このBlogで記事を書くようになってワープロやComputerのOfficeSoftというのは非常に便利だと思うわけです...........
筆記具を使用して字を書いているときに文と文の間に何かしら書き足したいことが多いわけです。
しかし物理的に書き足す事って難しいですよね。
物質的には不可能な場合が多くてこのワープロソフトでOSに標準搭載されているテキストエディットやテキスト、そしてこの分野では万能Softとして名高いMicrosoftのOfficeなどで文章を書く際に後で書き足したいことが非常に簡単に行えるわけです。
また特筆するべき事としてComputerの必殺技「コピペ(コピー&ペースト)」も出来るというのは反則ですよね。
でもKeyboardで打って文章を作るのと実際に字を書いて文章を書くのとでは頭の使用する分野でかなりの違いがあることを感じます。
Computerで文章を書く場合には出来ることが多すぎるので頭をかなり回転させねばなりません。
加えてComputerの入力というのはMonitorを見ながら実際に使っているのはKeyboardやMouseですよね。
ComputerというのはTelevisionと良く感じが似ていることから隣でTelevisionが付いているとかなり気が散ります。
また字を実際に書くよりも字を凄いスピードで忘れていくことも感じます。
読める字は多くなることは確かですが、書ける字が非常に少なくなっていくのは間違いありません。
これは任天堂のDSで書くのと同じ行為を行って学習するSoftがありますが、Computerを使っている限り字を書けるようになると言うこと自体には直接結びつかないでしょう。
字を覚える要因の重要なこととして文章で実際に使用することが挙げられます。
でも任天堂のDSなどで字を書き込むのは「ひらがなを漢字に直しなさい」とか「ここに当てはまる漢字は何か」などの書く字が一個のモノが多いはずです。
こんな方法で実用的な学習を行えるとは思えないんですよ。
それに対して自分で考えて文章を作り手書きで字を書いていくというのは非常に意義のあることだと感じます。
Virtualの字の形態とRealに書かれた字の存在というのは同じ字を記すにしても存在意義というのが根本的に異なっていくでしょう。
これはコピー機でCopyした字と本物の字の違いとも通じるモノがあります。
本物のRealityの質感というのは漠然としている字の集合体ではなく確固たる存在なのですし、完璧にCopyすることは不可能な筆跡やIdentityの塊な訳です。
まあね。
このようなBlogなどの記事などでも文自体に個性がにじみ出ていくことは当然ありますが、本人が書いた字は本人の性格を感じる要素は結構多いだろうな~なんて考えているわけです。
これは「運転したら人が変わる」とか「酔っぱらったら人が変わる」などの変わった際の本性と同じ並に本人の性格を顕著に表していることを感じるんですよね。
Computerで文章を書く際にTelevisionが付いていると気が散ると書きましたよね。
でも実際に字をNoteなどに書く際に隣でTelevisionが付いていると気が散るかというとそれほど気になりません。
これは書くこと自体が「一極集中」というか「一カ所に集中する」事が気が散りにくい要因になっているでしょう。
字を書くというのはまず
1.ノートをおさえます。(ノートの触感を確認する事も示している)
2.ペンを持ちます。
3.書くことを考えます。
4.字を書きます。
人によっては順不同でしょうけど、書くことを考える際に集中する要素が大きいことに気付くかも知れません。
Q. ノートに字を書く際にほとんどどこを見ているかご存じでしょうか?
A. 無地の所を見ているんです。
そして字を書く際にその字の音が頭の中で流れ出します。
同じ字でも書くシチュエーションで音が全く異なります。
そして文を紡ぎ出していくのです。
その際には無地を見て思いを馳せている事に集中して隣で何をされていようが関係ない状態にまで集中することが出来る可能性があります。
というかおいらの場合に書くと決めたことは話をしながら書くことが出来ますが、考えているときに話をされてもその話の内容は聞き取れないぐらいに集中することが多いんですな。
加えてワープロのように後で書き足すなどの要素も、実際に字を書いていると筋書きとなって書いた当時の付け足したいことを思い出すことも多いはずです。
「百聞は一見にしかず」ですし「目は口ほどにものを言う」とい諺からおいらがもう一つ作ってみると「字は口以上にモノを言う」ということを感じるわけです。
文という形態は読み手の数だけ受け取り型が異なるのですから可能性としては口以上にモノを言うのは確実で時間が経っても文の形態を維持している限りその言語をネイティブに使用している人間すべてに大きな影響を与えている言葉もあります。
また多くの言語に翻訳されてほとんどの国や言語で読める言葉もありますよね。
よって実際に効果的な意思伝達方法は文として残しておく事なのかも知れませんな。
これは実際に自分が発言する際にも筋書きとして作成しておくことによって忘れることを防ぐことが可能です。
もっと色々と書きたいのですが、時間が来ました。
明日は事故で怪我した子の診察に付き合うことになっています。
運転手として行くんですな。
少し今日の事も書いておくと「今日も」勉強を見に行きました。
15km程度離れていて標高差約200メートルもある所なんですな。
おいらが盆地に住んでいて見に行っている家は海沿いな訳です。
少し愚痴っておこう。(笑)
見に行っている子はすごくゲームが好きな子なんですな。
んでおいらがPS2を貸している子でもあります。
おいらはゲームと勉強は全く同じ分類になるのですが、このような見方をしている人って少ないようですな。
んでゲームは歓んでするのに、勉強になったらため息ばかりで「ハー.........ハー........ハー.......ハー.......」と一問解くのに4回ぐらい下手したらため息をつくわけです。
今日は数学の勉強をしたのですが、ブランクのあるおいらがじゃんじゃん解けているのになぜ現役の彼が時間が掛かるのでしょうか?
ため息の時間と嫌な感じを表現する時間を勉強に費やすのであればおいらの半分程度の時間ですべての問題が解けていたはずです。
これはおいらが時計をCheckしながら見ていましたので間違いありません。
「ため息するぐらいならさっさと済ませようよ」とか言おうと思ったのですが、この子のお姉ちゃんが言ってくれました。
ところで鬱の傾向がある子としてたまに書いてきた子なのですが、この子は鬱ごっこをしていて実際には全く鬱の気は無いことも勉強を見に行くようになって確信するようになりました。
おいらとしては実際の鬱の苦しさを少しだけ知っている人間として憤りが湧いてくるのですがね。
しんどいと言っているのもただ単に「面倒くさいだけ」だったりそのこと自体が「嫌なこと」なだけなのでしょう。
見ていると短気なおいらとしてはイライラするところも少なからずあります。
でも注意しても嫌な思いをさせるだけですし、余り考えない性格なようなので解りやすく言うようにしようとか考えています。
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