思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



最近「凄いね」とか「どうしたの?」良く言われます..........................................

理由は色々とあるのですがね。
おいらの活動のVektorが変わってきただけに過ぎません。
Potentialは全く変わっていませんし、精神的な負担も全く大きくはありません。
ただ大きく変化したのは他の人が見えるような所での活動へとShiftしただけなのです。
幾つか言われていることの変化としてあげてみましょうかね。

・お菓子作り
・炊事
・洗濯
・掃除
・帽子作り

こういった活動を増やしていきました。
すると急においらが物凄い変化をしていると勘違いする人が多いようです。
今までの活動のBaseが変わっただけなのでおいらは本質的に全く変わりはありません。
なのに大きな変化をしているように受け取られるのは気持ちの良いモノではありませんね。

おいらが変化したでは無く、あなたがおいらのことをちゃんと見てこなかったに過ぎない

ということを知ってもらいたいモノです。
確かにね。
こういう変化というのはおいらの中での活力を燃え上がらせ強くしていく作用はあります。
それにおいらのIdentityやPersonalityもより強く、より堅固になってきていることは実感している所でもあります。
今までの活動というのは他人に評価されるようなことはすまいと自己完結型に終始してきた節があります。
ただ、人間的に成長したいというのもありますが、おいらの自己実現を可能にする為に努力しているんですよね。

最近行っている活動は「おいらがしたかった仕事たち」なんですよ。
例えばお菓子作りであればPatissierになりたかった頃もありました。
また帽子作りであればFashion Designerにもなりたかったんですな。
料理はChefにあこがれていた時期もありましたしね。

然う言えば

学生生活の間に学校では仕事のことに関しては全く教えられない為に仕事の種類を知らない子供が増えている

と島田紳助さんが言っていたような記憶があります。
しかしこれは間違いですよね。
子供というのは仕事を知っていますよ。
おいらは学生時代の頃に沢山の仕事を知りましたし、そのような仕事をしたいと願っていたのですからね。
仕事を選ぶのは子供自身です。
真剣に将来のことを考えて居るのであれば自ずと自分で仕事を探すようになっていくはずなのです。
なのに「仕事を知らない子供が増えている」のは責任感のない人間に親や大人が育てているだけなんですよ。
責任感のある人間ならば将来の設計なども真剣に考えますし、自己実現の為に投資することにもやぶさかではありません。
おいらの親に関して書くならばおいらのことを良く理解もせずにおいらのしたいことを全て否定するという事が罷り通っていました。
つまり親が子供の将来をつぶしていたという事になります。
学校に行く為の資金などは自分で捻出する覚悟を持っていたとは言い切れませんがね。
親の我が儘に付き合って色々しなくても良い経験をしてきた立場のおいらとしてはこういう金を出すのは当然だと考えて居る頃もありました。

最近は大分そういった考え方も変わってきましたね。
おいらは自己実現の為であれば全てを自分で賄う覚悟を決めました。
こういった心境の変化がおいらの雰囲気を変えているのかも知れないですね。

おいらは学生の頃は他の同級生よりも真剣に将来のことを考えていたようです。
これは今になって気が付いているのですがね。
おいらの将来は既に決められていました。
Christianとして毎月90時間程度の伝道に出る事を親からもChristian仲間からも期待され、そういったRailを引かれていたんですな。
しかしこれはおいらの望む道ではありませんでした。
おいらが望んでいた道は確かにこの道だったことは確かなのですが、おいらにとっては高校卒業して直ぐにこういった活動をするということは時期尚早のように感じていました。
実際に時期尚早でおいらだけが消耗していき極度の鬱状態に落ち込んでいきました。
おいらは搾取されることが嫌だったので手に職を付けてからこういうことをしたかったんですな。

何事も両立することは出来ない

とよく言われます。
聖書の言葉にも「お金と神とを両方選ぶことは出来ない」と言うような内容の言葉が記されています。
確かに其れはそうでしょうとも。
これはおいらも理解しています。
でも人間というのは仕事をしなければ現実問題生きてはいけません。
お金を得ることが出来なければ生活というモノは成り立っては行かないのです。
資格や手に職を身につけるという事は合理的、効率的、効果的な手段です。
おいらはこれを踏まえた上で仕事をするという事を考えていたんですよね。
大金はいりませんし、生活出来るだけの収入があれば良いんですよ。
でもおいらがもっとも重要視したことがあります。
それは

自分自身が納得して、楽しめる

という条件がありました。
仕事というのは

辛いモノ
我慢するモノ
楽ではないモノ
納得出来ないモノ
楽しんではいけないモノ
まして満足するようなモノでもない

というような考え方の人間が多すぎます。
確かに全てを楽しむことは出来ないでしょう。
仕事というのは結局は行き着く所は「客商売」なのですから辛いモノともなるでしょう。
我慢しなければならず、時に苦しいモノでもあるでしょう。
しかしそれは納得して満足しているならば一時的なモノとなり、Total的に楽しいことだと言えるはずなんですよ。
何が楽しんではいけないのでしょうか。
おいらは其れが不思議でなりませんでした。

楽しんで良いんです。
納得してしているならば楽しめるはずなんですけどね。
おいらは全てを否定されてきた故に楽しんではならないという思考になっていました。
こうなると全てが楽しくはなく苦しいだけになっていきます。
こういう思考にさせていく人間というのは残酷ですな。
人間を行きながらに地獄へと突き落としているのですからね。

おいらは努力している人間には何かしらしてあげたいと思いますが、こういう残酷な人間には何もしようとは思いませんね。
結局は何も考えずに否定するという事は愚かなことなのですからね。
こういうことは金では解決しません。
気持ちの問題は人間の尊厳の問題でもあります。
人間の尊厳をないがしろにする人間に対してはおいらもそれなりの態度で接するようになっていくでしょう。
人を軽んじる人間には然るべき方法で軽んじますし、蔑ろにする人間には然るべき方法で蔑ろにしていくべきでしょうね。

客観的に見ることが出来るからこそ人に対しての態度というのは良く理解出来ます。
敬意を持たない人間とも接したいとも思いませんしね。

おいらのことを知らないし、知ろうともしなかった人間にとっては大きな変化かも知れません。
しかしおいらは本質的な所は全く変化がありません。
大鬱から大分に回復してきましたが、大鬱を煩った経験があるからこそ大きな変化を作らない努力をしています。
というより人間の本質というのは変わりようがないのだとも思いますね。
「三つ子の魂百まで。」という言葉がありますが、学生時代からおいらの仕事へのStanceは変わっていません。
それに活動のBaseも今まで出来てこなかったことをしているだけで、可能であれば実行してきたことなんですな。

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