2009.03.14-2009.03.15に掛けてChristianの集まりに行って参りました..............................
Christianには鬱病にかかる人が多い傾向があります。
原因としては真面目にしなければならないという抑圧が非常に強い慣習だからなのかも知れません。
日本のChristianの傾向というのは非常に閉鎖的でMinus思考になっていくような教育が施されています。
これは改善されなければならない教育です。
純粋さというのは確かに素晴らしいと思います。
でもただ単に鵜呑みにするというのはおかしな現象です。
それを原則として行動すればいいと言うことを意味しているのに厳密に行動しすぎて、他の人にもそれを要求するのです。
確かに他の人の良心を考慮に入れなければならないのは間違いありません。
しかし厳しすぎる人の良心というのは常軌を逸している事が少なくありません。
それにそのような助言を言う人というのは多くの場合で助言するに値しない人である場合が少なくないんですな。
つまり自分では行えていない、もしくは行えない人間なんですな。
こういう人は自分では気が付いていません。
端から見ていると愚かな人間なんだな~と思えてきますが、仕方がないでしょうね。
浅く小さい器で沢山の水を汲み取ろうとしても不可能なように自分が出来ていることも把握できないのに加えて、他の人には沢山要求するという愚かな行動を取ります。
こういう人の良心というのは考慮に入れなくても良いとおいらは考えています。
おいらの行動というのは他の人にも知られるようになってきましたが、自分の出来る範囲でしか行動しないようにしているからです。
それに他人に厳しいのに自分に甘い人間の良心というのは訓練もされておらず、出来ないことを他人に要求するというのは的外れなことですからな。
おいらにはそういう余裕もありません。
神は自分の出来る範囲で最善を尽くすことを喜ばれるんですよ。
なのに厳しい人は出来ない範囲の事で無理して物事を行わせようとします。
確かにこのような行動を取ることも喜ばれますが、無理をして物事を行うのは負担が大きく努力に応じた評価をその人からはして貰えないのですから行う意味がないことになります。
人間は神に評価して貰うのを最重要視し神が喜ばれることを行うのが優先順位では一番上に来るはずです。
確かに改善することを願ってはいます。
しかし人間というのは簡単には変われません。
それを簡単に要求するというのは神よりも上からの意見になります。
人間が神様以上のことを他人に求めるというのは僭越の何者でもありません。
なんだか難しい書き用をしましたが、これは今の現状に不満がある訳ではありません。
過去においらが経験したことから書いている訳です。
少し疲れ気味です。
早く休みたいですな。
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今回のChristianの集まりですが、安心したことが幾つかあります。
おいらはおいらの地域では鬱病と診断された先駆け的な存在です。
こんな事で先駆けとなることは良いことではありませんけどね。
苦しんでいる方たちの経過というのが良く解ります。
しかし鬱病と診断された方たちを見ていると少なくとも多生の自尊心を保有されていますので一度回復に転じると早いでしょう。
鬱病になっている人を幾人か知っているのですが、その中の数人が国からの援助を受けることが出来るようになったのを聴き本当に安心しました。
まあ国からの援助といってもいろいろありますからな。
それとおいらが写真を渡している子も来られたらしいので嬉しく思いました。
鬱病の時というのは行動するのって本当に大変なことです。
行きたいと願ってはいながら行けないことが多いという事実はおいらがずっと経験していたことですからね。
Hiroshimaで集まりがあったのですが、Ehimeの片隅からHiroshimaまでの道程や時間的拘束、空間的拘束があるというのは非常に大きな苦痛となります。
それを理解した上で苦痛を味わいに来たのですから、おいらはこれを評価しない訳にはいきません。
でもおいらが出来る事というのは知れています。
よって手紙でも書ければいいですな。
健康な人の努力も認めていくべきであり、適正に評価されなければなりません。
しかし人というのは状況状況に応じた努力の度合いは違うということは明らかでしょう。
つまり健康な人が努力していることと言うのはある程度の余裕があってその範囲の中で行動します。
それに対して病気の人は余裕もない状態で最大限の努力、おいらの認識ではこれは「=限界以上の努力」を払って行動したことを意味しますからね。
確かに全ての人は努力に応じて適正に報われていかねばなりません。
今回の集まりでは気になっていた人たちが幾人か報われていることを知ったり、非常に多きな努力を払っていたり、回復しつつあるのを知ったり出来て安心を得、嬉しい集まりでしたな。
本当に良かったです。
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