思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



一応書いておこうと思います............

今日はここ最近取り組んでいる地図の作成を行ないました。
んで開○○仕をしている○○の僕の方と行なっているのですがね。

おいらは仕事もクリスチャンとしての生活も重要だと考えています。

よって排他的な見方をしている人間には非常な嫌悪感を感じます。

もう一度断っておきたいことですが「一応」書いておきます。

開○○仕というのは捉えるのは簡単で維持するのも簡単だと思います。
しかし人生で最も重要な仕事ではないと思っています。
開○○仕はただ単に時間的な制約を満たせば良いだけのことで、目的が逸脱してしまう原因になっているのがここなんですな。
特に日本人の最低な考え方として「開○○仕をしているのだから」という特権階級意識が非常に強い人間が多いのには吐き気さえ感じるぐらいに嫌悪感を感じますな。
何が偉いのかを履き違えている方達を見ていると胸焼けしてくるぐらいです。

プライドを保つのに開○○仕を用いるのは筋違いでしょう。

おいらからすると開○○仕はクリスチャンとしてはLifeworkで当然のことだと感じていますからね~。
このことを巡○○督にもぶっちゃけたのですが、上記の傾向が強いのは日本によく見られる現象であって日本以外の国ではこのことでプライドを保っている方はあまり居ないでしょう。
だから海外に出たいとか感じるんですな。

ようは時間を入れれば良いだけのことなのにそれでプライドを保つ事には問題があるでしょうよ。

まあそれに付随する勉強の時間や聖書の研究に充てる時間もありますので重要だと思いますけどね。
でもこれらのことをするのはクリスチャンならば当たり前のことでどうしてこのことで非常に強い自尊心を持てるのだろうかと不思議に思うわけです。
というか哀れに見えてきます。

また「仕事」は二の次にしている開○○仕者が多いことは社会的な無責任さの現れだとか個人的に感じています。
それが拘束力となっていて「自由」が無い事態を招いていることにも呆れます。
確かに特権として捉える開○○仕という認識は立派ですよ。
しかし

「クリスチャンだけで生活が出来るのか?」

と聞かれると「絶対に」、「完全に」、「100パーセント」無理だという結論に達するわけですよ。
その事も理解せずに上からモノを言うクリスチャンには絶句してしまいます。
基本的な生活を送る為にはクリスチャンではない人の労力というのは欠かせません。
たしかにクリスチャンとして教育されている方達は知識があり知恵も有していることもありますよ。
でもその故に神からの恩恵を一身に受けているかというと神は公平な方であり公正な方でもあります。
そして神は知らない方も気にかけておられますし、知ることを望まれています。
またもし聖書のことばを知りクリスチャンになるのであればずっと進歩をすることをも求めておられることも事実でしょう。
他の人の目に進歩が明らかになるように望んでおられるのですから、誇りによって凝り固まってしまう事なんて起こる余地はないはずなのです。

「開○○仕をしている人間が最も正しい」という考えは絶対的な誤りでしょう。
「開○○仕をしている人間が偉い」という考えも間違いです。
「開○○仕をしている人間が他の何モノよりも素晴らしい」という考えも間違いだとおいら個人は考えています。
価値観の相違は絶対に発生しますし、開○○仕をするに越したことはありませんがね。
Lifeworkとしてこのことを行なうべきでそれをプライド源にする事自体が間違いなのです。

おいらは全時間の仕事をする方達を評価したいと思っています。
開○者というのは仕事的には最低レベルの仕事をしているだけで良いという考えをしている人が多いのですが、おいらは両方で良い仕事をしたいと常々考えていました。
開○○仕をするのであれば諦めなければならないという考えを押し付けられてきましたし、このことで鬱になったと言っても過言ではありません。
どう考えても「開○○仕」も「仕事」も両方を望むことは人間として自然な傾向だからです。
人は自らの手の業によっても喜びを得るように創造されているからなんですな。
よって仕事からも喜びを得なければならないのです。
ただ時間を入れるのを善としているのは語弊が生じていきますし、勘違いが起こっている現状を理解していないでしょう。
特に日本のクリスチャンは開○○仕者に異常に執着しますし、やたら褒め称えます。
このような傾向を示している人間が非常に多いことがおいらの苦痛になっています。

「自分で望んだ道」なのですから何がそんなに誉められる理由となるのだろうと考えるんですな。

若い頃は何も考えずに鵜呑みにしていましたけどね~。
年齢を重ねれば重ねるほどに違和感が非常に大きくなっていきます。
極端なことを書くとクリスチャン自身が「善を悪に、悪を善に」変えていると感じるぐらいです。

........このネタになると書きたいことが山盛りで尽きませんな.......
以前にも同じような記事を書きましたけどね。
上記の勘違いした開○○仕者を見たり接したりしているとフラストレーションが溜まってイライラしてきますな。

自分を低くするモノを望ましく考えられる方を神としている事だけがおいら自身にとっての「誇り」です。

でもおいらのことを気にかけて下さることは必要はないと思いますな。
おいらはそこまでして頂く価値のない人間ですからな。
また裁きの日に一番最初に裁かれることを望んでいます。
その日までおいらは最善を尽くす所存で居ますけどね。

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