め方は同意しかねます。
研究というのはおいらの見地では「相共に学ぶこと」だと考えています。
これは集会であったり、大会であっても同じであるとおいらは考えています。
学校の勉強というのも同じですよね。
先生の意味の中には「自分より先に生まれた人」と言う定義がありました。
そのことを踏まえるとです。
学校の先生は自分が理解している範囲のことを教える機会が多いに過ぎません。
そして教えることの中に生徒からの啓発を受けて新たな見方を発見することがあることでしょう。
だとすると、「相共に学ぶ」という方が正しい教育の表現になるはずです。
確かに知識として持っているデータベースやバックボーンというのは先生の方が多いはずです。
しかしこのことから先生の言うことがすべてが正しいのかというとそれは簡単に結論ができます。
人が自分の基準でしか話をしない場合には
絶対に正しいことはありえない
ということですな。
これは人間の定めた法律と照らし合わせた場合でも同じです。
人間の作ったモノには必ず抜け道というのがあり、反論の余地というのは必ずあります。
なんだか話が大ずれにずれましたね~。
プロポーズ大作戦を見ていて感じたんですけどね。
学生時代のノスタルジーに少し浸ることが出来て、また学校に行きたいな~なんて考えるようになりました。
ええ.....もう歳ですからね。
同じ事が出来ないことはわかっていますよ。
でも共に学び腹を割って話し合える人が沢山いた事が懐かしく感じたんです。
過去になっていく毎日が、そして迫ってくる卒業が無くなればいいのにとよく考えたモノでした。
「今の時間が止まればいいのに」という気持ちが非常に強かったですな。
他の子たちよりも強かったはずです。
おいらは未来にレールを引かれていたわけですからね。
絶対に避けれない壁があり、おいらの性格からその壁に加速度的にぶつかる事は必然となっていました。
この頃は思い出をよく書いていますね~。
おいらが足を踏み外せば事は済んだのかもしれませんが、将棋で言う「定跡」や囲碁で言う「定石」などの決まった最善の手を打たなければ気が済まない性格なので突っ込んでしまうことは明白でした。
今でこそ自己吟味して間違いを見分けることが出来て、”自分で選択する”事が出来るようになりましたが昔のおいらは言われるがままでしたのでつらい毎日がくることが決まっていたんですな。
何で解っていて避けることが出来なかったのかを考えます。
結論から書くと「あまりに従順すぎる」のも問題がありますね~。
自分で推論して選択させることの重要性を感じます。
現在の若者たちのこの能力は、特に日本のゆとり教育の弊害に陥っている現在の若者たちの能力は早急に培わせる必要があると思います。
「培わせる」と書いたのは若者たちは自分の未来に関しての設計というのは不確定のモノばかりであることを理解していない点と努力をしなくてもなんでも手にすることが出来ると錯覚している所があるからです。
使い捨て時代になって金さえあればなんでも買えると考えている人が多いと言うことですな。
よってモノを大切に使う能力を成長させてモノの良さを見分ける能力を身につけさせる事の大切でしょう。
自分には選択する権利があること親や先生、その他諸々の言うことが絶対ではないことを知るべきです。
他の人は自分にはほとんど何もしてくれません。
親身になって考えてくれることもあまりないでしょう。
また他の人は発言したことに責任をとることはほとんど、というより現在の金の純度を高める技術よりも無いということですな。
ほぼ100パーセント責任を負ってくれることはありません。
親族なら多少は責任を負ってくれる可能性がありますがね。
なんだか長文になってしまいましたな。
この記事で書きたかったことを一言で書くのであれば
もう一度学生時代に戻りてーな~
ということです。(爆)
一回目を見ていない事が悔やまれます。
長澤まさみ、山下智久とくればなーんだまたジャニジャニした格好付けのドラマか~と考えていたんですが、考えている以上におもしろかったので驚きました。
また藤木直人さんの最近のドラマ特に「ギャルサー」3流以下だと感じていましたのでね。
しかも三上博史さんが出ているなんて知りませんでした。
やっぱ長澤まさみさんがヒロインというのは間違いがないですな。
山下智久さんの「野ブタをプロデュース。」も少し楽しめましたが、あり得ない設定にやきもきしたモノでした。
その点で今回のcastingには何となく納得しています。
脇を固める方たちの面白さが良い味出しています。
まあね。
このドラマもあり得ないモノなんですが、あったらいいな~と本気で感じるモノなのでおいらの中では結構楽しめています。
今日のシナリオは自分の学生時代の事を思い出すことができました。
昨年の11月に高校の文化祭に行ったんですが恐ろしいほど時間が経っている感覚を感じさせない事を感じました。
ノスタルジーを感じることが出来ました。
あの輝かしい日々を思い出すと心に力がわいてきます。
自分自身の可能性を今一度考えていまからでも遅くはないことを確認することが出来ました。
おいらは他の子たちとは違って学生だから遊んで暮らせばいいと言う客観的な見方をしていなかったな~......
学生時代でもっとも楽しかった2年の半ばぐらいから毎日が思い出になっていく事を感じていました。
過去になっていくことほど虚しいことがないということを感じつつも生活をしていかなければならないことの悲しさを感じていました。
当時心境としましては「過去」と「未来」に生きていましたからね~。
思い出を楽しんで未来にすることを一生懸命に準備することで手一杯でした。
そして最も重要な「今」を楽しむことが多少は弱くなっていたように感じます。
確かに馬鹿をやって楽しい生活を送っていたことは確かです。
でも真の意味で楽しんではいなかったんですな。
まあおいらに対して親切に助言をたびたびくださる方によって管理されていましたし、かなり義に過ぎた人間になってもいました。
もうね~。
「真人間」というのはあの頃のおいらのことを言うんだろうな~と思うぐらいです。
学生時代の忙しい時期に補○○○○仕をしていましたから、というより両親や○老たちの期待に添って行動することでしか動けなかったモノですからね~。
忙しすぎましたな。
時間に追われている感覚でした。
加えて学生の頃というのは日中はすべて学校で時間を過ごしているわけです。
んで水土日しか伝道にでれませんでした。
後は他の人の再訪問や研究について行くわけです。
その際に管理されていますからね~。
楽しむ事なんて出来なかったわけですよ。
また彼の研究のスタイルには当時から疑問を感じていました。
何事も自分の方が物事を知っているのだから質問に対する答えに対してまた質問することがおかしいというような言い方に同意しかねたんですな。
どう考えても彼の基準というのは「自分自身が基準」であって「神の基準」とは全く別ものでした。
確かに聖書の知識というのは彼の方が持っていることは当然でしょう。
毎週学ぶ機会があり個人研究をしているはずですからね~。
でも「教えてやっている」という感じの進め方は同意しかねます。
研究というのはおいらの見地では「相共に学ぶこと」だと考えています。
これは集会であったり、大会であっても同じであるとおいらは考えています。
学校の勉強というのも同じですよね。
先生の意味の中には「自分より先に生まれた人」と言う定義がありました。
そのことを踏まえるとです。
学校の先生は自分が理解している範囲のことを教える機会が多いに過ぎません。
そして教えることの中に生徒からの啓発を受けて新たな見方を発見することがあることでしょう。
だとすると、「相共に学ぶ」という方が正しい教育の表現になるはずです。
確かに知識として持っているデータベースやバックボーンというのは先生の方が多いはずです。
しかしこのことから先生の言うことがすべてが正しいのかというとそれは簡単に結論ができます。
人が自分の基準でしか話をしない場合には
絶対に正しいことはありえない
ということですな。
これは人間の定めた法律と照らし合わせた場合でも同じです。
人間の作ったモノには必ず抜け道というのがあり、反論の余地というのは必ずあります。
なんだか話が大ずれにずれましたね~。
プロポーズ大作戦を見ていて感じたんですけどね。
学生時代のノスタルジーに少し浸ることが出来て、また学校に行きたいな~なんて考えるようになりました。
ええ.....もう歳ですからね。
同じ事が出来ないことはわかっていますよ。
でも共に学び腹を割って話し合える人が沢山いた事が懐かしく感じたんです。
過去になっていく毎日が、そして迫ってくる卒業が無くなればいいのにとよく考えたモノでした。
「今の時間が止まればいいのに」という気持ちが非常に強かったですな。
他の子たちよりも強かったはずです。
おいらは未来にレールを引かれていたわけですからね。
絶対に避けれない壁があり、おいらの性格からその壁に加速度的にぶつかる事は必然となっていました。
この頃は思い出をよく書いていますね~。
おいらが足を踏み外せば事は済んだのかもしれませんが、将棋で言う「定跡」や囲碁で言う「定石」などの決まった最善の手を打たなければ気が済まない性格なので突っ込んでしまうことは明白でした。
今でこそ自己吟味して間違いを見分けることが出来て、”自分で選択する”事が出来るようになりましたが昔のおいらは言われるがままでしたのでつらい毎日がくることが決まっていたんですな。
何で解っていて避けることが出来なかったのかを考えます。
結論から書くと「あまりに従順すぎる」のも問題がありますね~。
自分で推論して選択させることの重要性を感じます。
現在の若者たちのこの能力は、特に日本のゆとり教育の弊害に陥っている現在の若者たちの能力は早急に培わせる必要があると思います。
「培わせる」と書いたのは若者たちは自分の未来に関しての設計というのは不確定のモノばかりであることを理解していない点と努力をしなくてもなんでも手にすることが出来ると錯覚している所があるからです。
使い捨て時代になって金さえあればなんでも買えると考えている人が多いと言うことですな。
よってモノを大切に使う能力を成長させてモノの良さを見分ける能力を身につけさせる事の大切でしょう。
自分には選択する権利があること親や先生、その他諸々の言うことが絶対ではないことを知るべきです。
他の人は自分にはほとんど何もしてくれません。
親身になって考えてくれることもあまりないでしょう。
また他の人は発言したことに責任をとることはほとんど、というより現在の金の純度を高める技術よりも無いということですな。
ほぼ100パーセント責任を負ってくれることはありません。
親族なら多少は責任を負ってくれる可能性がありますがね。
なんだか長文になってしまいましたな。
この記事で書きたかったことを一言で書くのであれば
もう一度学生時代に戻りてーな~
ということです。(爆)