扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

How about Survival? No.013 2015.02.01

2015-02-01 13:24:16 | Survival
イスラム国の邦人殺害の件について書こうと思います.........................

「人間の命は平等で公平であるべき」

これが日本の各界の見解でしょう。
しかしわたしはイスラム国の捕虜に関しての報道がこの事件一色であり、一人の人間の扱いに関しては全く公平でもなければ平等という観点でも扱いが過ぎると感じています。
イスラム国に捕らえられた時点で「=死(殺害)」の可能性が跳ね上がるということは明白です。
何より書かねばならないこととして今回、イスラム国に捕らえられた要因として

「自分で危険な地域に入っていった」

ということを理解しておく必要性が有ります。
自分で入っていったということは「その人自身の自己責任」であることは明白です。
イスラム国の処刑は邦人のお二人もご存知だったはずです。
異なる宗教を信奉している人間、敵対する国に属する人間をイスラム原理主義に近い考え方をしているイスラム国は許容することはないということも明らかでした。

今回の事件がもしジャーナリストでなかったならこれほどマスコミが騒ぐことがなかったのではないかと感じています。
NEWSを見ていても「イスラム国を許せない」、「なんの権利があって殺害するのだ」という発言が目立ちます。
公平で平等に扱うという原則を当てはめるならば今まで、既に殺害されてきた他国の方たちの報道に対しても同様の感情を露わにしてきたでしょうか。
日本の国民だったからこそ、このような感情的な発言をしているのではないでしょうか。

そしてもし大往生をして亡くなった人に対しての扱いも全くニュース番組で個々に取り上げられることがあるでしょうか。
日本国内で交通事故で大怪我を負い、今回と同様の期間を掛かって回復せずに無くなった場合にどのように感じるでしょうか。
解りやすく書くと交通事故で大怪我を負い、移植手術をすることでしか回復しない事態に陥ったとします。
血液型は外国のヨルダンに捕まっているリシャウィさんの内蔵を移植することでしか回復せず、内臓の一部を切取り移植するならば必ず回復するという状況であればこれほどのNEWSに成るでしょうか。
内蔵というのはある程度は切り取られても元の大きさに戻るという事が知られています。
よって移植するにしても提供者が亡くなることは無いことを前提として考えてみましょう。

この場合に提供者の家族なり親族の同意が必要だという考え方も適応してみましょう。
腎臓であれば片方を提供できるとも言われていますが、片方取ってしまうと体に負担が大きくなるので反対することが多いでしょう。
赤の他人にそこまでしていたらキリがないですし、人間の体は一つなのです。
まず自分自身が生きていくことを考えねばなりません。

考えておかねばならな点として

・事故に遭ったのは自信の過失が招いている
・選択する権利は家族(ヨルダン)が握っている

という点です。
NEWS番組がこの報道ばかりなので正直なことを書くとうんざりしてしまっています。
それとともに「自己責任」で招いたことをなぜこれほどNEWS番組が取り上げるのか不思議でなりません。
山での遭難に関しても書きましたが、「自業自得」という言葉があります。
この言葉で「得」という言葉ではなく「損」の方が正しいという言葉を見かけましたが、日本語をちゃんと読もうよとも感じますね。
「自業自得」という言葉は自分の行っていることは自分が得るということです。
これが「自業自損」であると自分の行っていることを他人が得るということになります。
金銭的な収入の一部を他人が搾取することで得ることはピン撥ねという方法で往々にして発生していますがね。
自分に害があることは必ず、「自業自得」という原則が適応されます。
自分が行ったことで死に至る行動をとった場合に他人の命で贖われるということは基本的にあってはなりません。
自分の行ったことは自分が尻拭いしなければならないのです。
よって他人の命をアテにするということ自体が間違いであるといえるでしょう。
自業自損ではなく、自業自得でなければならないのです。

イスラム国に捕らえられた時点で「=死」であることはイスラム国が興り、傍若無人に活動しているのが知られていますし報道もされていました。
処刑されていたのが他国の人間だったので大きく取り上げられてこなかっただけなのです。
それが邦人が捕らえられた途端に集中的な報道合戦が起こっているのです。
後藤さんも危険であることを承知して出向いたのです。
どんなに崇高な考えの持ち主だとしても排他的な「イスラム国」に入った時点で危険であるということを認識していたでしょうし、招いた結果は気の毒だとは思います。
ただ自分で入っていったのですから、しかたがないこととして受け入れるしか無いでしょう。

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