外国の事故などの報道で耳にする台詞..........
人が亡くなっている海外の事故や災害では絶対に使う言葉です。
「日本人は乗っていなかったということです。」
「日本人は全員無事でした。」
という言葉を良く聴きますよね。
確かに家族や友人が旅行している場合にとても大事なことだとは思うのですがね~。
人が亡くなっていることが当たり前でその中に「日本人がいるのか?いないのか?」が亡くなることよりも大切な言い方のように感じます。
重要なのは亡くなった人たちにも家族がいてその人たちは悲しんでいるということではないでしょうか?
不謹慎な言い方だな~と毎回思ってしまう訳です。
おいらはクリスチャンなので使いませんが
「ご冥福をお祈り致します」
という言葉は日本国内の”大きな”事故や災害でなくなった際にしか使われません。
時間の関係上仕方がないのかもしれませんが、亡くなった人の家族に対しての気遣いの言葉は必要だと思う訳です。
しかし「テレビの力」などの報道ではなくてただ行方不明の人を祭り上げて騒ぎ倒したいという感じの番組にも疑問を感じます。
あれはいかにも「リアルタイムで一生懸命やっているんだよ」という感じをテレビで出していますが、あの番組に出ているタレントやキャスターは番組からはなれると多分ですが「我関せず」なんだろうと思ってしまう訳です。
まあ仕事のON,OFFは大事だと思いますが「週1回一時間で何ができるのか?」とか顔が売れているタレントを使っているので視聴率を稼いでいるとか色々裏方を想像してしまうんですよ。
他の国の「テレビの力」のような番組を司会している人が言っていましたがOFFのときでもたまに扱う場合があります。
それはかなりの衝撃的なスクープの場合です。
これは視聴率を稼ぐことができると感じると対応するんですな。
このことから「所詮は局側の人間じゃん」という意見が聴こえてきそうですね。
事故や災害で失った遺族は、どの家族でも亡くなったことに対しての悲しみはある程度あるはずです。
極端な話をすると「後追い自殺」する人までいるんです。
その嘆き悲しんでいる家族に事実を伝えるのが医療関係者じゃなくてニュースというのはなんともあっけないし、感情移入しにくいでしょう。
実際問題、ニュースを扱う人たちは毎日人が亡くなることになれてしまって実感が湧かないのかもしれません。
しかしそうであっても「人の死に慣れてしまうのは人間としてどうなの?」と思う訳です。
まあ、おいらもおばあちゃんが4月末に亡くなって薄情な人間だということイメージがあるかもしれませんね。
だから人のことは言えませんがおいらの場合は理由があるんで良いんです。
クリスチャン独特な死への考え方というのがあるんですな。
よってキャスターとおいらとは「人が亡くなる」ということの意味が全く違うと考えていただいて結構です。
人が亡くなっている海外の事故や災害では絶対に使う言葉です。
「日本人は乗っていなかったということです。」
「日本人は全員無事でした。」
という言葉を良く聴きますよね。
確かに家族や友人が旅行している場合にとても大事なことだとは思うのですがね~。
人が亡くなっていることが当たり前でその中に「日本人がいるのか?いないのか?」が亡くなることよりも大切な言い方のように感じます。
重要なのは亡くなった人たちにも家族がいてその人たちは悲しんでいるということではないでしょうか?
不謹慎な言い方だな~と毎回思ってしまう訳です。
おいらはクリスチャンなので使いませんが
「ご冥福をお祈り致します」
という言葉は日本国内の”大きな”事故や災害でなくなった際にしか使われません。
時間の関係上仕方がないのかもしれませんが、亡くなった人の家族に対しての気遣いの言葉は必要だと思う訳です。
しかし「テレビの力」などの報道ではなくてただ行方不明の人を祭り上げて騒ぎ倒したいという感じの番組にも疑問を感じます。
あれはいかにも「リアルタイムで一生懸命やっているんだよ」という感じをテレビで出していますが、あの番組に出ているタレントやキャスターは番組からはなれると多分ですが「我関せず」なんだろうと思ってしまう訳です。
まあ仕事のON,OFFは大事だと思いますが「週1回一時間で何ができるのか?」とか顔が売れているタレントを使っているので視聴率を稼いでいるとか色々裏方を想像してしまうんですよ。
他の国の「テレビの力」のような番組を司会している人が言っていましたがOFFのときでもたまに扱う場合があります。
それはかなりの衝撃的なスクープの場合です。
これは視聴率を稼ぐことができると感じると対応するんですな。
このことから「所詮は局側の人間じゃん」という意見が聴こえてきそうですね。
事故や災害で失った遺族は、どの家族でも亡くなったことに対しての悲しみはある程度あるはずです。
極端な話をすると「後追い自殺」する人までいるんです。
その嘆き悲しんでいる家族に事実を伝えるのが医療関係者じゃなくてニュースというのはなんともあっけないし、感情移入しにくいでしょう。
実際問題、ニュースを扱う人たちは毎日人が亡くなることになれてしまって実感が湧かないのかもしれません。
しかしそうであっても「人の死に慣れてしまうのは人間としてどうなの?」と思う訳です。
まあ、おいらもおばあちゃんが4月末に亡くなって薄情な人間だということイメージがあるかもしれませんね。
だから人のことは言えませんがおいらの場合は理由があるんで良いんです。
クリスチャン独特な死への考え方というのがあるんですな。
よってキャスターとおいらとは「人が亡くなる」ということの意味が全く違うと考えていただいて結構です。
ニュースキャスターは嬉しそうに
上客に日本人はいませんでした、いませんでした
ザ・イエローモンキーの「ジャム」にこういう歌詞がありましたね。日本で言われる世界平和とは世界のどこに行っても日本人が安全であることだと皮肉られるのもここら辺りに理由があるのかもしれません。
そういえば歌詞にありましたね~。
まさに日本の風刺歌といえます。
ザ・イエローモンキーは歌詞に社会的問題を良く取り入れていたように感じます。
昔のフォークソングやザ・イエローモンキーのような風刺歌を歌う歌手が減ったので刺激が無く流れるまま流されるままの人が多いです。
これで良いのか?と疑問に感じます。