思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



こんな出来損ないなおいらが「エリート」である弟君に対して怒ってしまった......
おいらの弟は結構「好き」「嫌い」が多いのですが、食べれないものは仕方がないと思います。
それについておいらは怒ってしまったのです。
頭の思考回路で「怒」にスイッチが入ってしまったのだな.....
今日の晩ご飯の料理は「牡蠣鍋」だったのですが、それを見て「弟君」が「これ嫌い。(だからほかに何か無い?)」と言ったのです。(括弧は言わんとしていることを感じておいらが勝手に書いたものです)

牡蠣鍋と言うとみそ味でおいしいものです。
その反面で「牡蠣」の鮮度が悪い時「磯臭さ」が充満して鍋に入っているすべてのものに「磯臭さ」がついてしまいます。
この「磯臭さ」が駄目な人は「雲丹(うに)」も駄目な人が多いようですね。

しかし今日の牡蠣は新鮮で臭さもほとんどありませんでした。
それはにおいでもわかりましたし、食べてみてもわかりました。
鍋のいい点は苦手なものが入っていても何かしら食べれるものが入っているという点です。
よって鍋がよほど嫌いな人でない限りほとんどすべての人が食べれるものなのです。
その点を理解していない点で「怒」にスイッチが入ったのです。

しかし一つぐらいではおいらの怒りのスイッチが完全に起動しません。

加えておいらは「作ってくださること」自体が大変にありがたいものだと思うのです。
作る人は食べる人に「おいしく食べて欲しい」と心を込めて作るはずです。
家庭で作る人はほとんどの場合「自分もおいしいものが食べたい」という意見もあるでしょう。
その料理を「嫌いだからほかに何か無い?」というのは、その労力を否定することなのです。
この点でも彼は違反しています。
これで「怒」のスイッチの第2段階をクリアしました。

そして何よりも食べ物を食べれない人がいるのにどうして平気な顔をして「好き嫌い」を言えましょうか?
食べるものがあるだけでも「幸せ」なのです。
それを「嫌いだからほかのもの無い」という態度は何事なのか!
「怒」の第3段階クリア。

また、だれに養ってもらっているのか?
という点でも彼はしてはいけないことをしました。
彼がまだ学生で働けないことも理解した上で敢えて書こうと思います。
父や母に養ってもらっておきながら何たる言いようか?
何様なのだ~~!
「怒」の第4段階クリア。

最後に人間が「だれに養ってもらっているのか?」という疑問は食事前にすぐわかるはずです。
クリスチャンなのですから当然、食前の「神への感謝の祈り」をするのです。
しかも家族そろって「父上」が代表して声を出して祈ってくださいます。
さまざまな自然や動物たちの犠牲の上においらたちの生活は成り立っています。
そしてすべてを作られ、維持し、養っておられるのは「神」なのです。
神から与えられた食事を「嫌い」ということは神への冒涜です。
「怒」最終段階クリア.......

噴火しました。

おいらは口は達者ではありません。
よって馬鹿丸出しの論理で「弟君」に辛く当たってしまいました。
昼は消化のいいものだったので彼の言葉を聴くまでは食べるき満々でした。
しかしこの噴火によっておいらの良心がひどく傷ついてしまい心痛を覚えました。
もっと「ほかに言いようがなかったのか?」と考え、自分の言いたいことを言い切った後に「自分の発言が間違っているかもしれない、ごめんよ」と弟君に謝りました。
その後、良心が傷んで食べる気分では無くなりました。

「落ち着いてから食べる」と言って自分の部屋でテレビを見ていました。
よって、ついさっき食べたばかりです。

愚かな兄を持った「弟君」は可哀想でなりません。

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